第4話 正人の作戦


 正人は高速で石を積む。

 何度でも何度でも、何度失敗しても一から石を積み直した。

 少しずつ動きを洗練させ、完成に近付けていく。

 未だその石塔は塔と呼べるほどの高さには至っていない。至る以前に、バランスが悪くなるか腕が引っ掛かって崩してしまうのだ。

 だが正人にしてみれば崩れる事は失敗では無かった。崩れる度に失敗の原因を精査し、動きを変えて次に繋げる。それが今回の正人のやり方だからだ。


「バカみたい」


 そんな正人を遠目に眺めながら、襤褸ぼろの少女が一言呟く。

 楓にとってそれほど無駄な行為もなく、見れば見るほど虚しさが募っていた。


「どうせすぐ、皆と同じになるのに……」


 彼女が言う皆とは、周りで泣きながら石を積んでいる子供達の事だ。

 ここに来た当時は皆、大なり小なりまだ元気があった。中には石積みを遊びのように楽しんでいる者もいた。正人の様に脱走を試みた者も少なくはない。だが――


「皆、皆……心が疲れて壊れた。希望なんて無いって気付いた」


 学習性無力感という言葉がある。苦行や苦痛を与え続けられた者は、その現状を打破するために様々な抵抗を試みる。しかしその抵抗が全て無駄に終わった時。圧倒的な力によって阻害され、抵抗する意味すらも奪われた時。その瞬間、その者は思考を停止し、あるがままを受け入れるようになるという話だ。

 それは当然、この場に居る子供たちにも当て嵌まる。逃げる術も抵抗する術も無いこの状況では、全てを受け入れて諦めるしかない。

 人間とはそういう風に出来ている。無駄な努力を続ける気力など、そう長くは保たないものだ。


「……ほんと、バカみたい」


 楓はもう一度呟いた。それは果たして正人に対しての言葉だったのか、それとも現状の自分達に対してのものだったのか。その真意は定かではない。

 だが、本来誰にも聞かれるはずではない独り言に反応する者がいた。


「バカは百も承知だよ」


「……え?」


 それはいつの間にか近くまで来ていた正人の声だった。

 捲り上げた自分のシャツを容れ物にして、大量の石を抱えて楓の傍に佇んでいる。


「今までの人生で何回も言われてきた。バカだの頭がおかしいだの正気じゃないだの……聞き飽きたっての。でも――」


「でも、なに?」


「それはただ、あいつらの常識から外れてたってだけだ。理解が出来ないものを、理解をしようとしないで遠ざける動物の本能だ。前例の無いことをしようとしてるんだから、常識なんかで測れるわけないだろ」


「……やっぱり、バカみたい」


 その言葉を最後に、楓は再び俯いて作業に戻った。正人もその言葉に特に不快感を表すわけでもなく、楓に向かって軽く微笑んでその場を立ち去った。

 ふと、そこで楓は違和感に気付く。

 ――正人の抱えている大量の石は一体何なのだろう?

 つい先程まで正人は崩れた石を高速で積み直すという力業を試していた筈だった。それならば、別に新しい石を他所から持ってくる必要などないはずだ。

 何度も崩してしまえば石の形も変わってしまって積みにくくなる事は確かなのだが、それで石の形が変わるほどの時間が経ったとも思えない。


「積みやすい石を探してるのかな」


 楓にはそれ以上の推理は出来なかった。

 事実、正人の方に目をやると拾ってきた石を地面に置いて積みやすそうな物を選んでいる様子だった。

 それを見て「やはりそうか」と納得した楓は、つまらなさそうに石積みを再開した。


 彼女は少なからず期待していたのかもしれない。もしかしたらこの男なら、自分の想像だにしない方法でこの地獄を終わらせてしまうのではないか、と。だから、正人の行動が自分の想定の域を出なかった事に落胆を覚えていたのだろう。

 感情の起伏の少ない彼女には、その僅かな心境の変化すら自分で気づくこともなかったのだが。


「――――っ!」


「あ、クソ! また崩しやがった!」


 遠くで鬼の咆哮と、正人の悪態が響く。どうやら石塔を崩されたらしい。

 すぐに立ち上がり、別の方向に歩き出す正人。

 やはりおかしい。ここから見えるだけでも、石塔を積むには十分すぎるほどの石が、正人の居た場所には散らばっている。

 なのにわざわざ新しい石を探しに行くのはどうしてなのだろう。


「気分転換でもしたいのかな……あっ」


「――――っ!」


 考え事をしながら石を積んでいると、いつの間にか楓の石塔が完成に近づいていたらしい。鬼が現れて、楓の石塔に向かって金棒を振るった。


「痛っ……」


 油断していたせいで、指先に金棒が当たってしまった。楓の指から血が流れ落ちる。

 鬼は決して自分たちに気を使ったりしない。石塔を崩される時、ちゃんと退避しておかなければこうして怪我をしてしまう事も珍しくないのだ。


「考え事してる場合じゃない……」


 楓は改めて気を引き締める。

 この地獄では、人の事を気にかけている場合じゃない。今回は大した怪我じゃなかったけど、怪我が原因で石を積めなくなったら自分が石にされてしまう。もうあんな男の事は忘れて作業に集中しよう――



 ………… 



 それから何時間が経っただろうか。

 正人は相変わらず積んでは崩され、新しい石を探してまた石を積む。そんな作業を繰り返していた。

 楓もそんな正人にすっかり興味を無くし、元通り石を積み続ける作業に没頭していた。

 

 そんな折に、ふと楓の近くに通りかかった正人が、小さな声で囁いた。


「次俺があの場所に戻ったら決行する。騒ぎになるから、そのまま手を止めるなよ」


「……え?」


 何の話をしているかも分からず当惑する楓を尻目に、正人はそのまま通り過ぎてしまった。そして何事もなかったかの様に元居た場所へと帰っていく。

 そこで初めて、楓は違和感に気が付いた。


「あれ、あそこ……なんか――高い?」


 それはもはや、違和感などではなかった。

 正人が戻って行ったその場所は、楓の居る場所よりも明らかに地面が高い場所にあった。遠近法で上に居るように見えるとかそういう話ではない。どう見ても物理的に高い位置にあるようにしか見えなかった。


「…………まぁ、いっか」


 それがどうしたというのだ。

 どうせ正人が石塔を作りやすい場所を探してそこに辿り着いただけの話だろう。

 あんな場所がこの河原にあったのかは定かではないけれど、自分には関係のない事だ。何にせよ、正人の言っていた通り手を止めずに石を積むくらいしか出来る事は無いのだから。


 その時、遠くから石の崩れる音が聞こえた。

 その音の正体はもちろん正人の居る場所だ。

 特に気にすることもなく石積みを続ける楓だったが、続けて何度も音が聞こえるものだから流石に気になって音の聞こえた方を確認する。

 

 そこでは正人が――石を掘っていた。

 よくは見えないが、地面にある石を両手で掻き出しているように見える。つまり、掘っているとしか表現のしようがない行為をしていた。


「おらおらおらぁ!」


 掛け声と共にどんどん地面の石を掻き出していく。見ると、一か所だけではなく移動しながら地面を掻き出していた。

 石を積んでいない以上体の石化は始まっているはずだが、正人はそれを意にも介さなかった。

 なぜなら彼は、理解していたから。

 石化はつま先から始まり、徐々に体の上に進んでいく。つまり、初期の段階ではまだ体は十分に動かせるという事だ。

 少しの時間であれば、石積みに関わる行為をしなくても問題はないという事を。


「あと、少しで……おりゃっ!」


 掛け声とともに、正人が腕を振るう。そうして出来上がったのは、正人の身長程の高さのある、少し歪な石の山だった。


「鬼ども見てるか! 石塔が完成したぞ!」


「……えぇ?」


 どこかで見ているであろう鬼に向けて呼び掛ける正人。それを見て、困惑する楓。確かに、正人の目の前には石が積み上げられている。だがそれはお世辞にも塔とは言えず、どう見てもただの石のだ。


「――――」


「おう、現れたな鬼め。どうだ、完成したぞ」


「――――??」


「あー? なんだ理解も出来ないのか。だったらもう一度言ってやる。お前らが作れと命じた、


 意味も分からず首を傾げる鬼に対して、丁寧に言い直す正人。

 それでも鬼は理解が出来なかったのか、そのまま何も声を発さずに固まってしまう。

 鬼の不理解も無理はない。正人はこの石の山を作るにあたって、一度たりとも石を積む行為をしていない。

 やったのは地面に置かれた石を掘っただけ。

 だからこそ鬼はこの石の山が完成するまでここに現れなかったし、完成したとしてもそれはとても石塔と呼べる代物ではない。

 それを見せられて完成したと言われても、鬼にしてみれば「どこに石塔があるんだ」としか思えない。


「いや、いいよお前はもう。文字通り話にならねぇ。最初に俺をここに案内した鬼を連れてきな。どうせアイツの方がいくらか偉いんだろ」


「…………」


 固まったままの鬼に対して、正人は提案する。

 しかし、鬼の側も当然そんな事が出来るわけもない。

 鬼にとってこの場を収める一番簡単な方法は、正人が石塔だと主張するこの石の山を崩すことだ。

 しかし、鬼にはそれすらも出来ない。

 なぜならこの鬼は正人の予想通り、命令された事を遂行するだけの下級鬼でしかないから。


 下級鬼に与えられた命令はただ一つ。

 石積みを監視し、石塔が完成する前にそれを崩せ。

 それを逸脱する行為をする権限も、それを考える頭もこの下級鬼には存在しなかった。

 そんな下級鬼が困惑している様子を感じ取った正人は、吐き捨てる様に言った。


「それも出来ないってか。使えねーヤツだなお前」


「――――っ!」

 

 正人の言葉に対して、下級鬼が憤る。

 そのまま正人の近くまで詰め寄り、その手に持った棍棒を振り上げた。


「正人!」


 遠くで見ていた楓が堪らず声を上げる。

 それに気付いた正人は楓に視線を合わせ、安心させるために微笑みかけた。

 虚勢ではない。正人には確信があったのだ。


 ルールを破った人間が石化するのなら、ルールを破った鬼にも何かしらの罰があるはずだという事に。


「――――っ!!」


 辺りに悲鳴が響く。

 石積みをしていた子供たちは、皆一様に正人の方を見た。

 無理もないだろう。自分たちを今まで苦しめてきた下級鬼の、など誰も聞いた事がなかったのだから。


「何をしテいル」


 ――そこには、下級鬼とは違う真っ赤な人型の鬼が立っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る