第7話 サムソンの最期

「転会はしないそうです」

 いつのまにか憩いの場と化した会議室で、フィナンシェを頬張りながら正義は言った。手作りとは思えないほど高品質な焼き菓子は、丹波夫妻から小会の牧師と長老宛に贈られたものだ。迷惑を掛けたお詫び、そして謝礼のつもりらしい。

「非公式ではありますが、学校側から謝罪されたそうです。授業料も一部返金されるとか……慰謝料のつもりなのでしょう」

 私立でしかもミッション系の学校。売りである「キリスト教精神」や「清く正しく美しく」のイメージを著しく損なう『いじめ』の事実はなんとしても隠蔽しておきたいのだろう。光はそれを見越して丹波夫妻を焚きつけたのだ。

「でも最終登校日の礼拝中に決行するとは、お嬢さんも大胆ですね」

 正義は喉を鳴らして笑った。栄一は小さくため息をつく。入れ知恵をした張本人は、悪びれもせずに「もっとも効果的な日を選んだまでです」と答えた。

「毎朝行われる礼拝で、同級生を前にしての聖書朗読。つまり公の場です。これまでの恨みつらみを吐くには絶好の機会でしょう」

 同日に丹波夫妻が学校に乗り込み直談判すれば学校側も対応せざるを得なくなる。何しろ娘が暴挙に出た直後だ。親だって何をしでかすのかわかったものではない。

 作戦は成功と言っていいだろう。非公式とはいえ学校側がいじめの事実を認めただけでも訴えたかいはある。

『立つ鳥跡を濁さず』という考えは光にはない。死なば諸共。ましてや二度と関わりたくもない学校の今後など知ったことではないのだ。

「元の鞘に収まった、ということでしょうか」

 二つ目のフィナンシェに伸ばした栄一の手がはたかれる。犯人を見やれば隣に座る姉。黙々とフィナンシェを食べている。栄一の記憶違いでなければ四つ目のフィナンシェだ。牧師がケチなのはいかがなものだろう。

「いいえ、以前より考えていた転校と転居はするそうです。ただ当教会へは引き続き通われるとのことでした」

 元々転居先はお隣の南浦和なので、浦和仲町教会に通うことに不都合はない。あくまでも心情的に通いづらくなったから転居を機に教会も代えようとしていただけだ。

「これで、あなたの悩みの種も減りましたね」

 光は嫌味っぽく目を細めた。そもそも光が果穂を殺そうとしなければ教会員が減るようなことはなかったのだが、その点については言及しないでおくことになした。際限のない論争になる。栄一は平和主義者だった。

「あいにく頭痛の種は残ったままですけどね」

 せめてもの栄一の皮肉にはどこ吹く風。光は不要となった紹介状をゴミ箱に放り込んだ。

「姉さん、仮にも転会の書類なんですから、捨てるにしてもちゃんと破いて」

 封筒から取り出した手紙に両手を掛けた状態で、栄一は固まった。そのつもりはなかったのだが紹介状の文面が視界に飛び込んできたからだ。

「……何ですか、これ」

「紹介状です」

 武蔵浦和教会の牧師含む小会宛にしたためた紹介状は、どういうわけか「武蔵浦和教会の者共に告ぐ」というくだりから始まっていた。

「丹波智美は故あって『一時的に』当教会を離れ、貴教会に所属することになるが、これはあくまでも緊急措置である。ゆめゆめお忘れなきよう。そして、しかるべく時が来たあかつきには、すみやかに当教会へと戻すように。さもなくば神の御名において相応の――」

 冒頭だけでこんな調子だ。総数十二枚に渡って丁寧な字でそら恐ろしい言葉が書き連ねてあった。

「あんた転会先の教会に毎回こんなもん送ってたんですか!?」

「ええ」

 しれっとのたまう光に、栄一は激しい頭痛を覚えた。

「こんな、脅迫状紛いなものを……っ!」

「脅迫などではありなせん。宣戦布告です」

「どこの世界に他教会に宣戦布告する牧師がいるんですか!」

 光は胸を張って答えた。

「あなたの目の前におります」

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神に祈りたまえ 東方博 @agata-hirosi

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