骨と踊る
甲斐
第1話
土曜日の朝9時過ぎ、枕元の電話が鳴った。週末なので悠々と寝坊を決め込んでいた私は電話など無視することもしばしばなのに、何か予感がしてその電話に出た。固定電話ではなく、人気機種のスマホだ。現代人の生活にはよくあることだが、私も例に漏れず固定電話は契約していなく、スマホのみで生活している。
電話は、兄からだった。危篤状態だった父が亡くなったとという。兄はとても常識的できちんとした人なので、厳密に選び抜かれた言葉で簡潔に父の死を伝えてきたが、寝起きの私には「きとくじょうたい」という言葉の意味がしばらく理解できなかった。
身近な人の死、それは過去にも覚えがあった。またそれを知らされた人の反応というものはさまざまで、黙り込む人、なんで?と繰り返す人、いきなり泣く人、しっかり相づちを打ちながら要件を聞いてくれる人。ただそのときの私は知らされる側ではなく、自分でも実感がないまま人にひたすら連絡していくという作業を黙々とこなしていたので、相手がどんな反応をしていたかまではあまり覚えていない。
父の死。いつかそういう日が来ることはよくわかっていたし、病状があまりよくないことも知っていた。けれどそこまで悪かった、という認識もなく「きとくじょうたい」の言葉の意味もわからないままだった。それでもたぶん「うそ」などと言ったような気がする。兄は常識人だし、うそであるわけがないことを重々承知のうえで発してみた。兄はそんな反応に付き合える気分でもなかっただろう、少しいらいらしながら要件を手早く伝えてきた。だから私もその兄のペースに合わせ、まじめに相づちを打った。
兄の住む京都から、父のいる函館まで行くのに、直行便はあるだろうがその日はもう間に合わないとのことだった。ついでにひとつかふたつ仕事を片付けて、明日の朝向かうという。私が住んでいるのは上海だから、今日のうちに函館へ着くのはもっと難しいだろう。まずは大阪へ行き、明日の朝兄夫婦と合流して一緒に函館に向かうのはどうだろう、と提案された。兄も知らせを受けたばかりだろうに、この短時間でそこまで考えられることが不思議だったが、もしかしたら「きとくじょうたい」であることを私よりももっと前から知っていて、行き方を検討していたのかもしれない。
電話を切った後、とりあえずタバコをくわえて火を付けた。ふかぶかと吸い込んでから自分がまずタバコに手を出したことに気がつき、ああ、パニクってんだなあたし、と思った。寝坊したときに何はともあれそうする癖が私にはあった。急いで身支度しなければならないのにパニクってしまい、まずはとタバコをくゆらせながら冷静を取り戻し段取りを考えるという儀式のようなものだった。
それからスマホに再び手を伸ばし、元上司に電話をかけた。斉藤、というのが彼の名だが、「元」というのは今年の8月私のいる上海オフィスを離れ、3カ月ほど休暇を取ってから北京支社に異動したからだ。それでもいつも私が仕事のあれこれで悩んだとき、引き継ぎ忘れの事項が発覚したとき、いついかなるときに電話しても「はーい、お元気ぃ?電話くれてうれしいよ〜」と気の抜けた声で出てくれる。いつも私との電話が楽しそうだ、と彼の奥さんは不満を口にし、ときには大げんかに発展することもあると聞いていたが、普段は仕事の話なので申し訳ないと思いながらもかけていた。が、今日はそれとは違い、ただの甘えである。それをわかっていても、心の中の背もたれ、とでもいうのだろうか、とにかくそんな存在である彼に電話をすれば何とかしてくれる気がした。私がいま何をしなければならないか、どうやって飛行機を手配すればいいか、どうやったらお父さんが生き返るのか…。
電話は2コールで繋がった。いつも通り甘ったるいトーンの声も私の言葉を聞いてすぐに真面目なものに変わった。
「お父さんが死んだんだよね。それで、どうやって行こうかなと思って」
「飛行機は調べておくから、まずはお風呂に入っておいで」
あっそうか、と思った。タバコも儀式のひとつではあるけれど、風呂だってそうだ。黙々と髪や身体を洗いながら頭はほかのことを考えていられる。風呂と言ってもバスタブはなく、シャワーを浴びるだけなのだが。
「それから、ちょめさんには連絡したの?」
そういえば今日はちょめと会う約束をしていた。彼がそれを知っていたはずはないが、きっと私の助けになってくれるから連絡したほうがいい、という意味だろう。電話を切ったその足で、というか手でちょめに電話をし、父の死を伝えた。その日は2人とも楽しみにしていたイベントがあったのだが、だから今日は行けないよ、ひとりで行ってきてと言うつもりだったのに、彼女は「わかった。今からそっち行くね」と言った。
ちょめというのは友人で、元上司が北京へ異動するより半年ほど前に会社を辞めて転職し、この夏同じく上海に住む日系企業の駐在員男性と結婚した。なぜちょめと呼ばれるのか、彼女の場合自己申告のあだ名だった。私の勤める会社はまだ30代の社長が興した、いわゆるベンチャー企業のひとつで「社員同士がより仲良くなるため」あだ名制度を推奨していた。これには面食らう人も多かったし、職場では社会人として、きちんとしたビジネス関係を構築したいと嫌がる人も多かったが、結局長いものに巻かれてその制度に従っていた。私はどうでもいい、と思ったし、そんなに自分の名字を気に入っていなかったし、たしかにあだ名で呼ばれると距離が近づいた気がする、とも思っていた。
それはさておき、私とちょめは中国映画が好きという共通の趣味があり、また〝中国語学習あるある〟など共通の話題も多かったので徐々にその距離を縮め、すっかり仲良しになり職場が離れてからも週に2〜3度会っていた。テンポのおかしいふわふわとした人だが意外としっかり者で、私の仕事が忙しく部屋が汚さを極めると隅々まで掃除をしてくれたり、片付かない一角を魔法のように整頓してくれたりする。掃除が好きで上手なのだが、料理の腕はいまひとつで、彼女が出張しているときに彼女の夫と酒を飲みながらいかにあいつの飯がまずいかという話で盛り上がったこともある。
とにかく私には、すぐに駆けつけてくれる友人がいて、まずはお風呂に入りなよと言ってくれる元上司がいた。
ちょめがこんなときにちんたらバスに乗ってくるとは思えなかったので、風呂に入っている間に来て待ちぼうけを食わせたらまずいと思い、玄関と表玄関のドアをほんの少し開けておいた。女のひとり暮らしでしかも入浴中にドアを開けておく、と聞いたら常識人の兄は驚きのあまり父の後を追って死んでしまうような話だろうが、うちのご近所さんたちはいつも外でだべっていて、おかしなやつが私の部屋に入るのを見過ごすはずなどない。上海の下町は近所づきあいもまだまだ活発で、人々が助け合って関心を寄せ合って暮らしている。この街なら孤独死など存在しないんじゃないか、とさえ思っていたし、実際にそんな事件は国内ニュースでもとんと見かけたことがない。そういうところが私もちょめも、この街に住んでいる理由のひとつだった。
電話が鳴るのが聞こえた。それでも慌てることなく、ゆっくり身体中に熱い湯を浴びて出てくると、ちょめが私の電話で誰かと話していたが、その相手は斉藤だろうとすぐに見当がついた。
「あ、いま出てきたから代わるね」
兄と大阪で合流することも伝えてあったので、今日の夜の便で上海を発って関西空港に着き、一晩空港で過ごせばいい、ということだった。ただ、当日のチケットだから、クレジット決済しかできないんだよね、という言葉にちょっと目眩を覚えた。
中国では銀行の預金口座カードがそのままデビッドカードとして機能していて、クレジットのように使える。しかしその一方で外国人がホンモノのクレジットカードを手に入れたいとなると、預金の残額がいくら以上とか、不動産を持っているかとか、信用問題に関わるのだろうが条件がひどく厳しくて、私たち外国人はそう簡単に手に入れられない。もちろん日本のクレジットカードも使えるが、手数料がバカ高いし、なにより私の日本の口座にはろくに金が入っていない。
クレジット、と思わず口に出したせいか、ちょめがこちらを見た。その時気づいたのだが、彼女は私の電話中にスーツケースを引っ張り出し、黒っぽい服や下着や洗面道具を揃えてくれていた。下着も一枚一枚きれいにたたみ直して、ネットの袋に入れて、袋のポケットには汚れた下着を入れるよう折りたたんだ小さなビニール袋も。
「クレジット、郭さんに頼んでみたら」
郭さんは会社の総務部長で、口では子どもっぽい文句を言いながら面倒見のいいおばさんとして私たちが信頼を置いている人だ。年齢のためおばさんなどと呼ばれることもあるが、その言葉が似合わないほどグラマラスなボディに顔立ちも整っていて、はっきりいって美魔女だった。
「なんで、もっと早く帰らなかったのよォ」
2週間ほど前、社長と営業部長との会議の終わりに「実は父の容態があんまりよくないらしくて」と伝えたことがあった。社長は「帰るんだったら言ってね、仕事のやりくりとかあるだろうけど、それはそれ」と物わかりのいい上司的な言葉を返してくれ、そのことを郭さんにも伝えていたようだ。
なぜもっと早く帰らなかった。その通りだ。あれだけ私を溺愛していた父が、私を待たずに旅立ってしまった。しかしそれは父が待たなかったのではなく、待っている間に私が行かなかったということだ。12月、クリスマスや正月もあって航空券の価格が高くなっていた。それに函館までとなると乗り換えが一度で済めばいいほうで、あるいは二度、さらにいえばチケット10万円を超える可能性がある。でも、そんなことが帰る日程を遅らせている理由にはならなかった。要は、父がもうすぐ死ぬなんて思いもしなかったのだ。
そんなの今さら言ってもしょうがないでしょッ!と怒鳴ってしまったが、怒鳴ってもしょうがない。謝るべきか、と思っているところに郭さんが「カードの写真、送るから」と半べその声で言った。なんであんたが泣くんじゃ、あたしだってまだ泣いてないっつの、と思ったが、そうじゃなかった。彼女は間に合わなかった私の悔しさを思って泣いてくれているのだった。それがわかって少しじわっと寄せてくるものを感じたが、ありがとうとだけ言った。
疲れた。そもそも日々怒濤のように押し寄せる仕事をこなし、昼間は部下の仕事の面倒を見て定時を過ぎみんなが退社してからやっと自分の仕事に手を付ける。仕事とプライベートにはしっかりメリハリを付けるタイプなので、12時を過ぎる日と、7時くらいで退社してちょめと食事をしたり出かけたりする日を繰り返していた。それでも今週は忙しかった。社長の思いつきで新しく導入されたシステムがまだなかなか使いこなせず、トラブルやバグの処理に追われそれまで以上に帰りは遅かったし、ちょめともろくに会っていなかった。だからこそこの週末には一緒に出かけよう、と約束していたのに…。それも、毎年必ず一緒に行っていたクリスマスマーケットだったのに。
クリスマスマーケットは欧米人が多く住むエリアにあるドイツレストランで毎年行われ、ホットドッグやグリューワイン、オーナメントにあれこれとおいしいもの、かわいらしいもの、おしゃれなものを売る店が集まる。そこで私とちょめはグリューワインを買うと付いてくるクリスマス風の絵柄が描かれたカップを楽しみにしていた。赤地にグリーンの蓋のが去年の、白地に赤い蓋が一昨年の、その前はブルーだったかな。食器棚を見上げるとその3つが並んで眼に入り、今年は何色だったのかな、とぼんやり思った。
「さぁて、荷物だいたいできた。あとのものは自分で入れてね」
ちょめが立ち上がったとき、すでに本日3本目のタバコに火を付けかけていた私は空腹を覚えた。こんなときでも腹は減る。人が死んだって私は生きている。それにそうそう涙は出ない。昔もこんなこと思ったな、と姉のことを思い出した。
そうだ、姉の骨。14年前に姉が亡くなった後、私が海外暮らしを始めるに当たって、お骨を分けてほしいと義兄に頼み込んでもらったのだった。義兄は「身体をばらばらにするみたいで嫌なんだ」と分骨を拒んだけれど、かわいい義妹の「お願い」は拒めなかった。それを小さなアジアンショップで買ったきらきらしたアクセサリーケースに入れ、旅が好きだった姉の代わりに私がどこかへ行く度に持って行って、その土地の川や海にこっそり撒いた。一応、これも持って行こう、ととりあえずテーブルの上に置いた。
ちょめは部屋の床を掃いていたが、テーブルの上のきらきらした小箱を見つけると手に取り、ちょっと振ってみた。カシャカシャ、という音を小気味よく感じたのか、反対の手に持っていたモップを置くとその小箱をマラカスのように振りながら腰をくねらせて踊り始めた。これはいけない、そうやって遊ぶものではない。だが私の心にはこんなときにも笑顔で姉のお骨をマラカス代わりに踊るちょめが愛おしい、という気持ちしかなかった。やめさせなければ、と思ったが、うっかりちょめを驚かせて落っことされでもしたら困る。私が笑いをかみ殺しながら「ちょ、まって。ちょめ、それ、お姉ちゃんのお骨」と言うとちょめはきゃあっと叫んで小箱をテーブルに戻し、しゃがんで「ごめんなさい…」と小さな声で謝ってきた。そんなところもとても愛らしい人なのだった。
骨と踊る 甲斐 @ng13
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