第六章 賢者は格の違いを教えたい②
「どうして腕相撲なんです?」
「無論、ただの力比べではありませんよ」
ギビルさんが、緩んだ口元を人差し指で隠しながら言った。
おっさんのニヤつきとか、生理的に嫌悪感を抱くレベルの気持ち悪さだ。
「毎年王都で開催される魔法競技大会で、ワタシが過去に三連覇を成し遂げた武勇はあまりに有名な話ですから、アオバ殿も当然ご存じでしょう」
「もちろんです。さすがですね」
嘘です。さっぱり存じ上げませんでした。
というか、もったいつけていないで、さっさと要点を話してくれないかな。ギビルさんとの一時間は、アグリとの一秒の足下にも及ばないってことを教えてやりたい。
「そして、これも知ってのとおり、ワタシは火属性の魔法を得意としています」
知ってのとおりではないけど、赤銅魔法師団なんていう、それっぽい名前の集団にいるし、明らかに火を意識した赤いローブを羽織っているし、まーそうだろうなとは思っていた。
それにロレーヌちゃんは、私に会う前から、自分には火属性の適性がないと知っていた。
つまり、火属性を扱える魔法使いと接点があったってことだからね。
「これ以上はない成績を魔法競技大会で収め、魔王討伐の権利をアナタに譲った後も、勤勉なワタシは己を磨く努力に余念がありませんでした」
譲られた覚えはないだとか、自分で勤勉って言うなだとか、いろいろツッコみたいところはあるけれど、話が長くなってしまいそうなので、私は黙って続きを待った。
「そしたら、くふふ。なんとですね、くふ。聞きたいですか?」
「えーなんだろー。超聞きたいですぅ」
はよ言えや。
「目覚めてしまったのですよ。新たな才能に」
「ええー。すごーい。さっすがー(棒)」
「ここまで言えば想像がつくでしょう。ワタシに目覚めた力は、そう――【肉体強化】です」
「肉体強化ですか。勇者も得意ですね」
「個人的には、勇者のそれを上回っていると自負していますがね」
いちいち自意識が高いことで。いい大人なのに、謙遜は美徳だと思わないのかな。
てことは、何?
【肉体強化】の魔法を使えるようになって、それがかなりのものだから、自分に有利な土俵で勝負してくださいって? そういうことだよね? うわー。
それを情けないことだと思わず、恥ずかしげもなく言えるのは、ある意味才能か。
やれやれだわ。負けてあげるから、ちゃっちゃっと終わらせよう。
あーもう。脂が乗ったおっさんと手をつなぐとか、絶対べとべとしてそうじゃないの。
リヴちゃんに、お風呂の用意をお願いしておこうかな。
「えーと、勝負方法は、お互い肉体強化をしての腕相撲ってことですね?」
「アオバ殿も肉体強化を使えるのですか?」
「はい? そりゃ使えますけど」
いやいや。使えると思ったから、こんな勝負をもちかけたんでしょ?
それなのにギビルさんは、予定が外れたと言わんばかりに苦い表情をしている。
え、まさかこの人。
私が肉体強化を使えないと思って腕相撲勝負をもちかけたわけ?
おやおや、賢者ともあろう者が情けない。これではワタシの不戦勝ですね。
みたいな流れを期待していたの? まさかねー。
「いやまあ、使えると言っても、得意というわけではないですよ? ほんのちょこっとだけ、実戦でも補助として、気休め程度に使っていただけですし」
「そ、そうですか。それなら……」
「安心しました?」
「な、何がですかな!? 失礼なことを言わないでいただきたい!」
図星じゃん。焦りすぎでしょ。
ギビル・アドラヌスさん。思った以上に小物だ。
「し、しかし、腕相撲と言っても、あれですな」
「あれ、と言いますと?」
「ワタシは男、アオバ殿は一応女性。これでは公正さを欠いてしまいます」
あら。そんなことを言い出すなんて。ギビルさん、意外にもジェントルマンなのね。
なんて思うとでも?
一応女性って何? 胸が無いから男みたいだって言いたいわけ? 髪の毛燃やしたろか。
「これはあくまで、魔法を使った力比べ。単純に筋量の差で負けた。公平な勝負ではなかったなどと、後で言われても困ります」
言いませんて。こっちはハナから、勝つ気なんてないんだから。
文句をぶつけることさえ時間の浪費だと思い、ここでも私は不満を飲み込んだ。
「だったら、どうすればいいんですか?」
「代役を呼びましょう」
そう言って、パン、パン、とギビルさんが手を打ち鳴らした。
すると、玄関の扉が外から開けられ、待機していた一人が家の中に入ってきた。
あれ?
もしかして、その人、女性?
目深に被ったローブから覗くのは、灰色のちぢれ髪、鋭い切れ長の双眸、縦に傷のある唇。そして、一七五センチの私よりも、さらに頭一つも高い身長。それらを理由に男性だと勝手に思っていたけれど、こうして近くで見ると、かすかに女性特有の色気がある。
「紹介しましょう。彼女はゾネス・アーマード。ワタシの護え――んんっ、弟子です」
彼女ってことは、やっぱり女性なのか。
ゾネスさんが、私に向けて小さく一礼をした。
多分、歳は私と同い年くらいだ。
「えーと、ゾネスさんが、ギビルさんの代わりに私と腕相撲をするんですか?」
「ええ。今からワタシは、このゾネスに肉体強化を施します。自身を強化する場合と、他者を強化する場合。もちろん前者の方が強化の度合いは大きいですが、その点はお気になさらず。勝負をもちかけたのはワタシですから、多少の不利は受け入れましょう」
「さすがー」
何がさすがなのか、そろそろ言っていてわからなくなってきた。
ぶっちゃけ、自分にかけるのも、他人にかけるのも大差はないよ。ほとんど誤差だね。
でもまあ、女性を代理に立てた点は評価しておこうかな。おっさんの手汗を握らなくて済むのはありがたいしね。
「では、始めましょうか。ゾネス、ローブを脱いで強化の準備を」
こくりと頷いたゾネスさんが、おもむろに自らの着衣に手をかけた。
衣服越しよりも、直接肌に触れていた方が、幾分魔法を流し込みやすいからだろう。
相手はこの勝負に、それだけ本気ってことだ。
ゾネスさんが、バサァッ! と勢いよくローブを脱ぎ捨てた。
現れたのは――。
…………。
…………………………ビキニアーマーだった。
最低限、隠すべきところだけを隠しただけの、防御力? 何ソレ、機動性が最重視です。
みたいな。これを鎧と呼んでいいのか、甚だ疑問しかないファンタジー装備だ。
「ふわぁ」
感嘆したような声に振り返ると、様子が気になるアグリが、顔を半分だけ覗かせていた。
見ちゃダメ! 教育に悪い!
あっちへ行っていなさい、と手振りで伝えると、ぴゃっと奥の部屋に引っ込んでくれた。
「あの幼女は?」
「ウチの子ですけど?」
紹介するつもりはありません。質問も受け付けません。
言葉尻を強くしたことで、ギビルさんも、それ以上踏み込んではこなかった。
というか、質問したいのはこっちだ。
「ギビルさん」
「なんですかな?」
なんですかな、じゃないでしょう。
さっき、女性を代理に立てたことを評価すると言ったの、撤回しますからね。
「ゾネスさんの腹筋、バッキバキに割れているんですけど、どういうことなんですか?」
「腹筋? ……ふむ。言われてみれば、光の加減で、そう見えなくもないですね」
うーわ、光の加減とか言い出したよ。
これ、体脂肪一〇パーセントとかってレベルでしょ。筋肉のせいで胸だってまったく無い。そこはまあ、ちょっと親近感みたいなものが湧かなくもないけれど。
ともかく。この人、絶対魔法使いじゃないよ。どう見たって、ガチの女戦士だ。杖よりも、バスターソードとか、グレートアックスあたりの大型武器の方が似合いそうだもの。
当のゾネスさんは、やる気――むしろ
「あの、いいですか? 明らかに、ギビルさんよりも、アナタの方が腕力ありますよね?」
「ハァイ!」
いや、ハァイ、じゃなくて。
「魔法勝負にこだわるなら、さすがにフェアとは言えないんじゃないかなーと」
「シャァイ!」
シャァイ、でもなくて。
「もしかして、この勝負のために雇われていたりします?」
「ファァイ!」
お願い、会話して。
どこの戦闘民族をスカウトしてきたのか知らないけど、これはもう、おっさんの手汗を気にしている場合じゃない。ギビルさんの肉体強化魔法がどの程度のものなのかわからないけど、相当自信があるみたいだし。加えて、こんな殺気ムンムンの力自慢が相手だ。下手をすれば、腕の骨がぽっきり折れる。
「あー……これ、代役を立ててもいいんですよね? ギビルさんもやっていることですし」
「構いませんが、村の屈強な男を連れてくるとかは反則ですよ」
おまいう?
断言してもいいけど、ゾネスさんよりパワフルな男性なんて、この村にいないよ。
ああもう、こういう時こそカーライトくんの出番でしょうに。
こうなったら、あまり気は進まないけど……。
「モスくん、モスくーん、ちょっとこっち来てー」
我が家の力仕事担当にお願いしよう。
呼ばれたことを不思議そうに、モスくんは、アグリとリヴちゃんを何度も振り返りながら、トコトコと私の所まで歩いてきた。
『何か御用ッスか?』
『私の代わりに、この人と腕相撲してくれない?』
『はにゃん!?』
『勝っちゃうと後が面倒だし、適当なところで負けてほしいの』
許可を待たずに、ひょいっとモスくんを抱き上げ、テーブルに乗せた。
「アオバ殿、まさかとは思いますが、そのネコとゾネスを勝負させる気ですか?」
「そのつもりですけど、問題あります?」
さらりと言ってのけると、ギビルさんは自分の額を、ぺちーんと叩いてみせた。
「これを、どう受け取ればよいのでしょうね。ワタシを格下と侮られているのか、あるいは、勝負を捨ててしまわれたのか、はたしてどちらなのでしょう」
勝つ気がないから、どちらかと言えば後者だけど、安全を第一に考えてのことだよ。
「まあ、いいでしょう。その傲慢、小動物の尊い犠牲をもって、後悔されるとよろしい」
「ンアアァイ!」
ギビルさんは、早くも勝ち誇ったような薄笑いを浮かべ、ゾネスさんは、ウサギを狩るのも全力を尽くすライオンのように、新たな獲物を見据えている。
流されるまま、ゾネスさんに小さな手を握られたモスくんと目が合った。
『姐さん、勘弁してほしいッスよ』
『ごめんごめん。でもほら、身の危険を感じちゃったからさ。モスくんだったら頑丈だし』
『姐さんたちの盾になるのは、オイラも望むところッスけど、これは少し違うッス』
『違うというと?』
『オイラはこれでも四帝獣の一角。つまり、魔王軍の看板を背負っているんス。どんな状況であれ、そんなオイラが負けるということは、リヴさんや他の四帝獣、ひいては、亡き魔王様の顔に泥を塗ることに他なりません。正体を隠していたとしてもです。四帝獣が人間に敗北したという事実は残ってしまうんス。……とはいえ、姐さんの事情も理解できます。全てはお嬢が平穏に暮らせるため。そこに集約していることも……。ですから、今回だけッス。今回だけ、わざと負けることにも――』
『モスくん、モスくん』
『まだ話の途中なのに、なんスか?』
『前見て』
『にゃん?』
指差し、モスくんの視線を対戦相手に向けさせる。
「ブァァアアアアアアアイ!! ンヴルルルァアアアアアアアイ!!」
「ハァーーーーーーーーッ!! ンハァーーーーーーーーーーッ!!」
独特の掛け声と共に、全体重を乗せてモスくんの腕を押し倒そうとしているゾネスさん。
そんなゾネスさんの背を押すように、肉体強化魔法を懸命にかけ続けているギビルさん。
だがしかし、その本気をもってして、モスくんの腕は、まったく、ぴくりとも動かない。
『え、これもう始まっているんスか!?』
『魔王軍の看板がどうのってあたりから、とっくにね』
最初からモスくんに肉体強化は必要ないと思っていたけど、想定以上の戦力差だ。
ほんと、物理法則とかどうなっているんだろ。異世界だなー。
『これ、どうすればいいんスか!?』
『なんとかいい感じに。接戦の末に、辛くもやられたーって感じでお願いします』
『ここからッスか!? オイラに演技力なんて求めないでほしいッス!』
一応、私も魔法を使っている振りだけしておこうかな。
なんて思っていると。
ひょっこりと、またもやアグリがこの一戦を覗き見していた。
その足下にはリヴちゃんもいる。
「リヴ、いい? せーのでね」
「…………」
何をするつもりなのか。アグリが、リヴちゃんとタイミングを示し合わせている。
「せーの。モス、がんばれぇ」
「
エールだった。
こちらの邪魔をしないようにと小声ではあったけど、確かに届いた。
その刹那――
「んにゃッス!!」
「ンブアァアアアアアアアアアアイ!!」
ドンガラガッシャンゴロゴロドッスン!!
……一蹴。
厳密には手ではなく、前足と呼ぶわけだから、この表現は間違っていないと思う。
事情を知らないリヴちゃんの声援が届くや否や、モスくんの頭から敗北の文字は跡形もなく消え去り、ゾネスさんの腕をテーブルに叩きつけた。
テーブルは無残にも真っ二つに割れ、ゾネスさんは強制的に側転。そのままでんぐり返しの途中というか、女性がやってはいけないような、あられもない体勢で沈黙した。
静寂が流れる。
絶句しているギビルさんをよそに、私はゾネスさんの様子を確認した。
よかった。骨は折れていなさそうだ。
床に降り、ハッ、と我に返ったモスくんが、申し訳なさそうに私を見上げた。
いやまあ、仕方ないと思うよ。好きな女の子に応援されたら、男の子はそうなるよね。
後で思う存分、お腹に顔を埋めさせてもらうのは決定として。
あーあ……また面倒臭いことになりそうだ。
勇者パーティーを引退して 田舎で米と魔王の娘を育てます ~たくさん働いたので 賢者はのんびり暮らしたい~ 木野裕喜 @11081
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