第3話 賽の河原


 水口正人は石を積んでいた。

 賽の河原では出来る事は石積みしかない。

 それ以外の事をすれば石化が始まるのだから、石を積む以外の選択肢が無いのだ。

 この賽の河原では、その娯楽とも言えない単純作業をただ享受する事でしか生き延びる術は無いのだから。


「なんであんな無茶したの」


 石化の説明をしてくれた少女が、再び正人に声をかける。

 手を動かしながらでも会話は出来るので、少しでも退屈を紛らわせたいのかもしれない。


「無茶って、何の事だ?」


「石の塔を守ろうとした男の子に話しかけてた。石を積まなきゃダメって言ったのに」


 少女にとっては不思議だったのだろう。石を積まなきゃ石化すると説明したばかりなのに、舌の根も乾かぬうちにその場を離れて少年に話しかけに行った事が。


「少しでも情報が欲しかったからな。石化のスピードがあまり早くない事は確認していたし、あのくらいなら大丈夫だと踏んだんだ」


「情報って、なに? 鬼が来て石の塔を壊す事?」


「それもそうだが、鬼が危害を加えるのかどうかって事も含めてな。どうやら石塔を壊す事を邪魔しない限り、こちらに危害を加える気も無いらしい」


「そんなに鬼が怖い?」


「怖くは無い……と言ったら嘘になるけどな。それよりも、ここから脱出するための手がかりが欲しいんだ」


 少女は悲しそうな顔で「そう……」と一言だけ言い残して、それから言葉を発しなくなった。

 彼女の言いたい事は正人にも分かる。

 今までに何人もの人間がこの場所からの逃走を試みて、そして失敗してきた。

 それら全てを目の当たりにしてきた少女にとっては、正人のそれは無駄な足掻きにしか見えない。その上で止めても無駄なのだと理解しているのだ。今までの人がそうだった様に。

 しかし、正人の考えは違った。

 ――今までこの賽の河原を脱出しようとした人間と、自分は違う。

 そいつらは全員子供だ。その上、自分にはここまで培ってきた異世界に関する知識がある。この賽の河原についても、事前知識とほぼ差異は無かった。

 そして、それこそが正人が見た勝機。なぜ脱出不可能な筈の地獄の情報が、現世にまで伝わっているのか。

 それはそのまま、ここから脱出した者がいる可能性へと結びつく。


「ま、もっと別の可能性もあるけどな。今はとにかく体を動かして――っと」


 正人の手が止まる。いつの間にか石塔は、己の胸ほどの位置まで積み上がっていた。しかしその石塔はグラグラと揺れ動いており、全く安定していない。試しにもう一つ石を掴んで石塔の頂上に置くと、ガラガラと音を立てて崩れてしまった。


「石を積むだけだと馬鹿にしてたけど……思ったより難しいな、これ」


「……土台が安定してない」


「うおっ! びっくりした!」


 崩れた石の山を前に立ち尽くしていた正人の横から、ひょっこりと襤褸の少女が顔を出した。完全に死角からの登場だったので、不意を突かれた正人は飛び上がってしまう。

 少女は特に何も考えていない様で、妙なポーズで固まる正人に不審げな目を向けた。


「……なにしてるの?」


「いや、こっちのセリフだけど……」


 何とか心臓を落ち着けて冷静に応対する。ただでさえ何が起こるか分からない地獄で、不意に驚かすのだけは勘弁して欲しいものだ。


「まぁいいや、話を戻そう。土台が安定してないって、どういう話だ?」


「うん。積みながら説明する」


 そう言って少女は自分の積んでいた石塔を一度足で崩した。そんな事をしていいのかと正人は少しヒヤヒヤしたが、特に何事も起こらなかった。崩す事も石を積み直す行為である以上、積むのをやめたわけではない、と判断されるのかもしれない。


「まず最初。一番下には平たくて大きい石を置くの」


 言いながら少女は両手で抱えるほどの大きさの石を地面に置いていく。


「そして、その後はだんだん小さくしていく。平たい石が無かったら、お互いの石を支え合うように置けばいい」


 その言葉通りに、少女の石塔は先端に行くほどに小さな石を積み上られていく。その手際は見事なもので、瞬く間に少女の腰ほどの高さまで石が積み上がって行った。しかもその石塔は先ほど崩れた正人の不細工なそれとは異なり、綺麗に直立している。


「成程。そりゃそうか。重心を意識しろって事だな?」


「? よく分からないけど、多分そう」


 重心の概念が分からなかったのだろう。おそらく少女は最初に感じた印象のままの年齢なのだ。それでも言葉くらいは聞いた事があるのか、ニュアンスだけは伝わった様だ。

 少女の言わんとしているところは実に単純だ。物体は重心が高くなればなるほど不安定になる。ならば可能な限り重心を低くする――つまり、重い物を下に置く事で安定性が増すという話だ。


「教えてくれてありがとうな。えっと……そういえば名前も聞いてなかったな」


「……かえで


「そうか。俺は正人だ。改めてよろしく」


 握手を求めて右手を差し出す正人だが、襤褸の少女――楓は、その手を数秒見つめてから目を逸らして石積みの作業を再開してしまった。

 少しは距離が近づいたのかと思った正人は少し落胆したが、すぐに気を取り直して自分も作業に戻る事にした。

 正人が石積みを再開した頃。目を伏せた楓は小さく「名前なんて意味ないのに」と呟く。その声は誰にも届く事無く虚空へと消えて行った。



 …………



 その後は正人も特に楓と話す事も無く、黙々と石を積み続けた。

 石塔は親の身長と同程度まで積み上げればいいという事は、ここに来る前の知識で知っていた。

 重心を意識して、慎重に積み上げていく。今度こそ安定した状態のまま、自分の胸くらいの高さまで積み上げる事に成功した。


「さて、あと2~3段ってところだが……」


 周囲を見渡す。完成に近づくと現れるという鬼が、果たしてどこからやって来るのかは見当もつかない。書物にも「どこからともなく」という記述しかなかった。

 それが本当ならば、鬼は自分の死角から現れる筈だ。ならば常に周囲を見渡して、死角をなくしてみてはどうだろうか。

 それが正人の実験。情報収集の一環だった。


「現れないな……いや、そうか。積んでなければ完成することも無いからな。とにかく積み続けてないといけないわけか」


 その事に気が付いた正人は、屈んで足元の石を拾う。

 そのまま立ち上がり、石を積もうと石塔に向き直った瞬間だった。


「うわっ!」


 石塔の向こう側に、巨大な頭部をもつ鬼が出現していた。大げさな表現では無く、一瞬下を向いて顔を上げるといつの間にかそこに立っていたのだ。

 足音などしなかった。この巨躯ならばこんな石だらけの地面を音も無く歩ける筈が無い。ましてや、この鬼は先ほどから鼻息を荒くして石塔を見つめている。その呼吸音すら一切聞こえなかった。

 仮に高速でここまで移動してきたとしても、そこから発生する風や風切り音が感じ取れない筈が無い。

 そして正人は結論に辿り着く。

 この鬼は、目の前の何も無い空間から突如としてと。


「ハハ……さすがに何でもありだな」


「――――」


 鬼は一言も発さず、その巨大な口の端から吐息を漏らして棍棒を振り上げる。

 そこで正人は更なる実験を行う事にした。


「――ふんっ!」


 石塔を無視し、その鬼の腕にしがみ付く。

 そこで正人が確認したかったのは「本当にこの鬼は物理的に止める事が出来ないのか」という点だ。

 鬼の腕力の程は分からないが、振り上げた腕を掴まれてはどんな人間でも棍棒を振るう事は難しい筈。

 そして更に正人には秘策があった。

 地獄に堕ちる寸前に味わったあの感覚。

 腕に力を込め、その更に奥にある力に語りかける。

 本来なら運動など微塵もして来なかった正人が、不安定な体勢で自分の体重を支える事が出来る程の力を発揮出来たあの感覚だ。


「ぬぬぬぬぬ…………」


 意地でもこの鬼を止めたい――そう心から願う事で、あの時の力を引き出そうとする。恐らくあれは意志の力だ。ならば強い意志を持てばそれだけ強い力が――


「――っ!」


「え? あ……ぉおい!」


 ――引き出されなかった。

 煩わしそうに鬼が腕を大きくふるっただけで正人の腕は容易くふり払われ、そのまま棍棒を振るって石塔を破壊してしまった。


「くそ! まぁ、そりゃそうか。次!」


 背中を向けて去る鬼に対して少しだけ恨みを込めて睨んでから、再び正人は石積みの作業に戻った。

 これほどまでに切り替えが早いのは、最初から上手くいくとは思っていなかったからだ。仮に意志の力で腕力が上がるのだとしても、それだけで鬼を止められるのならばここに居る子供たちの中にも既に何人も石塔を完成させられたはずだ。

 情報を得ると言う目的は達成されたのだから、正人にはそれで十分だった。



 …………



「石塔にしがみついてもダメ、鬼を止めるのも無理……なら次はこれだろ」


 次なる正人の実験は、とてもシンプルな物だった。

 鬼を止められないなら、崩される前に完成させればいい。つまりスピード勝負だ。


「予め積む石を見積もっておいて……あの鬼が腕を振るうよりも早く完成させる……よし!」


 気合いを入れ、自らのイメージする最速で石積みを始める。その動きはさながらボクシングのラッシュの様。ただ目の前の石塔を見つめ、己の限界までスピードを上げて積み上げていく。


「オラオラオラ……あ、崩れた!」


 が、そんな乱暴なやり方で上手く積めるわけがない。土台にしている石に手が引っ掛かり、自ら石塔を壊してしまった。


「っのヤロ……諦めてたまるかぁ!」


 それでも正人は諦めなかった。いや、正人に諦めるという選択肢は無かった。

 諦めた瞬間、それはこの地獄で永遠を生きる事を受け入れるという事。それは最早死と同義だ。一度自らの意志で死んだ身であるが故に、そんな静寂な死を受け入れるわけにはいかなかった。


「それに、そんな事より――」


 そんな事より、何よりも。

 正人には優先すべき事項があった。それはこの地獄に来るよりも更に前から、何年も願い続けた思い。


「俺は、何がなんでも異世界転生を果たしてみせる!」

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