LED
春日千夜
LED
尻ポケットの中で、細かな震え。チーフの目を盗み、バックヤードに駆け込む。液晶に浮かぶ「ヒサばあちゃん」の文字に、思わずため息が出る。
それでも、無視するわけにはいかない。相手は八十過ぎの老人だ。俺は緑の光をタップした。
「もしもし。トシ君かい」
「ばあちゃん。今日は何?」
「トイレの電気がねぇ、点かなくなってねぇ」
「母さんは?」
「かけたんだけど、繋がらなくてねぇ」
「分かったよ。バイトもうすぐ終わるから」
「ありがとう。すまないねぇ」
手早く赤い光をタップして、スマホを戻す。母さんにLINEを送りたいけど、あいにくまだ仕事中だ。俺は急いで、フロアに戻った。
明かりに群がる虫のように、セールの文字に客は集まる。終わりの見えない値引き作業も、バイトの俺には関係ない。時間ピッタリに、さっさと鞄を掴んで店を出た。
空を見上げても、星なんか見えない。月だけが大きく姿を見せる。歩きながら、スマホを取り出す。信号待ちで、緑の四角をタップする。
『バイト終わった。ヒサばあちゃんから電話来た。また電気切れたって。トイレの電球、予備あんの?』
手早く片手で打つと、信号機の光が緑に変わった。返事を待ちながら、道を渡る。スマホはすぐに震えた。
コンビニの前で立ち止まり、目を落とすと『ない。今日は残業。頼んだ』の文字と共に、ペコペコと頭を下げるウサギの絵。
「最悪だ……」
思わず呟き、既読スルー。適当なスタンプすら返す気も起きなかった。
ヒサばあちゃんの家は、駅二つ先だ。急がないと店が閉まる。俺は走って、電車に滑り込んだ。
ガタゴトと揺れる車内から、町を眺める。ふと思い出し、スマホを手に取った。
『ごめん。ばあちゃんに呼ばれた。今日は行けない』
吟味したスタンプと共に、謝罪の言葉を送る。すぐに震えた画面には、『さみしいよ』の文字と、嘘泣きしている彼女の写真。緩みそうな頬を必死に抑えながら、『俺も。ごめんね。帰ったら電話していい?』と急いで返した。
返事を待ちながら、写真は保存。続いて届いた『待ってる』の投げキッスも、もちろん保存。ばあちゃんに呼ばれるのも悪くないかもと、何となく思った。
ヒサばあちゃんの家は小さな一軒家で、駅からそんなに遠くない場所にある。土地ごと売れば金になるらしいけど、ヒサばあちゃんは頑なに家から動こうとしない。独居老人は危ないから、一緒に住もうって孫の父さん達が話しても、ヒサばあちゃんはどこ吹く風だ。ひ孫の俺の話なんか、余計に聞くはずもない。
七十になったばかりのじいちゃん達よりも、ヒサばあちゃんの方がずっと元気で。戦争を生き延びたからだって、じいちゃん達は笑うけど、俺にはピンと来ない。
そんな元気なヒサばあちゃんも、さすがに腰は曲がってる。電球の交換は、俺たち
さっさと仕事を終わらせるべく、俺は家の扉を開けた。
「ばあちゃん、来たよ」
「トシ君。ありがとうねぇ」
にこにこと笑うヒサばあちゃんを横目に、トイレのスイッチを押す。確かに電気は点かない。脚立を出して、電球を外す。白熱球のフィラメントは切れていた。
「やっぱ電球切れてるわ。買ってくるね」
「助かるねぇ。ありがとう」
俺は急いで家を出て、駅前の電器屋に走る。コンビニでも買えるかもしれないけど、確実にあるとは言えない。まだギリギリ、二十時前。危ない橋を渡りたくはない。
駆け込んだ店内には、閉店メロディが鳴っていた。急いで電球売り場へ足を向ける。並ぶ光の数々に目移りしそうになるけど、俺の目的はただひとつ。白熱球だ。ヒサばあちゃんの家の電気は、全部白熱球なんだ。
もっと明るい方がいいんじゃないかと思うけど、ヒサばあちゃんは、黄色っぽい優しい明かりが好きらしい。
でも今日の俺は、違う光に目を奪われた。
『光、長持ちLED。あなたと家族を、十年見守ります』
ポップに書かれた文字と、展示された柔らかな光。白熱球と同じ黄色い明かりに、思わず手が伸びた。
これなら、ヒサばあちゃんも文句は言わないはずだ。電球交換の頻度は、少ない方がいい。電気代も節約になるみたいだし。
俺は閉店間際のレジに、LEDを差し出した。
「千五百六十円です」
思いがけない店員の言葉に、思わず問いかけた。
「え、そんなにするんですか?」
「はい。こちら、LEDですので」
嘘だろ。給料日前なのに。思わず箱を取り、苦笑いを浮かべた。
「もうちょっとだけ考えさせてください」
「はあ……構いませんが」
再び電球コーナーへ舞い戻る。
普通の白熱球より、千円以上高い。たった一個だけなのに、こんなに値段が上がるとは。この小さな電球に、それだけの価値があるのだろうか。
閉店間際の店内で、店員の冷たい視線を浴びながら、俺は必死に考えた。
まず頭に浮かんだのは、安くなる電気代。でもポップの説明を鵜呑みにしていいのか、俺には分からない。
次に浮かんだのは、電球代。単純計算で、LED一個で白熱球が五個買える。でも十年間で、そんなに使うんだろうか。電球が切れる頻度なんて、そんな細かく覚えていない。
そこまで考えた時、スマホが震えた。画面には彼女から『カラ友と歌ってくるよ』の文字とピースサイン。今日三枚目の写真だ。
ヒサばあちゃんの家に来たから、この写真がある。電球交換の回数が減ったら、写真も減るのか。なんかそれは寂しい。
そう考えた時。不意に、ヒサばあちゃんの笑顔が浮かんだ。
「お客さん、すみません。もう閉店なんですが」
「あ、すみません。これだけ買います」
痺れを切らした店員の声に、俺はそそくさと会計を済ませた。
「ばあちゃん、お待たせ。買ってきたよ」
「トシ君、ありがとうねぇ」
ヒサばあちゃんの家に戻った俺は、トイレにいつもの白熱球をはめた。スイッチを押すと、優しい光が点った。
「トシ君の好きなカレー、出来てるよ」
「ありがと」
電球が切れたと、ヒサばあちゃんが電話を寄越すのは、いつも夕飯前。交換が終わると、いつも俺の好物を出してくれる。
「美味しいかい?」
「美味いよ。ばあちゃん、またカレー作ってね」
白熱球の下で、ヒサばあちゃんは嬉しそうに笑った。
俺はやっぱり、この笑顔が好きだ。そのうち、彼女を連れて遊びに来てもいいかなと、何となく俺は思った。
LED 春日千夜 @kasuga_chiyo
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