第33話 聖女様よ、頼むから消えてくれ
「殺せ……」
カマルは精一杯の敵意を込めてボロを睨んだ。ハルルーベを狂信しているが、彼らが自身の求めるものは命令を完璧に実行する能力だけであることもわかっている。今やカマルと天使らは、皮肉にもハルルーベの威光を汚した冒涜者となってしまっていた。
まだしも、走破まで奪われている。
ボロはカマルを見おろし、聖女の方を見た。
その後ろで異次元の戦いに驚愕しているウフトとは対照的に、かの聖女はいつも通りのほほ笑みを浮かべているだけだった。
「止めないのかよ聖女様!」
聖女はしずしずとボロの傍まで歩き、ウフトが続く。ほこりや小石や土が四方に飛び散っているが、彼女には僅かの汚れも見られない。
「俺はこいつを殺すぞ」
「彼はそのつもりでやってきています、やむを得ないでしょう」
カマルが聖女を憎しみの目で捉えた。状況的にも彼の意思でも聖女の言葉は正しい、だが、それ故に憎悪を強くした。偏見をもってすれば、いかなる像も歪んで見える。
その姿に、ボロは自然に自身を重ねる。
「……やっぱり聖女様は嫌いだぜ」
「ですが、正しきことは正しいのです」
ボロはふいに、遠巻きにこちらを窺っている軍勢を見た。人の集団であるはずなのに、小さななにかの塊にしか見えない。意志を持たぬ形、それは遠きに立っているからとは思えなかった。そして、それはなぜかカマルとも似ている気がした。
「殺せ……恥知らずの地の冒涜者め……」
「聖女様、こいつらを治してやれよ。そして……前行った、あの白い街にでも送ってくれ」
「! ふざけるな!」
カマルは必死に叫んだ。そうなれば嫌でも神代に会わねばならない、使えぬ屑として見捨てられるのは絶対に避けたい。
「あいつらはいい! だが私は―」
「知るかよ」
ボロの言葉には全く甘さがなかった。
「散々馬鹿にして、都合のいい時だけねだるんじゃねえ」
「貴様―」
カマルと天使たちは消えた。聖女の偉丈夫が、ボロの言うままイブリースに飛ばし治癒を施したのだろう。
勝敗は完全に決した。
「懐かしいの」
「あんたもな」
「こいつが新しい主かの? 若いの」
「あんたがいままでいたのだって子供でしょ~」
金鐘らが変じる。走破は苔むした巨大な老亀の姿へと変貌した。
「朧纏、まだあるから来てくれ」
「え~?」
渋りながらも朧纏はマントへ変じボロの背へと張り付いた。そのままボロの意を汲んで、空を覆い尽くさんばかりに伸長していった。
軍勢、そして村に待機していたロールたちも慄く。空を巨大なボロの幻影が占めていたのだ。
「いいかお前ら……俺はタスロフの私冒険家ボロッケンダーズ
だ。……俺はハルルーベと……そいつがどうこうできないことで悪くする奴らが大嫌いだ。だから、そういうやつらが俺にしろ誰かにしろ、殴ってくるなら嫌って言う程殴り返してやる。……あと、俺は聖女様はもっと嫌いだからな、忘れるなよ」
それだけ言って、ボロの幻影は消えて本人もねぐらへと歩き出して聖女も続いた。ウフトは、途切れ途切れの上に後半からボロが赤面しているのを見て、王の血肉に受けた衝撃を和らげた。
ハルルーベと軍勢はそのまま解散してしまった。もともとが天使の顔立てで、戦闘の指示は出ていなかったのだ。とはいえ、王の血肉の威力と天使の敗北、そしてボロの宣言を受けたことはその後の統治に少なくない影響を与えた。
タスロフがハルルーベの植民地化したことは事実であるが、聖女の下に走らずとも抵抗活動を行う者が現れたのだ。
彼らはボロの拙い宣言を、それでも標語として掲げていた。時を経てそれは、虐げられし者たちの心の支えとなっていった。
ボロとしては、ただ言いたいことを並べただけである。後年、彼はこの言葉を聞き思い返すたびに赤面して必死に否定したが、とうとう消し去ることはできなかった。
ボロは村を経由してねぐらに戻り、飯をロールと食べるとそのまま寝てしまった。聖女はタケーが必死に引き留め、新たに信徒となるを希望した者の選定と説諭を求め、走破に興奮するゼブンをなだめながらムタトムは組合について煮詰めていった。
「おはようございます」
「……ああ」
ボロは、聖女の用意した食事の匂いで目が覚めた。王の血肉も珍しく勢ぞろいし、ウフトもいた。彼女に関しては初めて来訪したせいか落ち着かない様子だ。
「ぼろ屋だの」
「うるせーぞ」
走破に噛みつきつつ、自身の食事を用意する。ロールはまだ起きない。
「戦争になるのかな」
「どうですかね」
「ん~、そういう雰囲気でもないんじゃないか」
武具らは断言しなかった。少年に判断させるべきとしている。
ハルルーベの改革、タスロフ独立、冒険家組合、天使ら、王の血肉、ボロが悩まねばならない事象は山ほどある。
「いかがですか?」
「いらねえよ!」
最大最優先がこの聖女である。果たして自分は生を終えるまでこの聖女から逃れえぬのだろうか。
「聖女様よ」
「はい?」
「頼むから消えてくれ」
「だめですよ、そんな人を傷つける言葉は」
安酒の名の少年と聖女の宗教改革は、悲喜劇を内包し確たる真実もぼやけさせ歴史という名の物語へと落ち着いていった。
確実なのは、聖女の微笑みはついぞ消えなかったということのみである。
聖女様よ、頼むから消えてくれ あいうえお @114514
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