Episode1

1話


 自分はなぜここにいるのだろうか。


 鍵本暖人かぎもとはるとは今だはっきりとしない意識で周囲を見渡した。白い無機質な壁、百人は優に入れそうな広い部屋の天井には、巨大なシャンデリアが吊るされている。白いタイルの床に木製のベンチが数十脚程並べられており、暖人はその中の一脚に座っていた。祭壇の奥に十字架が飾られているのを見るに、どうやらここは教会らしい。


「教会!? 」


 教会で目覚めた。作り替えられたこの世界で、突然教会で目覚める理由など一つしかない。そしてそれは暖人の目覚めを最悪なものにするのには十分であった。しかし暖人は自分が一体なぜ教会で目を覚ましたのかまるで見当もつかなかった。というのも家を出て暫くしてからの記憶がはっきりとしない。確か妹を探しに外へ出たはずであったが、そもそもなぜ妹を探さなくてはいけない状況になったのだろうか、記憶の肝心な個所が抜け落ちているようだ。一日の行動を振り返り思い出そうとしたが、忘れた個所の手前までくると脳が勝手に思い出すことをやめてしまう。まるで気の抜けた風船のように集中力がしぼんでしまうのだ。


 一体どうしたというのか、自分の置かれている状況が理解できず思わず周囲を見渡したが、教会内に人影は無く、誰かに尋ねるというのもできそうにない。それならば一旦家に帰ろうと、暖人が椅子から腰を上げるのと同時に教会の扉が開き、その奥から背の高い女性が現われた。


「お、ようやく目を覚ましたか」


 女性は暖人に向かって声をかけると、まっすぐに暖人の元へやって来る。女性はどこかの技術者なのだろうか、作業着を身にまとい、ウエストポーチにしまわれた工具が歩く度に音を立てている。既に立ち上がっていた暖人を再び座るように促し、暖人が再び腰を下ろすとその横に座った。女性から微かにだが、煙草の匂いがする。席を外していたのはこのためだったのだろう。


「にしてもまあ、面倒なことをやってくれたね少年」

「面倒なこと? 」


 女性の言い様からするに、暖人は何かしらの面倒を起こし、その面倒が原因で教会にいると考えられるわけだが、暖人自身に面倒なことをしたという記憶はない。それどころか、家を出てしばらくした後の記憶も無いのだ。


「申し訳ないんですが、今朝からの記憶が曖昧で、正直自分がなぜここにいるのか、何があったのか……いやそれは大方の予想はつきますが、そうなった理由を覚えていないんです」

「覚えてない? 君、ゲームオーバーは初めてか」

「ということは、僕はやっぱり死んだんですね」


 ゲームオーバー、暖人が教会で目覚めた理由がそれだった。

 黒の柱が出現してしばらく、世界にはコマンドと呼ばれる異能力を持つ存在が現れた。異能力を持つ者は通称コマンド持ちと呼ばれ、その体のどこかにコマンド持ちの証である紋章が描かれている。そして特定の状況に限り、例え首が飛んでしまったとしても、


 暖人はコマンド持ちであった。そしてコマンド持ちである暖人が教会で目が覚めたということは、つまり暖人は何らかの要因で致命傷を負ったということである。


 女性は暖人が自身を「死んだ」と表現したことに対して肯定も否定もすることはなかったが、復活したとはいえ一度生命活動を停止したのだ、そう表現しても差し支えはないだろう、しかしこうして自分が一度死んだという事実を突きつけられても、暖人の欠けた記憶が戻ることはなかった。しかしそれほどのことがあっても何も覚えていないというのも不思議である。あるいは自分の死というショッキングな出来事を思い出したくないと本能的に拒絶しているのか、その判断も今朝からの記憶がない暖人にはできないものであるのだが、


「初めてゲームオーバーになると記憶が混濁するというのはさして珍しいことじゃない。覚えていなくて困るということもない」


 女性は顎に手を当て思案している。まつげの影が頬に落ちた。

 

「しかし何も覚えていないっていうのも気の毒だな」


 しばしの沈黙の後、唐突に暖人の視界が暗くなる。一瞬の閃光の後、視界を遮ったのが女性の手であったことを理解するのと、暖人の欠けていた記憶が蘇えるのはほぼ同時であった。

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-Ending then 昼行灯 @hiruandon0301

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