第4話 酒毒

 サァ、買った買った。尊厳の切り売り、量り売り。安いよ、安いよ。




 「ねぇ、聞いてるの?」掠れたアルトが耳朶を打つ。しゅる、と襦袢じゅばんが衣擦れの音を立てて、彼女が起き上がったことを知らせた。白く細い指が肩に這い上がってくる。「また煙草。身体に悪いわよ」彼女はそう言いざま、私の指先からPEACEを奪い、珊瑚のような唇に咥えてみせた。答える気もしなくて、ただ呆然と窓の外を見やる。梅雨時の、薄墨を垂らした真綿じみて薄明るい空の重さ。駄目になっちゃった。恥の多い人生を。Les miserables惨めな人々 !そんな益体もないフレエズばかりがぐるぐるして、自分の醜悪さがたまらなくなって、彼女のアパアトを飛び出した。




 嗚呼、無残。吐き出せるものもないのに、吐き気だけが残っているような人生。

 午前の街を歩けば、自分のすり減った処ばかりがショウ・ウィンドウに反射してぎらぎらしている。

 午後の街を歩けば、腕を組んだ若者の誇らしげな流し目と、あちこちで交わされる囁きが突き刺さる。

 黄昏たそがれが街を飲み込み、よい子がお家に帰る頃、やっと私は人心地がつく。このみじめったらしい襤褸らんるを、味だの、経験だのと誤魔化せる時間。黄変していく景色と、暗がり、濃い影。そんなものに紛れて出会う人々は、どこか遠くの思い出のように、印象ばかりが脳裡に残る。夜目、遠目、傘の内。影法師でぼかさなけりゃ、あんまりな自分の姿に憤死してしまう。




 ふと我に返ると、どうやら自分はBarでご高説を垂れていたところらしい。寝言ばかり言っているような人生だから、さっきまで自分が何を熱弁していたのだか、てんで覚えてない。ええ、何を言ってましたっけ、なんて、話し相手に尋ねると、相手が目を白黒させながらこれこれの話でした、などと教えてくれるのだ。こっちが澄ました顔でああそうでした、それでね、と続けると、相手もちょいと変だぞと思いながら煙に巻かれてくれる。それにしても、こいつはお高いウヰスキイ。にこにこしながら話しの続きを待っているの耳が桜貝のように染まっていて、切なくなった。駄目だ、駄目だ。こんな奴に引っかかって、阿呆の寝言を聞いて喜んでいちゃ、駄目だよ。もう、お帰んなさい。




 「うちの人が申し訳ありません。お代は必ず」くらくらと揺れる頭に、気丈な声が入ってきて、一瞬、はっとして、酔いが醒めた。目の前で燕の雛のように大口を開けて泣き叫ぶ我が子は、腹が減っているのか、おしめか。濡れた頬が、梅雨に濡れた桜桃のようだと思った。悪いお父ちゃまですねぇ。お父ちゃまがあんまりだらしなくて、悲しいですねぇ。あつく湿った、ミルクくさい頭をなでながら囁くと、泣き声が増えたような気がした。




 恥を知れ!恥なら人一倍知っている。知っているから、尚更逃げ出すのだ。

 こうやって自分を切り売りするのも何時まで保つかと思えば血の気が失せるさ。




 ね、一緒に死んでくれないか。

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こわいはなし はろるど @haroldsky

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