TAPIOKA 2019

λμ

蔓延するタピオカ

「そうだ、タピオカ好きなら、面白いお酒があるよ」


 薄暗いバーの、カウンター席の片隅で、男は言った。


「すごいえるし、もちろん俺の奢り」


 男の目配せに、やる気のなさそうな顔をしたバーテンダーが、女の前にグラスを置いた。

 一見するとカフェオレのようでもあるが、底に黒いたまが沈んでいた。

 タピオカだ。


「タピオカルーアです」


 バーテンは無愛想に言って、タピオカを吸える太いストローを差し込んだ。

 

「タピオカルーアって。ウケる」


 女はクスクスと笑いながらスマホを向け、フラッシュを焚いた。

 傍らで、男がほくそ笑んでいるとも知らずに。


 カルーアミルクは見た目にはミルクティーと変わらない。カットの入ったロンググラスに注げば写真映りもいい。甘く、牛乳のおかげで口当たりもいい、だ。


 コーヒーリキュール『カルーア』のアルコール度数は約二十パーセント。タピオカルーアは男の指示でやや強めに作られており、おおよそ十パーセントになっている。巷で「酔える」とされている度数高めの炭酸入り缶酎ハイよりも強いのだ。

 

 しかし女は、タピカルーアのどこか見慣れた色形に、何の疑いもなくストローを咥える。

 

 アルコールに毒された躰はひとまず糖の分解を放棄し、有毒なアルコールの分解に注力する。すると脳は糖、すなわち炭水化物を求める。その炭水化物とは――


 タピオカルーアの底に沈む、悪魔の生んだ黒い粒である。


 女は普段なら途中で捨ててしまうタピオカをぜんぶ食べてしまった。普段なら一杯でやめるのに、なぜかもう一杯頼みたくなった。

 心地よい酩酊が女から判断能力を奪う。

 カウンターに置かれたグラス。差し込まれる太いストロー。我慢できなかった。


 しばらくして、カウンターに突っ伏す女の姿に、男は笑った。カウンターに色をつけて金を置き、女の躰を揺さぶった。女の細いうめき声に舌なめずりし、男は女に肩を貸して店を出た。向かうのはいつものホテルだ。

 

 何人目になるだろうか。

 男は、自分が若く、顔がよく、タピオカディーラーのツテがあったことに感謝した。


 ホテルに入った男は女をベッドに横たえると、懐から長細い小さな箱を出した。缶ペンケースに似た小さな箱には、注射器、ゴムチューブ、薬さじ、極小の黒い粒が詰め込まれたビニールパックが入っていた。静脈タピオカ一式だ。


 男は薬さじに生理食塩水を注ぎ、静脈タピオカ用の極小タピオカを混ぜ、注射器で吸い上げた。ホテルの青い光にかざし、二度、三度と指で弾いて空気を抜く。


「――さて、と」


 男は慣れた手付きで女の腕にチューブを巻き、血管を浮き立たせた。


「起きたら、また連絡してよ」

 

 言って、男は女の腕に注射針を突き刺した。


 

 女は夢を見ていた。

 ドーナツ状に成形したタピオカ浮き輪に乗り、茶色い、甘い香りのする海でくつろぐ夢だ。空から無限に降り注ぐ大小様々なタピオカがミルクティーの海に波をたて、ゆらりゆらりと揺られながらタピオカルーアを飲みタピオカを食べる夢。空気中の分子がタピオカの粒に変わり、あるものは大きくなり、あるものは極小の粒となり、女の肌を優しく愛撫した。


 ぬめるような感触。もちもちとした肌触り。肉体からだの上を這い回るタピオカの感触に恍惚とするうちに、女はタピオカが何をしようとしているのか悟った。


 入ろうとしているのだ。

 躰の中に。

 穴という穴から。

 普段どおりの口だけではなく、鼻や、耳や、陰部に、肛門に――、


 毛穴、汗腺、涙腺、肌の肌理きめ、表皮細胞の隙間。


 快感は一転して恐怖に変わった。

 叫ぼうにも口中はタピオカで埋め尽くされ、喉にタピオカがつまっていた。胃袋から吸収されたタピオカが、肌から侵入してきたタピオカと結合し、タピオカ分裂を繰り返しながらタピオカしていく。


タピオカたすけて!」


 女は飛び起きた。タピオカミルクティーに飛び込んだように汗でずぶ濡れだった。ひどい頭痛がした。部屋の臭気なのか、自分の体臭なのか、甘ったるい香りが鼻の奥にまとわりつき、昨夜の記憶が蘇ってきた。


 男に誘われ、タダ酒を呑むつもりでついていって、タピオカルーアとかいうのを飲んで、それから、それから――、

 女は、はっとして左腕を見やった。肘の内側に、ポツリ、と赤い点があった。


「――やられた……ッ!」


 デート・タピオカだ。

 女は頭を抱えたくなった。甘い話だと思っていた。タピオカミルクティーに並んでいるときにタピオカミルクティー片手に声をかけてきた男。絶対に怪しい。タピオカミルクティーを飲もうと思っていなければ無視していた。

 

「大丈夫――大丈夫――」


 女はベッドの上で両肩を抱き、背中を丸めた。

 タピオカミルクティーは合法だ。じゃなきゃ露店で売ってない。タピオカルーアだってきっと合法だ。じゃなきゃバーで出していない。タピオカだから大丈夫なんだ。腕に打たれたであろうタピオカだってきっと合法。タピオカはタピオカ。大丈夫。


 女は自分に言い聞かせながらバスルームに飛び込みシャワーを浴びた。タピオカを打たれた以外におかしなところはなかった。男はタピオカを打ってすぐ部屋を出たらしい。


 ――なんのために。

 

 シャワーの湯気が、冬の霧のように感じられた。女はガラス壁に額を押し当て、自分が横たわっていたベッドを睨んだ。なんてバカだったんだろう。タピオカなんて飲みたくなかったのに、なんでこんなことに。あの男、いったい――、


 涙で滲む視界の端に、ローテーブルと、その上にあるタピオカミルクティーのボトルが映った。女は慌てて飛び出し、バスタオルを躰に巻きながらローテーブルの前に屈み込んだ。タピオカミルクティーのボトルに名刺が立てかけられていた。


『辛くなったらこれ飲んで。それでもダメなら、電話して』


「――ざっけんな!」

 

 女は腕を振り上げたが、しかし、タピオカミルクティーを薙ぎ払う直前で手を止めた。

 なぜ、止めたのか。

 女は自分でも分からなかった。

 

 惨めな気分に耐えながら服を着、部屋を出た。男はホテル代を払っていなかった。ますます惨めな気分になった。外に出ると、太陽がギラギラと照りつけていた。行き交う人々の黒い頭がタピオカの行列に見えた。


 ――タピオカの、行列に、見えた。


 女はぞっとした。右手にもつタピオカミルクティーを無性に飲みたくなった。


 ――ヤバい。


 アスファルトの熱気にあてられたのか、全身から汗が吹き出した――いや、暑さは感じられない。むしろ、寒い。夏の太陽はどこに旅行に行ったのかと思うほど、寒い。女は手で光を遮りながら顔を上げた。黒く巨大なタピオカが空に浮かんでいた。


 ――ヤバい、ヤバい、ヤバい!


 タピオカの禁断症状だ。静脈タピオカされたのが昨日の深夜だとすれば、八時間は経っている。血中のタピオカは消費され尽くし、タピオカ欠乏に陥った脳がありとあらゆる手段を使って女にタピオカを摂取させようとしているのだ。


「あいつ……だから……これ」


 女は泣きそうになりながらタピオカミルクティーに吸い付いた。


 ズゴゴゴゴゴッゴッゴゴッゴゴゴゴゴ……


「足りない……タピオカ、全然足らない……ッ!」


 タピオカを舐めていた。経口摂取で得られるタピオカなんて子ども騙しのタピオカだ。

 タピオカを。もっと強いタピオカを。

 女は脳に命じられるままに名刺の番号に電話をかけた。


『――うぃーす。昨晩はどうもでぃーす』


 男の嘲笑うようなチャラい声に、女は叫ぶように返した。


「タピオカちょうだい!」

『キテるねー。現金下ろしてきてね。言っとくけど、警察とか――」

「分かってる! 分かってるから!」

『声が大きいよー。慌てない、慌てない。安くないから、覚悟しとけよ?」

「――ッ!」

 

 急に冷たくなった男の声色に、女は震え上がった。

 しかし、もう耐えられない。早くタピオカを躰に入れなければと思うばかりで正常な思考は失われていた。

 

 待ち合わせ場所に指定された昨晩のバーに行くと、『Closed』と書かれたプレートの下がる扉が薄く開いていた。

 

 女は周囲に人目がないのを確認し、扉の奥に入った。

 男と、女がひとりカウンターに座っていた。自分と同じくらいの年の女は、タピオカを詰めたガラスパイプを炙り、タピオカの蒸気吸引をしていた。


 こっちこっち、と手を振るタピオカディーラーの男の前に立ち、女は言った。


「早く、早く……早くタピオカ……」

「いーよぉ? 安いのなら、ほら――」


 男はタピオカの蒸気吸引をしていた女の後頭を鷲掴み、力任せに引き起こした。目の瞳孔が完全に開き、タピオカっていた。


「こいつみたいな、タピオカヴェイプだし……」

「そんなんじゃなくて! 今すぐ! 今すぐ効くやつ!」


 女は男に掴みかからんばかりに詰め寄った。


「おいおいおい、落ち着けよ。だったら、二万で、すぐにぶっ飛べるタピオカやるよ」

 

 男が言うや否や、女は財布から万札を二枚出して投げつけた。


「早く! 早くタピオカ寄越せ!」

「完全にイってんなぁ……」


 男はくつくつ笑いながら緩慢な動作で床に落ちた札を拾い、懐からビニールパックを出した。

 静脈用のタピオカにしてはやや大きいタピオカの粒だ。

 女はすぐに腕を伸ばした。欲しくて欲しくて気が狂いそうだった。

 だが、男はビニールパックを遠ざけ、女の首を締めるように握って押し留めた。


「ステイ、ステーイ」


 男はせせら笑うように言って、首を締める手を離した。


「普通に食っても効きゃしねーんだよ、こいつは」


 酸素を求めて激しく咳き込む女をよそに、男はカウンターにタピオカの粒を出した。クレジットカードを器用に使い、タピオカを線状に並べる。


「ほら、これ」


 男は女にタピオカ吸引用ストローを差し出した。

 涙目でストローを見つめる女に、仕方ないとでも言うように、男はストローの片端を鼻の穴にあてがうような仕草をした。もう片方の鼻の穴は手で塞ぎ、ストローの片端をタピオカの列に向ける。


「こうやって、一気に吸うんだよ。やってみ? ぶっ飛ぶぜ」


 女は未知の緊張に喉を鳴らし、ストローを受け取った。鼻の穴に押し込むには少し太いストローの片端を鼻にあてがい、見よう見まねで片側の鼻の穴を塞ぐ。ストローのもう片端を黒々と光るタピオカの列に向け――、


 ズゴゴゴゴッゴゴゴッゴッゴゴゴッゴ


「ヴェグシャッ!」


 くしゃみが出た。鼻に入りきらなかったタピオカが鼻水の糸を引きながらこぼれ落ちた。よだれが口から溢れ、目から涙が落ちた。瞬間、


 世界がタピオカになった。


 バン! と激しい音を立ててバーの扉が開き、男たちが飛び込んできた。


「動くな! 厚生労働省! タピオカ取締局だ!」

「――うぉ、クソッ!」


 男は慌てて席を立った。だが、すぐに裏口からも取締官が入ってきた。


「はーい、動かなーい。もう全部押さえてあるからねー」


 男は、ガクリと、椅子に座り直した。

 取締官のひとりが携帯電話で救急車を呼び、もうひとりが男の肩を押えた。


「キミさー、安いからって技能実習生にタピオカ作らせちゃダメでしょー」

「……あいつらがゲロったんですか」

「ゲロったって、そんな――」


 取締官は苦笑した。


「外国人技能実習生への抜き打ち聞き取り調査は厚生労働省ウチの通常業務だから」

「――でも、タピオカ売るのは違法じゃないでしょ?」

「……キミねぇ、これ見て、そんなこと言える?」


 取締官は女を指さした。タピオカを鼻につまらせ、ケラケラ笑っていた。


「すぐに取り締まれるようにするよ。すぐにね」


 取締官は厳然と言った。



 二○一九年現在、タピオカ規制は行われていない。

 タピオカミルクティーは街中で平然と売買され、SNSでは堂々と購入写真がアップロードされている。タピオカミルクティーが若年層のタピオカ中毒の入り口になるのは明白であるが、取り締まるための法は存在しない。


 ――タピオカは、外国人技能実習生の不法労働、その温床となっている。



 ズゴゴゴッゴッゴゴゴッゴゴゴゴ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

TAPIOKA 2019 λμ @ramdomyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

花弁の手紙

★17 ホラー 完結済 1話