文学少女は世界を救う

 ゲストが呼ばれた。

 小説家でも漫画家でもなく、挿絵画家。


 そういう職業が現代でも成立するのかを中学・高校の彼女・彼らは意識していなかった。けれども強烈に意識に残った。

 挿絵画家の女性は自らを「筆致ひっち」という不思議なペンネームで名乗った。


「わたしは子供の頃に『窓ぎわのトットちゃん』を読みました。黒柳徹子さんの小説そのものももちろん感激したんですけど、それ以上にいわさきちひろさんの美しくて柔らかくてかわいらしい挿絵に電撃のような衝撃を受けました。あ、わたしの一生はこれで決まった、と本気で思い、なんとか今のところその通りの人生を歩めています」


 筆致はいわさきちひろのイラストをパワーポイントを使って何枚か紹介した後に自分のイラストを流した。それは、けれどもいわさきちひろのイラストとはイメージが全く交錯しない、極めて写実的な人物を中心とした作品でただ描かれているのが少女だという部分で共通しているのみだった。

 彼女は語る。


「意外と思われるかもしれませんけど、わたしが挿絵画家としての修練を積むにあたってとても有効だったのは映画・漫画・アニメ・音楽・小説・演劇といったありとあらゆるエンターテイメントの『レビュー』をすることでした。いかに他人の創った作品に魅力的なキャッチコピーを考えるかということに生き甲斐を感じていましたね。だから高校の頃まではレビュー投稿サイトに毎日夜遅くまで書き込みしてました」


 へえー、と自分たちが小説や漫画をレビューするのと同じ感覚で筆致が青春時代を送っていたであろう事実に会場はため息を漏らす。


「そしてわたしは挿絵画家を職業にしました。さてみなさん。ズバリ言います。『読みたくない小説や漫画を読むこと』がわたしの仕事です。自分が読みたくない小説や漫画を読まなくてはならない、ていうシチュエーションを皆さんは体験したことがありますか?」


 何人かが挙手し、女子が筆致に指名される。


「弟が小説サイトに投稿した小説のPVを増やしてくれ、って頼まれて二回読みました」


 ははは、と会場に笑いが起きる。続けざま別の男子が指名された。


「えっと。僕は文芸部なんですけど、同人誌を編集する時に部員の書いたその本人にしか分からない感性の小説を読まざるを得ませんでした。苦痛でした」

「ありがとうございます。そうですよね。特に意識してわざわざ読む気のない小説や漫画を読むことは本来の読書とは離れてしまう感じですよね。でもわたしは仕事のために年間500冊以上の読むつもりはなかった作品を読みました。そこで不思議な経験をしました。わたしが依頼を受けて挿絵を描く作業を始めるとその小説やエッセイや時には教科書・実用書すら・・・確実にエンターテインメントになっていくんです。快感でした」


 女子が一人挙手した。はい、と当てる筆致。


「それって筆致さんの絵のお陰、って意味ですか?」


 極めて妥当な質問だと会場に受け止められた。全員が筆致が冗談めかして『えへん、そのとおり!』とでも言うような期待をしていたのだが。


「違いますね。こんなに素晴らしい本を読まないのはっていう感覚でしたね。いいですか、皆さん」


 突然口調すら変わり、音質が硬くなる感覚だった。明らかに筆致は自分の意志でもって語り始めた。


「『サクサク読める』というのは本当に長所でしょうか? はい、あなた!」

「え、え? 長所じゃないんですか?」

「例えばもしあなたが吃音のある人と会話をするとします。相手の話はきっとサクサクは進まないですよね? その場合ってどうでしょうか?」


 会場の空気はやや不満めいた。

 論点のすり替えのように思ったのだ。だが筆致は反応をほったらかしにして自説を展開する。


「わたしの挿絵は強引に小説やエッセイを読者に読ませるためのものです。わたし自身が『あれ? どうしてわたしは今までこの作家を読んでなかったんだろう』っていう本と強制的な仕事読みで出会えたケースが山ほどありましたので」

「でも読書って本人が自由に読むことが一番大切なんじゃないですか」

「それは疑問ですね」

「えっ!?」


 応対していた男子だけでなく複数人のオーディエンスがピリッとした空気で反応した。紫涼しすずもその一人だった。


「じゃあ例えを更に変えましょう。サクサク食べられる食べ物としたらスナック菓子があると思いますけど、本人の完全なる自由意志だけで食べ物を選んでスナック菓子ばかり食べてたらどうなりますか?」

「それとこれとは」

「同じです」


 段々と会場の空気が不穏なものへと変化してきている。紫涼はこれは自分の使命だと感じて手を挙げた。


「あら。純文学サイドのリーダーさんですね。ええと・・・」

「脇坂紫涼です。筆致さん。小説やエッセイや漫画もアニメも映画も音楽も。全て人間が『自由』を獲得するためのものだと考えていますけどどうですか?」

「その通りですね」

「ならばどの作品に触れるかということがそもそも自由でなかったらそれってなんの意味もないんじゃないですか?」

「紫涼さん。わたしは読む側の選択の自由を否定しません。わたしが言っているのはわたしの側の自由です。わたしがレビューし、他者に読んでいただきたい作品を『捩じ込む』自由です」

「捩じ込む・・・」

「そうです。わたしが仕事として挿絵を描く時、『よかったらこれ読んで』という軽いものじゃないんです。『なぜこれを読まない!?』という激烈なメッセージなんです。布教、とすら言っていいかもしれません。わたしは完全な中二病ですから。それにね」


 筆致は小柄な体の背筋を最大到達点となるように完全に真っ直ぐに伸ばし、咽喉を開いて声を太く大きく吐いた。


「わたしの挿絵とその小説はその瞬間に運命共同体となるんです。わたしは何が何でもわたしの絵の力でもってこの本を不特定多数の読者に読ませずにはいられない。そして読み始められたら今度は『わたしの挿絵を観て!』という風に更にブーストするんです。だって、そうでしょう? 小説の冒頭が吃音のようで読みづらかったり静かな立ち上がりだったり、狂気を秘めているせいで深みに到達しない内に読むのをやめてしまったら。エンターテイメントが持っている芸術性だとか人間の深淵だとかいうものを、人間そのものを表現するはずの小説という媒体が放棄してしまっていいんですか!? え!? どうですか、皆さん!」


 あまりの激しい論旨と筆致の人格が豹変したような語気にオーディエンスが圧倒されてしまっている。やはり紫涼は自分が矢面に立つつもりで言った。


「わたしも命懸けで小説やエッセイを読んでいます。命懸けでレビューしています」

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