第5話 地獄の平穏

「何をしテいル。死者の魂に対すル過度ナ暴力は禁止されテいるはずダ」


 人型の鬼が現れた事に驚いている様子の下級鬼。だがすぐに姿勢を正し、人間には聞き取れない言葉を発した。


「――――っ」


「ダマれ。頭ヲ潰そうとしただロ。それダけは許されナい」


「……」


 何やら言い訳をしたように見えたが、どうやらすぐに論破されてしまったようだ。どうやらこの人型の鬼には下級鬼の言っている言葉が理解できるらしい。

 しかしそんなやり取りを意にも介さない男が一人。


「よお、久しぶりだなアンタ。俺の事覚えてるか?」


 水口正人だ。

 この状況を作り上げた本人であるだけに、目の前の状況に動揺せずにいられる。ここまでは正人にとっても想定通りだったから。


「知らン。落ちてきタ死者ノ顔などいちいち覚えてナい」


「そりゃ冷たいな。この場所に案内してくれたのはアンタだろうに。で、状況は分かってる?」


 正人に言われて、人型の鬼は初めて周囲を見渡す。

 どこからともなく現れて下級鬼を殴り飛ばした張本人ではあるが、全てを理解しているわけではないらしい。

 そこで初めて、歪な石の山に気が付いた。すかさず下級鬼に対して問いかける。


「どういウ事ダ?」


「――――――――っ」


 下級鬼がひと際長い言葉を発する。どうやら今の状況を説明しているらしい。正人には何を言っているのか分からないが、とりあえず会話が終わるのを黙って待つ事にした。


「……なるほド、分かっタ」


 説明が終わったらしい。人型の鬼が正人の方に向き直る。


「アレはお前が作っタのか?」


「そうだよ。今聞いたんだろ」


「嘘をつくナ。地面を掘っタだケだと聞いタ」


「地面を掘った? それは少し違うな」


 痛いところを突かれたかに見えたが、正人はそれに全く動揺しない。余裕の表情で説明を始めた。


「現世で読んだ本に書いてあった。賽の河原は石を積み、石塔を作ることで親の供養をする場所だと。そのために石を積むのだと」


「そうダ。お前は石ヲ積んデいない」


「いいや、俺はずっとよ。作戦を変えてから、周りから拾い集めてきた石を地面の上にずっと積んでいた」


 正人はこれまで、積みやすい石を探して歩き回っていたわけではない。捲り上げたシャツに収まるだけの大量の石を抱えて、この場所に置く。その後石化しないために一旦石塔を作り始め、下級鬼に崩されてから再び石を拾いに行く。

 それを繰り返して、周囲からこの場所に石を集めていたのだ。

 次第に地面に置いた石は高く積み上がり、供養の石塔を作るのに十分な高さにまで達していた。


「それに気付かずに、そこの鬼が放置していただけの話だ。まさか地面が石塔になるなんて思いもしなかったんだろうな。そして十分な高さまで石が溜まってから周りの余計な石を崩す。そうして出来たのがあの石塔だ」


「……なルほど。そレは分かっタ。だが、アレのどこが石塔ダ」


 人型の鬼が更に反論する。確かに正人の作り上げたものはお世辞にも石塔とは言えないただの石の山だ。だがその反論も正人の想定内だった。


「石塔の形は指定されていない。文献にも載っていなかったし、周りの皆が作っている物も形がバラバラだ。指定されているのは自分の親の身長の高さまで積み、一番上に大きい石を置く事だけ。それだけは十分に満たしている」


「……」


「反論できないようだな? なら問題ないだろ。俺は石塔を完成させた。さっさと俺を開放しろ!」


 言い返すことが出来なくなった人型の鬼に対して、正人は自分の解放を要求する。

 鬼側にとっても、こんな事は前代未聞なのだろう。

 人型の鬼も、先ほどの下級鬼と同じようにどうすればいいか分からず狼狽えていた。


「お前の裁量じゃどうしようもないっていうなら――」


『もういい』


 さらに追い打ちをかけようとした正人の声を遮って、低い声が辺りに木霊した。

 地の底から響いてきたようなその声の主は、正人から視認することは出来なかった。

 それも無理はないだろう。その声の主は、正人の想像を超えた場所から話しかけてきていたのだから。


『どこを見ている。上を見ろ。水口正人』


「なんで俺の名前を……うわっ!」


 言われて上を見ると、そこにあったのは。空など元々見えないこの地獄の天蓋を覆いつくすほどに巨大な存在が、正人達の頭上から覗き込んでいた。

 下級鬼も、人型の鬼も――頭上の存在に恐怖して立ち竦んでいる。それだけでそれがどんなに規格外の存在か想像がついた。


「でっけぇ……なんて大きさだ……」


『我が名は閻魔。この地獄の全てを管理している』


「……はは、本当に一番偉い奴が出てきやがった」


 流石の正人もこれは想定外だったのだろう。冷や汗をかきながらこの後起こる事に頭を回転させる。

 最悪なのは強権を発動して正人の努力を無かったことにされる事。それだけは避けなければならない。

 虚勢を張りながらも、閻魔に対して質問を投げかけた。


「なら……ここのルールを作ったのもアンタだよな?」


『その通りだ』


「じゃあ分かるはずだ。俺はアンタのルールの範囲内で、石塔を完成させた。完成させれば解放されるんだろ? まさか自分の決めたルールを――」


『そうだな。解放してやる』


「――え?」


 正人が言い切る前に、ある意味想定外な答えが閻魔から返ってきた。


「いや、今なんて……」


『解放してやる。後の事はお前の担当死神に投げておくから勝手にしろ』


「……なんで、そんなあっさり」


『我の仕事は地獄の管理だ。既にここまでの騒ぎで地獄中が混乱している。早くここから追い出した方が地獄のためだ』


 投げやりにも聞こえる閻魔の決断だが、実際に今地獄では騒ぎが起こっていた。下級鬼がルールを犯す事など通常あり得ない。それを裁きに来た人型の鬼も、本来は別の場所の管轄。それを放ってここに来たのだ。本来の管轄の場所も、それをフォローに回った鬼がいた場所も平時とは異なる状況に追い込まれていた。


『ゲートを開く。垂れてきた紐に掴まれ』


 閻魔が指を鳴らすと、空中に黒い穴が開く。

 そこから紐が一本、垂れ下がってきた。


「どっかで聞いた話だな。これ他の人も登ろうとするんじゃ?」


『そんな事は我が許さん。お前以外は全員叩き落す』


「それは良かった。でも――」


 そこで言葉を区切り、正人は後方を指さした。

 そこに居たのは襤褸ぼろを着た少女――楓。

 呆気にとられた表情で、自分の石塔を見つめる楓の姿がそこにはあった。


「――彼女は、一緒に開放しないとな」



 ……



 楓はずっと石を積んでいた。

 何十年もこの場所で過ごした楓にとっては、もはや余所見をしながら石を積むことなど朝飯前だ。

 だから正人が殴られそうになった時も、人型の鬼が出現してからも、巨大な閻魔が天蓋を覆って出てきてからも――彼女はずっと石を積み続けていた。


 最初に会った時に、正人は楓が話しながらでも石積みが出来る事を確認していた。

 それを覚えていたからこそ、正人は彼女に言ったのだ。「そのまま手を止めるな」と。

 

 そうして、言われた通り石を積み続けた楓は、黒い穴が空中に出現したまさにその瞬間に最後の石を積み終わっていた。

 自分で自分が信じられなかった。

 いつもなら崩される個所を呆気なく積み終わり、意味はないと思いながら用意した頂点のための大きい石を持ち上げ――最上段に積む事が出来た。

 こんな日が来るなんて。

 こんな事が起こるなんて。

 絶対に完成しないと思ってた石塔が、ついに――完成してしまうなんて。



 ……



 そして、今。

 指を指されている事に気が付いた楓が正人の方へ向き直る。

 その目線に気づき、正人も楓に笑いかけた。


「よお楓! 言った通り手を止めなかったみたいだな!」


「……うん」


「完成した気分はどうだ?」


「……嬉しい、のかな……分かんない」


 それも仕方がないだろう。何十年も閉じ込められている内に、楓は感情らしい感情を失ってしまった。故に、感情を表現する方法が存在しない彼女には、己の喜びでさえ上手く表現することが出来なかった。


『……牛鬼ぎゅうき、貴様には後で処罰を与える』


「――っ!」


 牛鬼と呼ばれた下級鬼が吠える。彼にとってもこんな事は想定外だっただろう。一体誰がこんな騒ぎが起こっている中、石を積み続ける者がいると思うだろうか。

 そんな下級鬼を哀れに思う人間は、残念ながらこの場に誰一人いないわけだが。


 嘆く牛鬼を見て少しだけ胸のすく思いを感じながら、正人は閻魔に確認する。


「つまり、楓も一緒に出て行っていいって話だよな?」


『それでいい、早く行け』


 閻魔にとっては早くこの事態を収拾させる事の方が優先らしい。半分投げやりな言い方ではあったが、あっさりと楓の同行を許可された。

 その言葉を確認してから、正人は楓の方に歩いて行く。そして楓の近くまで行き、彼女に左手を差し出した。


「じゃ、行くぞ楓」


「え……本当にいいの?」


「いいって言われただろ。早いとここんな陰気臭いとこ出ようぜ!」


「え、ちょっ……」


 言いながら、正人は楓の体を抱える。抱えて初めて分かったが、楓の体はまるで羽のように軽かった。

 長い事地獄に居たからやせ細ってしまったのか、ここに来る前からそうだったのか。その真偽は定かではないが、彼女がもう十分に地獄を味わった事だけは容易に想像できた。


「まって、おろして……」


「下さないよ。こんな紐一本にぶら下がれるほど力強そうには見えないし」


「それは……そうだけど」


 不満そうにする楓だったが、正人はそれを聞くわけにはいかなかった。

 万が一彼女が力尽きて紐を手放してしまったとして、もう一度救済のチャンスを与える程この地獄が優しいとは思えなかったからだ。折角手に入れたチャンスを棒に振るような真似だけは、絶対にするわけにはいかない。

 楓を抱えたまま、垂れてきた紐に片手で捕まる。なるべく力が入るように、右手に紐を巻き付けてしっかりと握りしめた。


「うおっ……これ結構キツイな」


「だから、離してってば」


「嫌だね。絶対離さない。この両手は何があっても離さない」


 楓を抱えた左手と、紐を掴む右手に渾身の力を入れる。それを確認した閻魔が、立てた指を上に向けた。すると、紐が穴の中に吸い込まれるように引っ張られていく。


 この時点で、正人は何も考えずにこの行動に出ていた。

 ただただ全力で、気合でこの場を乗り切ろうとしていた。

 しかし本来、生前に特に運動などしてこなかった正人には、いくら楓が軽いと言っても人を抱えたまま片手で紐にぶら下がる筋力など無かった。


 つまりこれは、魂の力。

 地獄に落とされる前に正人が発揮した力が、ここにきて再び発揮されていた。

 つまりそれだけ、『楓と一緒に地獄を出る事』に対して全力を注いでいるという事。

 ぶら下がる事だけに必死な彼は、その事を知る由もなかったわけだが。



 ――上空に引かれながら、楓と正人はこんな会話をしていた。


「どうして私を助けたの?」


「全員は無理そうだったしな。楓にはここのルールと石化について教えてもらった恩がある。受けた恩は返さないと」


「……それだけ?」


「まぁ、強いてもう一つ理由を上げるとすれば――」


「なに?」


「あの場に居た人の中で、楓だけは希望を捨ててないように見えたからな。新入りの俺に話しかけてくれたのもそういう事なんだろ」


 正人の言葉に、楓はすぐに反論しようとした。だが、そこでようやく気が付く。

 「そんな事ない」と言おうとした自分の中に、その言葉を言いたくないという相反する感情が生まれている事に。

 彼女は、希望を捨ててなどいなかったのだ。

 何十年もの月日を経てすり減ってしまってはいたが、それは確かに残っていた。

 楓自信すら気付かない程、小さな灯が。

 消えない様に心の奥底にしまい込んでしまった、希望の光が。


 それを隠す必要は、もうなくなった。

 だったら今この瞬間、この感情は――表に出していい物なのだ。

 自然と零れだす涙を拭う事も忘れて、楓は精一杯の感謝の言葉を紡いだ。



「助けてくれてありがとう、正人」



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どうしても異世界に行きたい 砂竹洋 @sunatake

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