彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら

竹尾 錬二

彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら

 ちょろ子は、バス・トイレ別のアパートを選択した上京したばかりの己のチョイスに、心の底から感謝していた。真にちょろ子に感謝を捧げるべき三匹の侵略的外来種は、この一年のちょろ子の苦労も知らずに、呑気な顔で腹を出して、もきゅもきゅと蠢いている。

 好きな食べ物はラーメン、好きな男のタイプは顔のイイ男、趣味はインスタグラムでいいねを稼ぐこと。社会人となり上京し、「ちょろ子」という学生時代からの綽名からもやっと決別できる、と思っていたが、新歓の飲み会でついうっかり口を滑らせて、社内でちょろ子呼びの定着を許してしまったことは、痛恨の極み。そんな脇の甘さこそが、ちょろ子という不名誉な綽名の由来である。

 ちょろ子の朝は早い。5時前に目覚まし時計で起きると、冷凍庫に詰まった子鯵を取り出して解凍し、ボウルに入れてバスルームに持ち込む。

 カワイイは己で作るものというのが、ちょろ子の信条だ。顔の造作は十人並のちょろ子でも、毎朝気合を入れてチークを重ねれば、合コンで危機感の無い年増どもにマウント取れるぐらいに化けることはできる。

 だのに、この生き物はずるい、とちょろ子は焦げ茶色の毛玉達を、羨望と嫉妬の交じった視線で見つめる。挙措の全てが愛くるしく、すっぴんこの可愛らしさ。

 己のインスタグラムとTikTokのアカウントを、『いいね』ので埋め尽くしてくれるこの生き物、三匹のコツメカワウソを、ちょろ子は愛憎混じった視線で毎日見つめている。


 始まりと言えば、全て旅岡が悪かったのだ。

 内定が決まり、最後のモラトリアムを満喫しようと一人旅で飛んだカンボジア。クメール朝の浪漫薫るアンコール・ワットの神秘を堪能し、帰国の途に就こうとしたちょろ子に声をかけて来たのが、旅岡と名乗る軽薄そうな金髪の男だった。

 初対面の見ず知らずの男からの、「金一封を渡すから、このスーツケースを日本まで持ち帰って欲しい」という誰がどう聞いてもあからさまに怪しい依頼。

 けれども、ちょろ子はその依頼を受けた。行きの飛行機の中で見た「ミッション・インポッシブル」に感化されて、スパイものっぽいシチュエーションにスリルを感じていたし、何より旅岡が細身のイケメンで、かなりちょろ子のタイプだったからだ。

 爆弾のカウントダウンの音が聞こえたらどうしよう、と好奇心に負けてスーツケースに耳を当てたりもしたが、カチカチとした機械音は聞こえなかった。どうやら、己が核の発射を止める為にコードの切断を迫られたりすることは無さそうだ。落胆しながらも安堵したが、スーツケースの中で『もぞり』と水気のある柔らかいものが蠢く音が聞こえてきて、ちょろ子は得たいの知れない不安を感じた。

 ちょろ子の悪い予感は的中した。スーツケースは無事に税関をくぐり抜けたが、成田空港の指定の場所に旅岡の言っていた受け取り手は現れず、自宅に持ち帰ってワイヤーカッターで鍵を破壊してスーツケースを開くと、二重底の下から脱水症状で死にかけた小さな三匹のコツメカワウソが現れたのだ。


 名刺から帰国した旅岡を探し出し、ちょろ子は引き取りを迫った。半ば予想はしていた事だが、旅岡は暴力団の末端構成員だった。彼は、カワウソカフェを開業し、新たなシノギとしてすることを目論んでいたこと、その為の密輸をちょろ子に依頼したこと、最近密輸されたカワウソの摘発が厳しくなり、描いた絵図が上手く進んでいないことを赤裸々に告白し、ちょろ子に詫びた。

 旅岡は人間としては間違いなく屑の部類だったが、顔はちょろ子の好みだったので、彼女は旅岡の行いを許し、そのままなし崩しに恋人として付き合うようになった。

 カワウソカフェの開業まで、三匹のコツメカワウソはちょろ子の預かりとなった。旅岡は、カワウソカフェが成功したら巨額の金が転がり込んでくるから、とへらへらちょろ子に詫びた。

 そして、そのまま一年が過ぎた。


    ◆


「ちょっと、やっぱりカワウソカフェが無理ってどういうこと!」


 四か月ぶりに喫茶店で会った恋人は、軽薄な笑いを顔に張り付け、ちょろ子に頭を下げた。


「なんつーか、もうカワウソカフェは時代を過ぎちまったっていうか、旬を逃しちまったんだよな」

「はぁ? 旬?」

「何事だって、商売はタイミングが肝心だろ?」

 

 何一つ社会人として成功経験が無さそうな眼前の男は、アーリーアダプターだのベネフットだの多分自分でも理解していない言葉を上から目線でちょろ子に説いた。


「これからの時代は、タピオカよ。今はどこの組もタピオカをシノギにしてるって話だ」

「タピオカぁ?」

 

 馬鹿にした目線で睨みつけるちょろ子に、旅岡は自信満々に胸を張って言った。


「ああ。兄貴が俺に言ったんだよ。お前『旅岡』ってぐらいだから、タピオカぐらい作れるよな、って」


 つまんねーギャグ。ちょろ子は白けた思いで、コーラを吸い上げた。

 だが、タピオカ屋は利率も良く、高校生のバイトでも作れるぐらい簡単で、ワンオペでも店を回せる激ちょろ商売だ。適当な名目をつけて、この無能な男に一番簡単で手堅い商売を任せてくれるなんて、その兄貴は案外人の使い方を分かってるのかも、とも思う。


「じゃあ、ウチのカワウソ達はどうするつもり」

「ちょろ子、お前の裁量で好きに売っ払って構わねーぞ。お前には取り分の三割をやろう。一匹五十万で売れたとして、三匹全部でお前の取り分は四十五万だ。悪くないだろ?」


 瀕死のカワウソ達を看病し、育て方を調べ、毎日餌の子鯵を与え続けたこの一年間の時間と金と苦労がたったの四十五万円で購われてしまうのは納得が行かなかったが、旅岡は鼻を膨らませて、用意してきたと思われるキメ台詞を吐いた。


「俺はもう、タピオカしか愛せねえ」


 ちょろ子は旅岡の鼻っ柱をグーで殴りつけ、喫茶店を出た。


  ◆


「もしもし、お宅のペットショップで、コツメカワウソ買いませんか……?」

「……あの、お尋ねしますが、正規輸入証明書はございますか?」

「え、せいきゆにゅー???」


 ちょろ子はコツメカワウソの売却は早々に諦め、インスタとTikTokで「いいね!」を稼いで日々の潤いに変えることを選択した。自宅の風呂場がこれからずっと使えないのは痛いが仕方あるまい。

 そんなある日、ちょろ子は旅岡がLINEで自信満々に送ってきたタピオカショップの様子に絶句した。


「何これダサっ!」


 油煙の臭いが染みついた中華屋を壁紙も換えずに使っていると思わしき店内、極太明朝体のうどん屋のような品書き、メインターゲットの若い女性層のニーズが何たるかを、欠片も理解していない。案の定、開店してからも店は閑古鳥、食べログでの評価は☆1.5。

 ちょろ子は指をさして笑ったが、このままじゃ兄貴に港に沈められちまう、と泣きついてきた旅岡を見捨てることはできず、タピオカショップのアドバイスなどを始めてしまった。「かわいい」を作ることには自信のあるちょろ子である。インスタ映えのするタピオカショップの何たるかなど熟知している。

 そして他のタピオカショップでは真似できない特典もつけた。お昼限定、コツメカワウソと握手のできるタピオカ屋だ。

 ちょろ子が一年かけて調教したカワウソ達は設えられた水槽から手を出して握手をしてくれる。その様子に、連日満員御礼、雑誌の今一番インスタ映えするタピオカ屋に選ばれた。これには旅岡も大喜び。

 彼女はちょろ子と周囲に呼ばれているが、ちょろ子も人生を割とちょろいものだと考えている。

 

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彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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