第6話:宝剣フライハイト
とある国の城下町。裏通りに面する一角に、その武器屋はある。
主は頭に白いものが目立ち始めている壮年の男性。
助手などはおらず、一人で店を切り盛りしていた。
依頼された仕事も一通り片付け、店頭の商品もメンテナンスが終わると、主は一息つく。
炉の炎で温めたコーヒーを啜りながら、ゆったりと時を過ごす。
ここ最近は、依頼が立て込んでいたので、こんな時間は久々だ。
このまま、一日を過ごそうかと思っていたのだが、ふとある物を思い出す。
(アレの手入れが、まだだったな)
主は、マグカップのコーヒーを呷ると、倉庫へ向かった。
薄暗い空間の一角に、厳重に施錠された場所がある。
主は一個ずつ鍵を開けていくと、中から一つのケースを取り出した。
埃を被っていないところを見ると、度々触っているのだろう。主は背丈ほどもあるそのケースを大事そうに抱えると、工房へ戻る。
カウンターにケースを置くと、解錠してそっと蓋を持ち上げた。
中から、真紅のベルベットに包まれた油紙が現れる。
更にその油紙を広げると、剣の納まった鞘があった。
装飾の無い、質素とも見れる鞘は、虫食いや傷みもなく、金具には錆一つない。
巻かれている皮は、しっとりとした艶を見せており、それは見事な保存状態だった。
その鞘を主はそっと持ち上げると、納まっている剣を静かに抜く。
刀身が鞘に触れ、澄んだ金属音を響かせながら姿を現す。
鍔元から広がる刀身は剣先に向けて細まっており、表面は透き通るような艶を放っている。
柄も華美な装飾が無く、扱い易い形状だ。
一見、ただのロングソードの様だが、ある意味、剣と言う武器の完成形を思わせる一本だった。
主は剣を分解すると、錆が浮いていないか確認する。
次に、金属部分をオイルで拭き、羊毛のウェスで手早く拭き上げていく。
他の部分は消耗していないので、手入れの必要はなかった。
主は、拭き上げた剣を満足そうに眺めると、再び鞘に納める。
剣の名は『宝剣フライハイト』。
持ち主が使用していた頃には、この剣に名前など無かった。
後にその数々の偉業を詠う吟遊詩人が、持ち主の自由奔放な生涯から、そう詠ったのが始まりだ。
彼女は、とある王国の第五王女として生まれた。
そして、政争に巻き込まれる事無く、自由に育った彼女は、ある日冒険の旅に出る。
最初は村の、そして街の、やがては国の危機を何度も救い、英雄として名を馳せた。
やがて、まだ見ぬ冒険に胸をときめかせ、彼女は他の国へと翼を広げる。
二つの国を救い、三つ目の国を救った後、突如として彼女の活躍は途絶えた。
今では、吟遊詩人の語る彼女の物語と、誰にも知られる事の無い、主の元にあるこの剣だけが、彼女がいた事を現す軌跡となっていた。
主が鞘を箱に戻そうと油紙に包み直していると、店の扉が勢いよく開かれる。
「ただいまー!」
元気な声を上げながら、少女が飛び込んできた。
年の頃は十六、七歳。肩下まで伸びた赤毛は三つ編みで束ねられ、腰に下げた剣が活発そうな印象を与える。
「いやー、今回のは強かったよ。って、それ!」
少女は、主が手にしている剣を見ると、目を見開いて飛びついてきた。
「それ、母さんの剣! なになに? やっとくれる気になった?」
主は、剣を手に取ろうとする少女の手をはたく。
「うるせぇ。触るな」
「えぇ~」
少女は、はたかれた手を咥えながら、惜しそうに剣を見ている。
「それより、剣を見せろ」
「はーい」
主は少女から剣を受け取ると、分解しながら部品を確認し始めた。
柄部分は編摩耗がなく、変な握り癖はついていない。
鍔元から鍔にかけては傷が多いが、その分刀身は刃欠けや歪みが少ない。
無駄に剣先で攻撃を受けていない証拠だ。
少女が母から剣を習い始めて以来、主は段階的に武器を与えて来た。
その武器を使いこなせるようになれば、新しい武器を。
それを使いこなせば、また次の武器を。
少女は、主が与える武器を想像以上の速さで使いこなしてきた。
「……」
主は、無言で剣を見つめる。
これ以上の剣は、この店にはもう無い。
この手元にある一本を除いて。
主は、無言で娘を見つめる。
最初の頃は、すぐに諦めると思っていた。
やがて、新しい武器を渡す度に不安が募った。
そして、この剣まで辿り着いた事に、今は誇らしく感じる。
「ほらよ」
主は、油紙に包みかけていた剣をもう一度取り出すと、少女に差し出した。
「え?」
本当に差し出されるとは思っていなかった少女は、目を丸くして主を見つめる。
「いらんなら、仕舞うぞ」
「いるいる! 有難う、父さん大好き!」
剣を仕舞おうとした瞬間、少女は主に抱きついてきた。
そう言えば新しい剣を渡す度、娘には毎回抱きつかれていたような気がする。
まんざらでもない主は、これからも娘の為に剣を創ろうかと一瞬思ったが、これ以上の剣はもう創れる気がしなかった。
最愛の人へ、自らの全身全霊と愛を込めた剣。
それを愛娘が今、受け継いでいく。
愛する者の帰りを待つ辛さは、嫌と言う程味わって来た。
だから娘には冒険者になって欲しくはなかった筈なのに、気が付けば母親が寝物語に自らの冒険譚を聞かせ、剣術を仕込み、冒険者へと育て上げてしまった。
そうなれば、自らの出来る事は娘が少しでも生きて帰れるよう、最善の武器を作り上げる事だった。
だから妻を失った時、辞めようと思っていた武器屋を今も続けている。
娘が帰ってくる限り、これ以上のものが創れなくとも、武器屋を続けていくだろう。
「さっすが! 伝説の英雄が唯一認めた武器屋の剣だねっ」
「お前ぇが剣の事を語るなんざ、百年はええよ」
剣を腰にさげ嬉しそうにくるくる回っている娘に、主は出会った頃の妻の面影を重ねていた。
武器屋。 萩原あるく @astyRS
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