わたしと年金 または美しいわが祖国日本への戀文

古新野 ま~ち

第1話

日本国の民は皆、美しい互助の紐帯を結んでいる。三流人間にも分かるようにいえば必ず助け合わねばならない、ということだ。万世まで血を分けた輩への愛が、年金なのである。老いてゆく父母の背中を通して見えてくるのは、高齢社会。これは決して誰のせいでもない。災害の多い国であるからこその絆で乗り越えなければならない。万人で責任を分かち合おうではないか。日本人に産まれたならば、それだけで素晴らしい。日本人として生きている。そして日本人として死んでいく。今一度、日本国民とは死ぬことと見つけてみてはいかがでしょうか。そうすれば万事好都合。一度考えて頂きたい。政界や財界の男とは、この日本を支えている者たちだ。だからこそ多くの所得をもっているのだ。すなわち、健全な老後を過ごせるのは義務を果たしたがゆえの、当然の権利である。盲目的に漫然と、ただ制度だからという腑抜けた理由だけで払い続けた下等人間が、夫の稼ぎに寄生しただけの婆が、彼らの天寿を邪魔するなどあってはならない。それに国は手を尽くしてきた。株価の向上は日本の更なる発展である。崇高な目的であるならば、その責任の所在は全て等しく国民にあるべきである。政治の責任だ、などと糾弾するのは愚かである。2000万円ほども貯められなかった怠惰な者のために、年金制度の信頼を損ねるなどあってはならないのだ。国は、弱者を守る機構ではないのだ。


もう一度だけ言わせてもらう。惨めに生きた者たちよ。国に頼るというその姿勢が間違っているのだ。自助努力もできないことを自己批判しなさい。これが分からないとすれば情けない妥協の産物である「ゆとり教育」のせいかもしれない。いじめられた、仕事につけなかった、会社が倒産した、怪我をした、非正規労働、感情労働、子供や老人たちへの仕事、文化や芸術。すべて、金にならない不甲斐なさを覆い隠している、ただの言い訳である。彼らは日本の膿ともいえる。真の日本人ならば、公務員や製造業に従事できたものの、己の刻苦研鑽を怠けた有象無象の戯言を受け入れていれば、国は早晩、破綻するに決まっているではないか。弱者が群れをなして声をあげたとすれば、それは真の日本人にあらず。真の日本人であれば、上の決定に口を挟まず、その時世に任せた移ろいを、この世界で日本にしかない四季のような移ろいを、受け入れなければならないだろう。


最後に、年金制度がたとえ破綻したとしても、それも自然な災害なのであるから、日本人ならば黙ってその運命も受け入れなければならない。経済や軍事など、中韓の動きが目障りであるからして、いつか大災禍に見舞われるかもしれない。我々は、団結をしなければならないのだ。


一人の愛国者として断言できることがある。日本人とは死ぬべきときに、皆で共に死ねる、そういう人たちだと私は信じている。



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わたしと年金 または美しいわが祖国日本への戀文 古新野 ま~ち @obakabanashi

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