ちー、ぱっぱ

水瓶と龍

ちー、ぱっぱ

少年が高級そうな赤い絨毯の上に座り込んで4枚のカードを並べている。

そのカードには「◯」「△」「□」「☆」のマークがそれぞれに描かれている。

その少年は一枚ずつ丁寧にカードを表向きに横に並べて、「ちー、ぱっぱ。ちー」と言葉を発しながらそのカードを一枚ずつ指差してる。

左から順番に「ちー」の時には「◯」のカードを指差し、「ぱっ」の時には「△」のカードを、「ぱ」の時には「□」を次の「ちー」の時には「☆」を指差している。

そしてその一連の動作が終わるとカードを重ねて裏向きにして横にスライドさせるようにカードをシャッフルさせる。

そして、またカードを表向きに絨毯の床に置いた。

今度は左から「☆」「△」「□」「◯」の順番だ。

少年はまた左から「ちー、ぱっぱ」とゆっくりとした動作で指さしを始める。


その少年は前髪を綺麗に切り揃えられ、綺麗な白のシャツと紺色のズボンをはいている。その服の仕立ての良さからいいトコのお坊ちゃんの様に感じられる。靴下は履いていなかった。足には虫刺されの様な赤い斑点がいくつかあった。


少年は繰り返し同じ事をしているが俺が部屋に入ってから一度もこちらを見なかった。ものすごい集中力でその作業とも言えるような遊びを行なっていた。


俺に与えられた仕事は「この部屋の中にいる子と一緒に遊んでやってください」という、至ってシンプルなものだった。


その仕事は俺が開設しているブログからのメッセージから依頼が来た。


俺は営業の仕事をしていて、情報収集の記録の様な形でブログを始め、アフィリエイトという物を知り、雀の涙程でも収入が得られればと趣味と小遣い稼ぎ目的で日課の様にブログを更新していて、ちょうど子供が産まれたばかりだった事から、教育関係の記事や育児や将来の生き方なんかをテーマにブログ更新を続けていた。

ある記事で発達障害に関して、


「障碍児や障碍者の事を理解していくにはまずは関わって見ることが大切だ。彼らは僕たちとさほど変わりはなく、ただ個性が強いがために生きづらくなってしまっている。そして地域住民の偏見等により避けられてしまい、ますます壁が高くなり、何かトラブルが起きるとまた壁が高くなりどんどん社会と壁が出来てしまう。もっと一人一人の個性を理解できれば本当の意味でのバリアフリーな社会になるだろう。その為には彼らと同じ時間を過ごして見ることが重要だ」


という記事を書いたところ、その時に起きていた事件などもあり、Twitterから話題になり一時的にブログ訪問者数が激増した。その時にこの仕事の依頼が来たのだ。


その場所は東京の郊外にある施設でエントランスは綺麗な芝が広がっており、花壇には色とりどりのは花が植えてあり、何人かの若者が雑草を抜いたり手入れをしていた。ちょうど桜が咲き始めた季節で、桜の木の近くでは小学生くらいの子供たちが走り回ったり飛び跳ねたりして、何人かの大人が見守る様に一緒になって遊んでいた。


建物は白を基調としたシンプルで綺麗な二階建てで、かなり横長に広がっていて大きな施設なんだと思わせられた。


建物内も清潔で、壁の角や階段などにはクッションの暑いスポンジの様なモノがキッチリはめられていて、床も柔らかい素材で歩くと軽く跳ね返してくる様な、どこで転んでも大丈夫そうな感じで、至る所にそう行った配慮が見受けられた。


壁には恐らく施設の子供が書いたであろう絵がキチンと額に入って等間隔で飾られていた。


俺は施設の入り口にいた、スーツを着た依頼主の初老の男性に案内され、今居る「療育室C」という部屋に案内された。


部屋の中にはカラフルなおもちゃや、文字や動物等の絵が大きく書いてあるボードなどが部屋の隅に綺麗に片付いて置いてあったが、その少年は4枚のカードだけを持ち、「ちー、ぱっぱ」という遊びを繰り返していた。


俺は部屋に入った時に柔らかい口調で「こんにちわ」と挨拶したが、その少年は俺の声に全く反応せずにそのカード遊びに夢中になっていた。


俺が与えられた仕事は「この子と一緒に遊んで下さい」というものだったから何とかしないとと考えるも、始めに俺の挨拶が通らなかったせいで、少しの間見るだけの形になってしまった。


このまま見るだけじゃあ仕事として成立しないだろう。

この仕事は一回で1万5千円という報酬なので俺は家を出る時妻に

「これで仕事が数珠つなぎに来たりしたら、もっと良い家に住めるぞ」

なんて大きな事を言ってしまった手前、何としてでも、良い成果を上げたかった。


俺は以前に書いた記事を思い出し、どうやって話すべきか考えていた。


「発達障碍児の特徴の一つとして人の音と周りの音の区別をつけにくかったり、抽象的な表現だと伝わりづらい事がある。

話す時は目を見て具体的な内容を伝える様に心がけるとよい。また、こだわりの動作や作業を無理に止めてしまうと、その消化しきれていない分がストレスとなり違う形での生活困難な事が出て来たり、個人によってはパニック症状を起こしてしまうこともある」


と、どこかの記事から引用した文章を思い出し、彼が「ちー、ぱっぱ」と言い終えてカードを重ねるタイミングを待ち、今度はしゃがみ込んで彼と同じ目線で、彼の視界に入る様にはっきりとした口調で声を掛けてみた。


「こんにちわ。今日一緒に遊ぶ広田です。この遊びは後何回やるの?」


と聞いてみた。


彼は視界に入った俺を見たが、無視された。

無視されたと言うよりは彼にとって俺は風景の一部として見ている様だった。彼は確実に俺の目を捉えたがすぐに視線を外し、辺りのモノを見回してから、また同じ遊びに戻っていってしまった。


目はあったが彼は俺の事を見ていなかった。俺の目よりも奥の方を見る様で、俺はまるで本当に景色の一部になってしまった様な感覚になってしまった。

俺がまだ小学生かなんかの時に、軽いいじめの様な感じで無視された事はあったがそれは俺の事を認識して、ワザと聞こえないふりをしていたが、こんなに完全に無視されたのは初めてだった。

俺は狼狽えて恥ずかしくなってしまった。背中と脇から汗が流れて行くのが感じられた。


俺は初めの関わりで失敗してしまったと思い、次にどうするべきか、座り込んでしまった。

彼はまだ「ちー、ぱっぱ」とゆっくりとしたリズムで集中して同じ遊びをしている。今は左から「□」「◯」「☆」「△」だった。この並び方に法則性はない様だ。


どうやったら「一緒に遊べ」るのだろう。腕時計に目をやると俺がここに入ってからもう10分が経過していた。

俺はこの10分の間、必死に考えてもどうやってアプローチしたらいいのかわからなくてなってしまった。

とにかく無理に彼の遊びを止めるのはやめた方が良さそうだ。恐ろしく集中しているし、無理にこちらのペースに持って行こうとしてパニックになられても俺には対処が出来ないだろうし、彼が何を望んでいるのか、わからない。


「人によっては聴覚過敏や視覚過敏、接触過敏など特定の要素で大きなストレスを与えてしまう事がある。例えば、背中を極端に嫌がる人や、子供の甲高い声を嫌がる人や、バットの様な硬くて長いモノに対してストレスを感じてしまう事がある。」


以前書いた自分の記事がどんどん俺の中での彼とのコミュニケーションの選択肢を狭めてしまう。何故事前にもっと情報をくれなかったのか、依頼主に軽い怒りを覚えたが、これも何か依頼主の意図するモノなのだろうか。


色んな過去の記憶を思い出し、彼の動作を観察して、どうやって彼と「一緒に遊ぶ」かを考えているうちに時計を見ると部屋に入ってから15分が経過していっていた。


15分の間何も出来ていない。どうすればいいのか。


「他者との関わり方は人それぞれで、一緒にいる人の腕を触れるとそれだけで満足する人や、手を繋ぐのが好きな人や、同じ空間にいる事で充分な人など、また、その逆も然りで、一人一人に合ったコミュニケーション方法があり、それは多くの時間を使い、様々な方法でコミュニケーションを取りながら、様子を見て関係性を築くのが最も確実で、理解するのに一番の近道と言えます。全人類に言えることと全く同じで、人それぞれのコミュニケーション方法があるのです。」


俺は思い切って彼の手を一回止めて見ることにした。

それも「ちー、ぱっぱ」が終わり、カードを重ねているタイミングでゆっくりとこちらの手を近づけながら手を優しく取り、ゆっくりと「こんにちは」と声をかけて見た。

すると彼ははっきりと俺の目を見た。

今まで同じ行動を繰り返していたのが急に俺の意図した様にこちらに気づいてくれたので嬉しくもあり、少し驚いた。


そうか、こうやってゆっくりと近づいて行けばいいのか。


俺は確信の様な手応えを感じさらに続けて彼に声を掛けた。


「僕の名前は広田です。君の名前は何ですか?」


俺は自分の名前を言う時に自分を指差しながら声をかけ、彼の名前を聞く時に彼に向かって手を軽く差し出して聞いてみた。


彼は俺の目を凝視している。


今度は風景じゃなく、俺を見てくれているのがわかった。

彼は少し考えた様に俺の目を見て体は止まったままの状態だった。

少しの間が空き、彼はものすごくスムーズにそして「ちー、ぱっぱ」の時よりも三段階位低い声で滑らかにこう答えた。


「君はどうして近くの空を遠くに見るんだい?」


そう、喋り終えると彼はまた「ちー、ぱっぱ」と遊びに戻ってしまった。

俺は彼が低く滑らかな口調と、その答えの内容に驚いてしまった。多分ずっと俺は微笑んでいたつもりだったが、顔の筋肉が緊張して強張っていてしまったかもしれない。


君はどうして近くの空を遠くに見るんだい?


俺はこれに答えられなかった。

どうして?近くの空?

どう答えるべきか。答え?答えがあるのか?

俺は想定外の彼の返答にまた脇や背中からじっとりと汗が滲んでくるのがわかった。


彼はまだ「ちー、ぱっぱ」をしている。今は左から「☆」「△」「□」「◯」だ。規則性はやはり無いし、彼が喋った以外は初めと同じ光景が繰り返されている。


俺はどう答えるべきなんだ?

近くの空を遠くに見る理由?

俺はまた頭の中で以前書いた記事を思い出したがヒントは見つからない。これをどの様に答えたら正解なのか。考えているうちに時間がどんどん過ぎていってしまう。早く答えなければ、と質問を頭の中で反芻しひたすら考えた。すぐに答えなければ会話としておかしくなってしまう。


俺は彼がカードを重ねた時にまた彼の手をゆっくり取って答えた。


「空は高い所にあるから皆んな遠くに見るんじゃ無いかな?」


俺は非常に緊張した。営業で初めて飛び込み営業をした時より緊張していた。


彼はまた黙って辺りを見回した。

黙って辺りを見回している。


俺はまた風景の一部だ。目が合っても彼は俺の目ではなく、部屋の中のおもちゃや壁にかかったボード等と同じ様に、俺の顔の中の一部分を見ている。


そして、また彼は「ちー、ぱっぱ」と同じ遊びを繰り返した。


答えが違ったのだ。何と答えればよかったのか。「君はどうして近くの空を遠くに見るんだい?」

何故なんだ。


俺はまた彼の手を取ろうか、次は何て話しかけようか、必死に考えた。腕時計を見やるともうすぐこの部屋に入ってから30分が経過しようとしている。


彼は「ちー、ぱっぱ」を繰り返す。


遠くで鳥が鳴くような音が規則的に聞こえてくる。


もう一度挨拶をしてみようか。リアクションがあったのはあれだけだ。


彼がカードを重ねるタイミングを見計らい、さっきよりもゆっくりと手を出して触れようとした。


しかし、彼はカードを4枚裏返しに纏めると床にどん、と置き


こう言った。


「おしまい」




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ちー、ぱっぱ 水瓶と龍 @fumiya27

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