路地裏に咲く花
生ぬるい風が吹きつける。煌々と輝く夕日は、がれきの煙で霞み、時として聞こえる銃声は、この街の終わりを告げているようだった。
「ここら辺に人は」
「ううん、いないよ。彼らともまだ距離がある。けど、気を付けて。レーダーに映らないところに敵がいるかもしれない」
片足を引きずりながらも、彼女の肩を借りて道を歩む。いつもなら聞こえるはずの賑やかな声はなく、もぬけの殻と化したコンクリートの建物たちが寂しく映る。
「行き先は?」
「この先に教会がある。そこまで行こう」
「分かった。でも、無理はしないで。休みたくなったら言ってね」
「ありがとう」
「なんだか愛の逃避行みたい。この前ドラマで見たんだ。追っ手から逃げるために彼は彼女を連れて家を出るの。行く先々には、いくつもの壁が立ちはだかるんだけど、彼は必至に彼女のことを守っていて」
「今僕は君に抱えられているけど?」
「いいの。少しくらい違ったって」
二人の間に仄かな笑いが起こる。緊張の合間に芽生えたそれを、街を過ぎる風はどこか遠くに連れ去っていった。互いに周囲を警戒しながら、足取りを進めていく。見渡せども、色褪せた風景が続くばかりだが、古びた写真のようなそれらは、これまでの日々を鮮烈に脳裏に思い浮かばせた。
「そこを右に曲がろう。もう少しだ」
一歩一歩、確かめるように歩いていく。脈絡のない会話が途切れ途切れ行われ、今を、これまでを確かめ合った。出逢った日のこと、過ぎ去っていった過去のこと。石造りの教会が道の先に見える。この物語にゴールなんてないはずなのに、不思議とそこが二人の旅の安息地に見えた。もうすぐだ。足取りが早まる。途端、風を切る音。
「来る」
肩から腕が外れ、体が押される。視界が逆転し、衝撃。爆撃の音。熱い。風。衝撃。体が吹き飛ばされる。地面。痛い。痛い。地面。理解が追いつかない。体は地面に打ち付けられ、彼女の姿が近くに見当たらない。身を強打したせいか、すぐに起きることはできず、煙に紛れ、這いつくばっているのが精いっぱいだった。煙の向こうに何か見える。空を飛ぶ何か。何か。ドローン爆撃機だ。二機。またこちらに引き返してくる。動いてはいけない。彼女は無事なのか。辺りを見るが、煙が濃くてよく見えない。どうして。一瞬、思考が頭を過ぎるが、すぐに今に思考を切り替える。動く影。爆発の音。再び爆風が襲う。思わず目を塞ぐ。静寂、静寂、静寂。そっと目を開けると、二体の爆撃機はその姿を消していた。
「大丈夫!?」
彼女の声が聞こえる。無事だ。彼女は無事だ。
「ああ、何とか。そっちは」
懸命に声を上げる
「大丈夫。でも」
生存の喜びに突き動かされ、すぐに彼女のもとに駆け寄っていく。煙が晴れて徐々に彼女が見えてくる。しかし、それは見知らぬ光景だった。あるはずの腕がない。
「きみを連れて歩くのはもう難しそうだ」
両腕で彼女を抱きしめた。目の前のどうしようもない現実に、唇を噛みしめる。やりきれない思いだけが、身を襲う。
「大丈夫だよ、私は。痛みも感じないし、生命機能にも支障は出ていない。大丈夫。それより、お気に入りのワンピースがちょっとぼろぼろになっちゃったかな」
「なに言ってるんだ。どうして。どうして」
「ここは危険だよ。そこの影に隠れよう」
辺りには火の粉が舞い、いまだに火炎が建物を包んでいる。僕たちは、よろめく体で路地裏へと身を移した。
「僕が外に出ようと言ったばかりに」
「やめてよ。私が選んだんだよ。そこでたまたま爆撃に巻き込まれた。それだけのことだよ」
「」
「それに、もういいの。きみと一緒にいられた。それだけでいいの」
隣に座る彼女を見る。その瞳は、確かにこちらを眺めていた。彼女の頭を抱きかかえる。彼女も力を緩め、こちらに体重を預けてきた。ああ、悔しいな。どこでもないただの路地裏には、生活の残り火たちが散らかっている。誰が語り継ぐわけでもない戯曲たち。その一つにしかすぎない。でも、生きた。ふと上を見上げると、狭いビルの間が空が見える。流れる雲。舞い散る風。
「なあ、結婚しよう」
「え?」
「結婚」
「それは分かるけど。今言うことかな。状況見て言ってほしいんだけど」
「今だから言うんだよ。結婚しよう」
「 ほんと、きみは、全然わかんないなあ」
「君とずっと一緒にいたいと思う」
「 」
「だから、君と結ばれたい」
「 」
「受け入れてくれるかな」
「 うん」
「誓いのキスを」
「」
「断られるかと思った」
「 そんなわけないよ」
「よかった」
「 どうして。私ロボットだよ。いいの」
「今さら何言ってるんだよ」
「 生まれてきてよかった」
「愛してる」
「 私も、愛してる」
「指輪買わないと」
「 そうだね」
「結婚式の準備も」
「 そうだね」
「それから、子供の名前」
「 」
「でも、君との間に子供できるかな」
「あ、みんなにもすぐに伝えないと。きっと驚くだろうな」
「家も新しく引っ越そうか。新生活を始めて」
「それで、あとは」
肩にのしかかるそれは重く、重く倒れかかってきた。その身を崩さぬよう、強く抱きしめ、君の目を閉じた。自分の嗚咽声だけが響く。その顔を見る度に、取り返しのないものたちが胸を貫いていく。声なき想い。もういい。終わったんだ。考えるのはよそう。この街と共に眠る。それだけでいい。近くでは、また爆撃の音が聞こえる。建物は崩れていき、粉塵が路地裏にも広がる。きっと、ここも長くはない。後悔なんてなかったはずだが、走馬灯が流れる。時々映る彼女の笑顔がまぶしい。この街に吹く風は少し冷たすぎた。僕は力なく体を起こすと、彼女の亡骸を抱え、再び教会へと歩き始めた。
花柄のアンドロイド ami @amii
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