第10話 サヨナラ電車


『サヨナラ列車』


北風 嵐




【1980年(昭和55年)11月27日】


この日は、高森健吾にとって生涯忘れられない一日であった。大阪市営地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の路線が延伸開業したため、南海平野線は担ってきた役割を同線に譲り、この日をもって廃止され、66年の歴史に幕を閉じた日なのである。

またそれは、この日を持って健吾が退職する日でもあり、38年間の運転手生活にピリオドを打つ日なのである。18才で入社し、2年間の車掌期間を経て運転レバーを握り、この路線を走って来たのである。


廃止当日のこの日は、長年支えて貰った沿線住民に感謝の意味を込めて、始発から終発まで「さよなら電車」として無料開放がされた。始発から終電まで超満員で、沿線には別れを惜しむ人たちが鈴なりになって手を終日振ってくれたのである。どの駅のホームも写真を撮る人や別れを惜しむ人でごったがえした。

南海平野線の最終日は、同時に、延伸された大阪市営地下鉄谷町線「天王寺~八尾南」間の開通日でもあった。でもこの日の主人公は何といっても「南海平野線」で、開通した地下鉄に乗る乗客は三々五々という状況であった。


平野線がそもそも何故廃止されたのか?

高度成長期の沿線の宅地開発とこれに伴う著しい人口増加(八尾市も)に対応するため、昭和46年都市交通審議会において、「この地域に高速鉄道の整備が必要」と答申された。平野線を高速化して谷町線・天王寺駅と接続する案等が検討されたが、地下鉄谷町線の天王寺-八尾間の延伸が決定され、平野線の廃止が決まった。

戦前、平野線は八尾を経て柏原までの延伸の許可を得ていたが、満州事変以降の戦時体制下でこの計画は断念された。もしこれが実現していたら…と、健吾は思わぬでもなかった。


午後11時23分、平野発・恵美須町行最終電車が発車する。この電車に健吾は運転手として、健太は車掌として、親子電車が電鉄の計らいで実現したのである。健吾は退職するが、健太は阪堺線に移ることが決まっている。

女子高の吹奏楽部の「ホタルの光」が流れ、女子高校生から健吾、健太に花束が手渡され、その二人を撮る写真のフラッシュがまぶしく焚かれた。

テレビカメラが映され、アナウンサーのマイクが出され、感想を聞かれた。健吾は中々言葉が出てこなかったが、万感の思いをこめて、「この線を運転出来て幸せでした。ありがとうございました」と頭を下げた。必死で流れるものを健吾も健太も押さえた。


この時間でも駅にも、沿線にも別れを惜しむ人が一杯であった。田辺駅では定さんと一児の母親となって子供を抱く菊子さんの姿もあった。健吾は一つ一つの駅の思い出を噛み締めながら運転した。電車は終点、恵美須町駅に入った。

ホームに健吾は懐かしい人を見た。竜吉と妙子であった。お浜さんの顔もあった。


                   了


*https://www.youtube.com/watch?v=ffotPAQiS18

で貴重な動画が見られます。(白黒15分)

*http://isv.sakura.ne.jp/rail/hiranosen.htm

サヨナラ電車の映像あり(カラー16分)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

南海平野線物語 北風 嵐 @masaru2355

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る