終章・読まずにはいられない原因

 紫涼しすずは言葉を繋いだ。


筆致ひっちさん。わたしが本を読むのは自分自身を救いたいからです。楽しいから救われるということもあると思います。でもそれだけで救われないどうしようもない人間の微妙さ・複雑さをわたしは自らの意志で選んだ本によって救われたいんです」

「紫涼さん。このスライドを観てください」


 筆致が、タ、とエンターキーを沈めるとスクリーンに映し出されたパワポの画面に一枚の絵が拡大された。


 アジサイの絵。


「紫涼さん。この絵を美しいと思いますか?」

「・・・はい」

「わたしはそうは思いません」


 そんなことはなかった。

 会場中が、力強い筆圧で描かれた極彩色のアジサイを、真夏のひまわりを見るような憧憬の目で持って見つめていた。


「これはわたしが初めてお金を頂いて描いた挿絵です。短編です。小説の主人公は幼稚園にも行けない女の子。虚ろな父母のもとで虐待され食べ物を与えられず、テレビで食品廃棄が時事ニュースとして放送されるその映像を見ながらその子はこうつぶやきます。『あれ、欲しいな』」

「・・・」

「小さな庭付きの格安の都営住宅の一軒家が気力を失った両親とその女の子が住む家です。庭に凶暴な繁殖力を持って自生するアジサイの花をわたしはその短編小説のラストシーンに描きました。その子は、飢えて死にました」

「・・・はい」

「わたしはこんな小説読みたくなかった。わたしは自分の心を楽しくさせる小説を読みたかった。仕事だから読んだまでです。でもわたしは自分の意志で描いた。このアジサイを」

「すみませんでした」

「いいえ。違う。あなたは謝る必要なんか何もない。あなたは真剣に本を読んでいる。そして読み終わった後に抱く感情は同じはずです。『どうしてこの物語をみんな読まないんだ!』って!」


 紫涼が会場を見遣ると、エンリが泣いていた。

 クルトンも泣いていた。

 そして紫暖しだんも涙を堪えていた。


「わたしはどんなにネガティブに見える小説も、どんなに吃音のように伝わりにくい小説も、どんなに押さえ込まれて生きてきた作家の小説であろうとも、もしそれが中二病のような本気で書かれたものならば、その魅力を引きずり出して、『みんな、読んでっ!』と数多の人たちに読ませてみせる! わたしはこの仕事に誇りを持っています!」


 割れんばかりの拍手が沸き起こり、次々と少女・少年たちが立ち上がった。


 紫涼は初夏をかけて読破した青春小説の、女子だけのロックバンドが演奏するクライマックスシーンとこの風景をシンクロさせていた。


「紫涼ちゃん、またね」


 会場だったサンシャインのコンベンションセンターでエンリとクルトンと別れた。

 紫暖は池袋駅まで紫涼を送った。

 東口の前の人が行き交うその場所で、紫暖は紫涼の淡い涼しい色のワンピースを、きゅっ、と抱いた。


「あ」

「紫涼。また来て」


 池袋の狭いけれども、それは青空で。


 文学少女たちの夏は、これから始まる。

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夏空の戦場へ naka-motoo @naka-motoo

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