第六章 賢者は格の違いを教えたい①

 とん、とん、とん。

 右、左、右、左、と心地良い一定のリズムが肩に響く。


「アオバ、きもちい?」

「最ッッッ高。幸せすぎて死んじゃいそう」

「え、しんじゃうの? やだ……」

「ああっ、大丈夫だから。死なないから。やめないで。続けて続けて」


 本日は、午後――これから予定があるため、午前中に田んぼの除草作業を行った。

 向こうの世界だと、稲をいためずに雑草だけを選択宅的に防除する除草剤なんてのもあるんだけど、ここじゃ手に入らなかったので、生えてくる雑草は、人の手で引っこ抜くしかない。

 頑張った自分へのご褒美に、アグリに肩叩きをしてもらっているんだけど。

 これがまた凄まじい。

 小さな手で一叩きされるごとに、振動と共に癒しと幸せが胸に流れ込んでくる。勢い余って目から溢れ出そうだ。お風呂上がりには、ぜひ背中踏み踏みもお願いしたい。


「だらしない顔ね。こんなのが、かつて魔王軍を震撼させた賢者だとはとても思えないわ」

「同感ッス。勇者パーティーの賢者といえば、抜身の刃みたいに鋭い雰囲気を纏った人間だと噂に聞いていたのに。この村で最初に姐さんを見た時、人違いかと思ったッスよ」

「仕方ないんだって。本当に幸せすぎるんだもの」


 とはいえ、もふもふコンビの言い分はもっともだ。その自覚もある。

 召喚によって命を拾ったとはいえ、勝手に呼び出された上、強引に魔王討伐の旅に出され、望んでもいない戦いに身を投じることになった私は、少なからずやさぐれていたと思う。

 心から笑えたことなんて、ただの一度もなかった。

 それなのに。

 そんな過酷な時間も、すべてはアグリたちとの幸せを手に入れるための下積みだったのだと考えれば、無駄なことなんて何一つなかったと、丸ごと受け入れることができる。


「リヴちゃんたちは、今幸せ?」

「普通」


 リヴちゃんは天邪鬼だからね。言葉どおりに受け取ってはいけない。

 彼女が普通だと言ったなら、それはおそらく「アオバさんと暮らせてとっても幸せ。末永く可愛がってね。いつでも好きな時に、好きなだけもふってくれていいよ」という意味だろうと思われる。


「リヴちゃん、今夜あたり、いいかな?」

「何を求められているのか知りたくもないけど、とりえあえず、絶対嫌と答えておくわ」


 ほんと天邪鬼。でも、そこがまた彼女の魅力かな。


「モスくんは?」

「オイラは、リヴさんと一緒に、もにょもにょ……………………幸せッス」


 確かに聞こえた。

 リヴさんと一緒に、姐さんに愛でてもらえて幸せだと。


「モスくん、どういたしましてだよ」

「何がッスか?」


 照れ隠しか。モスくんらしいや。


「アグリは――」


 首だけで後ろを振り向くと、にぱっと、背景に花を背負った笑顔が返ってきた。

 聞くまでもなかったね。

 私が幸せを感じている。イコール、アグリが笑ってくれているってことだから。

 子供の幸せが、親の幸せというけれど、まさにそのとおりだと思うよ。


 しかし……。

 この幸せを脅かそうとする輩が、間もなくここにやってくる。

 クレタ村には術者である私にしかわからない魔力感知の結界を張っているため、魔法使いが侵入してきたら、すぐにわかるようになっている。

 村長さんに事情を聞かされたのが昨日。

 そして今日。予定どおり、赤銅魔法師団と思われる者たちがクレタ村に入ってきた。


 ギビルさんが一人で来るのかと思いきや、魔力感知によると、その数は十。

 私にわかるのは魔法使いの数だけなので、もしかしたら、戦士系の職も同行させているかもしれない。

 表向きは作物の収穫量調査らしいけど、数がおかしいでしょ。どこのダンジョンに攻め込むつもりだって話ですよ。どう考えても、私対策じゃない。

 足音が耳に届くずっと前から彼らを監視している。

 十人のうち、半数は集落に留まり、もう半数は、村外れのこの家に向かっているようだ。


「アグリ、これくらいでいいよ。ありがとう」

「どういたしまして、だよ」


 私の真似かな。可愛い。


「リヴちゃん、モスくん、今回は穏便に済ませるつもりだから、変な気は起こさないでね」

「あなたじゃあるまいし、そのくらいわきまえているわよ」

「そッスよ。姐さんじゃあるまいし」


 私って、いつから戦闘狂バーサーカーみたいなイメージがついちゃったんだろう。失礼しちゃう。

 ぷりぷりと頬を膨らませている間に、魔法使い一向は到着した。

 すかさず、アグリたちには、居間からは見えない部屋の奥へと引いてもらった。

 ゴン、ゴン、と強めのノックがされる。

 よっこらせ、と重い腰を上げ、私は玄関の扉を開けた。


「はいはい、どちらさまですかー?」


 予想どおり、赤銅魔法師団の名前にちなんだ赤いローブを着た中年男性が立っていた。


「こんにちは。久しぶりですね、アオバ殿」

「わっ、びっくりした(噓)。ギビルさんじゃないですか」


 赤銅魔法師団の来訪は内密にと手紙にあったそうなので、私は何も知らない。突然の訪問に対して軽く驚いた。そんな素振りをしてみせた。


「うわー。本当に久しぶりですね。ご無沙汰しています。お元気でしたか?」

「ええ。アオバ殿こそ、お元気そうで何より」


 ギビルさんは、私のことを〝賢者〟とは絶対に呼ばない。

 一見腰が低そうに見える慇懃な態度は、気に入らない私に対する嫌みが込められている。

 ギビルさんの後ろには、同じく赤いローブを着込んだ男の人たちが四人控えている。

 見たことがある気はするけど、一度も喋ったことがないので、名前までは知らない。

 年齢にバラつきがあるものの、ギビルさんより上っぽい人はいないようだ。


「中に入れていただいても?」

「あー、はい。狭いところですけど」


 チラ、とギビルさんの背後にもう一度視線をやった。

 大の男が五人も入ったら、圧迫感が凄いことになる。アグリが怯えないか心配だ。


「ああ、入るのはワタシだけで結構。――お前たちは外で待て」


 ギビルさんが上司で、後ろの人たちは、部下みたいなものらしい。

 彼らは特に不満を漏らすこともなく、その命令に従った。

 中に入れないなら、どうして連れてきたんだろうね。

 なんて。十中八九、私を逃がさないための見張りだろう。

 村長さんをもてなした時と同じく、居間のテーブルにギビルさんを案内した。


「ああそうだ。最初にいいですか?」

「なんでしょう?」

「私がこの村にいるってことは、フィアルニア、勇者から聞いたんですか? 一応口止めしておいたんですけど」

「いいえ、問い詰めはしましたが、彼女は最後まで否定していましたよ」

「あれ、そうなんです?」


 なんだ。疑ったりして悪かったかな。今度会ったら謝らないと。


「ええ。アオバはクレタ村にはいなかった。金髪の愛らしい子供やアザラシ、ネコに囲まれて楽しそうに暮らしてなんかいなかったと、それはもう強く否定していました」


 悲報:人類の希望である勇者はアホでした。

 どう考えても逆効果でしょうが。


「……それで、本日の御用向きはなんですか?」


 だいたい知っているけど、一応ね。


「戦線に戻れということでしたら、お断りします」

「違いますよ。ワタシはどちらかと言うと、あなたには戦場から退いていただきたいと考えていましたから。いくら才能があるとはいえ、こちらの都合で召喚した異世界人を、有無を言わさず戦わせることに、ずっと疑問と罪悪感を抱いていましたので」

「ギビルさん……」


 うっそくさ。

 いやいや、あなた私のこと、どこぞで野垂れ死ねばいいのに、くらい思っていたでしょ?


「戦線復帰じゃないなら、どんな用件があって来られたんです?」

「あなたがギルドのルールを犯しているという疑いがあり、その確認に来たのですが」

「ですが?」

「村人たちが、それはもう、必死にあなたの善行を説いてくれました」


 好き。

 決めた。私、この村に骨を埋めます。


「じゃあ、私が魔力提供の対価にお金を要求していないって、信じてくれたんですね?」

「おや? ギルドのルールを犯しているとは言いましたけれど、その内容までは明かしていなかったと思いますが」

「誘導尋問なんて卑怯ですよ」

「完全に自爆でしょう」


 私は諦めたように溜息をついた。


「……ええ。ギビルさんが来ることは、村長から聞かされていました。その理由も」

「先程の演技、拙すぎて、笑ってしまいそうでしたよ。そっちの才能はないようですね」

「大きなお世話です。言っておきますけど、私はやましいことなんて何もしていませんよ」


 魔王の娘であるアグリを引き取ったことも、私にとっては、なんら恥じることはない。

 だから、やましいことがないと言ったのも、嘘じゃない。

 これに対して、どう食い下がってくるのかと思いきや、ギビルさんは、意外にも「わかっています」と、私の言葉に同意を示した。


「ここらで腹の探り合いと、上辺だけの会話はやめにしましょうか。あなたも薄々は気づいているのでしょう? 私の目的が他にあることを」

「実は、私に秘めた想いがあって、その気持ちを伝えるため、はるばる王都から来たとか」

「また笑わせるつもりですか?」

「冗談ですよ。私も四十過ぎたおっさんは好みじゃないですから」

「気が合いますね。ワタシも独身ですが、あなたみたいにヒョロ長いだけの女性は御免です」


 ふふふ、うふふ、と不気味な笑みがこだまする。


「ワタシはね、つくづく思っていたのですよ。あなたは確かに魔法の才能がズバ抜けていた。ですが一年と経たずに、あの勇者たちと肩を並べられるほど成長できるものだろうかと」

「何が言いたいんです?」

「はっきり申しましょう。あなたが賢者の称号を冠することができたのは、仲間たちの功績があったからこそ。あなたは、そのおこぼれで名を上げたに過ぎないのです」


 ほっほー。言いますねー。

 なるほどなるほど。私がトラの威を借るキツネ。金魚のフンだと言いたいわけですか。


「結果的に魔王は討伐されましたが、世界の命運を託すのですから、もっと人選すべきだったのです。召喚などに頼らなくとも、他に有能な魔法使いはいたのですから」

「まるで、自分の方が勇者パーティーに相応しかったと言いたげですね」

「否定はしません」


 しないんだ。正直なことで。

 でも十代の少女たちに、一人だけ四十過ぎたオジさんが混じっているのは、私以上に浮いてしまうと思うよ。宿代だって、男女別で余計にかかるし。まあ、基本は野宿だったけど。


「どうやら、ギビルさんには、とことん嫌われているみたいですね」

「それはお互い様でしょう」


 私は別に、ギビルさんのことはなんとも。……いや、どうでもいいか。

 この人に好かれようと努力するくらいなら、その時間をウチの子たちのために使いたい。


「そろそろ本題に入りましょうよ。愚痴を吐くために来たわけじゃないんでしょう?」

「ええ、もちろんです」

「私から賢者の称号を剥奪したい。ギビルさんの目的っていうのは、それですよね?」


 そしてあわよくば、自分が新たに賢者を名乗りたい――と。

 そこまでは言わなかったけど。

 ギビルさんは図星を指されても焦ることなく、にちゃあ、と。

 小さい子供が見たら、泣き出してしまいかねない。若い女性が見たら、男性不信になりかねない。そんな醜悪な笑みを作った。


「ご名答です」

「私は別に、賢者なんて称号に固執していないんですけど」

「称号を返還などできない。それがわかっているからこその発言ですね」

「そんなつもりはないですよ」

「称号とは、人から授与されるものではなく、なんらかの分野で周囲が世界一だと認めた者にのみ名乗ることを許された、いわば名刺のようなものです。あなたから賢者の称号を奪おうとするなら、あなた以上の魔法使いであるという証明をしなければなりません」


 意外にも、真っ当な意見が出てきた。


「それはつまり、私と力比べがしたいってことですか?」

「そのとおりです。分不相応な名声にかじりつこうとする浅ましい気持ちも、理解できなくはないですがね、受けていただきますよ。その称号は、ただ運が良かったというだけで手に入れていいものではありません」

「このこと、教団は?」

「公認ですよ。アオバ殿より優れた魔法使いの出現は、教団にとっても喜ばしいですから」


 面倒臭い。ギビルさんの思い込みも、教団の判断も、ひたすら面倒臭い。

 賢者の称号なんて、心底どうでもいい。欲しいなら、いくらでも差し上げるのに。

 こうなったら、ちょっと癪だけど、適当に負けて、気分良くお帰りいただこうか。

 私が賢者でなくなったら、弟子のロレーヌちゃんは、がっかりするかもしれないけど。


「具体的に、どんな勝負を?」

「あなたが言ったとおりですよ。力比べです」

「というと、例の重量挙げですか?」(※追憶・賢者は魔王父娘と語りたい②参照)

「いえいえ、もっと簡単なものです」


 もったいつけて、引っ張らないでほしい。

 こちとら、アグリの肩叩きを切り上げてまで時間を作ってあげているんだから。


「思いつきませんか? では、お答えしましょう」

「なんだろー。ドキドキしちゃうー(棒)」

「ズバリ、腕相撲です」


 魔法使いの要素、どこいった?

 というか、この世界にも〝相撲〟なんて言葉が存在するのか……。


――――――――――――――――――――――――――――――

※次回の更新も、一週間ほどお時間をいただければと思います。

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