第11話 ふたりの決断
小さな鬼灯のような恋は花咲き、祝福をしているかのように花びらが絨毯を作る。露凝る下生えは今は青々として、黄色い花を咲かせている。
友人と呼べるかは何とも言い難いが、クラスメイトとはあっさりした別れだった。涙も流さず、担任には模範的な回答をし、ひっそりと教室を出る。間違いなく、一番に顔と名前を忘れ去られるだろう。葉純凜太という男子生徒は、次期茶道の家元として目立っていて目立たない存在だった。
卒業式で涙を流す母は少し痩せたようにも見える。卒業祝いに好物ばかり用意し、凜太は美味しい、と普段よりも多めに胃に入れた。
卒業おめでとう、というメールに、凜太はすぐに返信した。
──明日、駅で。
──卒業旅行楽しみにしています。
──コンドームとローションくらいでいいか?他に必要なものは?
──大丈夫です。それとも、何かプレイをお望みですか?
メールの代わりに、電話が掛かってきた。
『お前さあ……』
「こんにちは。卒業出来ました」
『おめでとう』
「ありがとうございます。同じ大学ですね」
『そうだな。じゃなくて、俺初めてなんだからよ、もう少し言い方を』
「痛みがあるものはお断りですが、あなたが望むなら何でもしてあげたい。私も、望みはありますし」
『なら自分を大切にしてくれ。今の望みはそれだけだ』
「今の、ですね。判りました」
『口が減らないな』
淳之は笑っている。
『家元は心配ないか?』
「ええ。仕事で明日も家にいませんので」
『なんか、バレたら俺この世から消されそう』
「ならばふたりで逃げましょう」
『何処に?』
「茶道と、サッカーの出来る場所へ」
無理に決まっている。それでも、少しばかり気持ちが高ぶる。そうできたら幸せと罪悪感に飲まれ、どんな人生を送るのだろうか。ある程度冗談を言い合ったところで電話を切った。
池の鯉は波を立てて凜太を呼ぶ。祝福をするためではない、餌を撒けと催促している。水面に浮かぶ桜の花びらが揺れ、やがて鯉の口に飲まれていった。
旅行というより、家出や現実逃避に近い感覚が鼓動を激しく打ち鳴らす。胸に手を当てていると、心配した淳之は太股に手を置いた。
「平気です。今はもう薬も飲んでいません」
「けど、激しい運動は控えてんだろ」
「セックスは、平気です」
タクシーの運転手は聞こえないふりをして、料金とガソリンの量を確認した。
民宿の前で下ろしてもらい、タクシーを見送った後、淳之は大きく息を吐いた。
「人前はさすがに止めろって」
「男同士ですし、良くないですね」
「そうじゃない。俺は平気だ。けど、お前の立場があるだろう。万が一家元の耳に入ったら」
「……そうですね」
家出や現実逃避ではなく、これでは駆け落ちだ。明かせない恋は、決して美しいものではない。いつまで続くかも判らない。
ロビーで来ると、淳之は名を告げた。葉純という名字は使えなかった。奮発した部屋は温泉が沸く風呂つきだ。見た目も香りも美しく、鎮静効果のおかげか、先ほどまでの心臓の高鳴りは落ち着きを取り戻した。
「今更だけど檜アレルギーはないよな?」
「ある方はお風呂でも反応するのですか?」
私はないです、と返す。
「らしい。足に触れるだけで痒みが起こったり」
湧き出る温泉に手を触れる。透明な液体は、ぬめりはなくさらさらとしている。熱さのせいで指先に赤みが増した。
「夕食を食べてから入りませんか?」
「そうするか」
「余裕そうですね」
「そうでもねえよ」
「そうですね」
こつん、と頭を小突かれる。下腹部の盛り上がりは、どう見ても爆弾を抱えている。
味を噛み締めるというより、体力をつけるために夕食を取っているようなものだった。
がつがつとした食事を終えると、それそれ風呂に入る。「ひとりでするな」と連続して呪いを唱えられ、淳之は餓えた気持ちを抱えたまま身体の汚れを洗い落としたが、煩悩までは落とすことができなかった。
「何してる?」
月を見上げていた凜太は振り返り、石鹸と体臭が混じり合う香りを体内に入れた。
「月を……見ていました。約束は守られたようですね」
高ぶりは衰えを知らず、布を押し上げている。
「こんなに性欲が強いとは思いませんでした」
「今までの人と比べるなよ。したことないんだから」
浴衣から見える白い足に、淳之は喉を鳴らした。たった一枚の薄い布を剥がせば、天国のような快楽が待ち受けている。
凜太を夜具に落とし、肩から浴衣を滑らせた。足と同じく、陶器の肌が月明かりに照らされより滑らかに見せた。赤く熟れた凝りの匂いを嗅ぎ、ひと舐めするとミルクのような香りがする。
「……なんだよ」
「別に」
「何か言えよ」
「性欲魔王」
その言葉は反省しろ、という風に聞こえた。
「煽ったお前も悪いけど、確かにそうだ。悪かったな。痛いところはないか?」
「ありません。とても良かった。野生動物みたいでしたね」
「………………」
「けれど、しばらくはできそうにないです。腰が壊れます」
「……ごめん」
弱々しい声に、凜太は喉の奥で笑った。
「久しぶりで、私もとても興奮しました。本当に、良かった」
「まさか、別れようとか考えてないよな」
気が遠くなるほど高くそびえる月に、凜太は視線を送る。
「考えているわけでは。ただ、これからの人生を思うと、淳之さんを巻き込んで良かったのか、常に不安に駆られます」
「話してくれるだけ、成長したな」
まだ熱は抜けてはおらず、白い肌に指を這わせると小さな吐息が漏れた。
「お前が、家を継がなくてもいいって話してくれたとき、心底安心したんだ。お前の家族からすれば薄情者だろ。けどな、それだけお前に真剣なんだって気づけたんだ。どこまでサッカーで夢を叶えられるかわかんねえけど、それでも一緒にいてほしい」
「普通の女性ならば逃げて行きますね」
「だな。将来性の見えない男は論外だ」
顔を近づけると、凜太も笑みを零し唇を差し出した。
何度も別れや距離を置こうと決心しても、結局は磁石のように離れられない。蜂が美しい花に吸い寄せられ、凍ったままでいた心を溶かしていく。美しかった花氷はむき出しになり、針ごと優しく包み込んだ。
花氷のリン 不来方しい @kozukatashii
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