信長公の連枝衆
信長公の兄弟・名簿
織田三郎信秀の、現代に残っている息子たちの、名前と簡単なプロフィールのご紹介です。元にする資料や考察で変わりますので、一例として捉えてください。
随時更新🆙
【長男】
出生 大永4〜8年(1524〜1528)信秀14〜18歳頃に生まれる。
死亡 天正2年9月29日(1574年10月13日)伊勢長島戦先鋒 討死
享年 46〜50歳(数47〜51歳)
母、不詳。 侍女 または正室下尾張守護代織田達勝娘
妻、不詳
子供 娘(丹羽長秀正室、産んだ嫡男の正室が信長公娘)武石信興(異説)
別名 津田大隅守信廣
居城 勝幡、安祥、清須より南西?の城
「信長公の兄弟・織田三郎五郎信廣」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890230802/episodes/1177354054922235753
【次男】
出生 大永5~天文2年(1525〜33)信秀15〜23歳の間に生まれる
死亡 弘治2年6月(1556)自刃
享年 23〜31歳(数24〜32歳)
母、不詳。正室下尾張守護代織田達勝娘、側室。
犬山織田氏二代目信康(伯父)の養子
妻、継室(弾正忠家に戻っての正室)、知多荒尾善次娘、側室、長谷川氏娘
子供、娘、七条(池田恒興養女として飯尾敏成に嫁す。後に下間頼龍正室、後に嫡男が播磨新宮藩主となり、下間系池田氏として残る)
別名 安房守 信時
居城 勝幡(犬山)那古野、尾張守山
「信長公の兄弟、織田喜藏秀俊」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890230802/episodes/1177354054922786499
【三男】(嫡男・家督)
三郎信長
出生 天文3年5月12日(1534年6月23日)信秀24歳の頃
死亡 天正10年6月2日(1582年6月21日)
享年 48歳(数49歳)
母 継室、土田御前
妻 正室、斎藤道三娘、側室、生駒氏娘、坂氏娘、高畑氏娘など
子供 嫡男、信忠他、息子11人か12人、娘6〜12人
居城、勝幡、那古野、清須、小牧、岐阜、安土
【四男】(嫡男)
出生 天文4〜9年(1535年から1540)信秀25〜30歳の頃
死亡 永禄元年11月2日(1557年12月11日)謀殺
享年 17〜22歳(数18〜23歳)
母 継室、土田御前
妻 正室 和田備前娘(高島局)、側室 春日刑部娘
子供 嫡男坊丸(織田信澄、本能寺の変の直後討死)、
別名 弾正忠逹成、武蔵守信成(弘治3年11月判物)
居城 勝幡、那古野、古渡、末盛城
「信長公の兄弟、勘十郎信勝」
【五男】
出生 天文9〜10年(1540〜41)信秀30〜31歳頃
死亡 弘治元年6月26日(1555年7月24日)誤認による射殺
享年 14〜15歳(数15〜16歳)
母 側室
妻 不明
居城 那古野、古渡、末盛
「信長公の兄弟、喜六郎秀孝」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054890230802/episodes/1177354054934016459
【六男】(嫡男)
出生 天文12年7月17日(1543年8月17日)信秀33歳頃
死亡 慶長19年7月17日(1614年8月22日)毒殺、病死
享年 71歳(数72歳)
母 継室 土田御前
妻 正室、長野藤定娘
子供 織田民部大輔信重、式部少輔信則、弥十郎信當
諱は初めは
別名 長野三十郎信良 信兼 上野介 民部大輔 左中将
居城 那古野、古渡、末盛、清須、伊賀上野城、伊勢安濃津城など
「信長公の兄弟、三十郎信包」
【七男】
出生 天文14年(1545)頃 信秀35歳頃
死亡 元亀元年(1570)9月20日 宇佐山戦 討死
享年 25歳(数26歳)
母 側室
妻 不明
子
本城 尾張野府城
【八男或いは九男】
出生 天文14、15年(1545〜6)信秀35〜36歳頃
死亡 元亀元年(1570)11月21日伊勢長島一向一揆 自刃
享年 24〜5歳(数25〜26歳)
母 側室
妻 不明
子
諱は信與(のぶとも)の可能性もある。
本城 尾張小木江城
【八或いは九男】
出生 天文15年(1546)信秀36歳頃
死亡 文禄4年(1594)頃
享年 52歳(数53歳)
母 中根氏娘(三河額田城主)
妻 不明
子供
別名 織田越中守 織田中根
本城 三河額田城 沓掛城 但し城将を置き、本人は尾張に住す 尾張奥城
【十男】
出生 天文15〜16年(1546〜47)信秀36〜37歳頃
死亡 天正2年(1575)9月29日 伊勢、長島攻め 最後の戦いで討死
享年 28〜29歳(数29〜30)
母 側室
妻 不明
子供
嫡男信忠、連枝衆。
【十一男】
出生 天文十六年(1547)信秀36歳頃
死亡 元和七年十二月十三日(1621)
享年 74歳
母 側室
妻 正室 平手政秀娘
子供 河内守長孝、丹後守長政、尚長、斯波義銀息子津川近治室
別名 武蔵守、出雲守 号は有楽斎
十二男
出生 天文21年頃(1552)信秀42歳頃
死亡 天正十年六月二日(1582年6月21日)本能寺の変、二条城にて討死
享年 30歳
母 側室 岩室氏娘
妻
子供 利昌、娘(織田信雄の側室、六男伊予守信為、七男主膳正の母)
別名 又三郎 長則 長規
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