ローファイボーイ ファイターガール
今日もこのまま実家に一泊することになっているが、どうにもやることがない。朝食をとって、家の掃除や手伝いを終えたら、昼前になにもすることがなくなった。
そんなことをぶつくさ言いながら、リビングのソファで溶けていると、流石に見かねたお母さんが買い物に連れ出してくれた。といっても、近所のスーパーにだけど。
「まあよかったわ。荷物持ちしてくれるなら万々歳よ」
「ええーか弱い乙女にひどい」
「何言ってんの若いんだから文句言わない」
「それはしょうがない」
親子二人で、スーパーまで歩く。羽織ったコートが邪魔になるくらいのいい天気で、しばらく歩いていると少し汗ばむくらいだった。脱いだコートを小脇に抱えると、春目前の空気が冷たくも心地よい。お気に入りのフーディーの胸元に輝くロゴマークも誇らしげだ。現役のメタルコアバンドって、アートワークとかマーチがすごく凝っていて、普段使いしやすくていい。ゴリゴリで血みどろなのも好きだけど、普通のおしゃれ感覚で着れるので重宝していた。
お母さんと、学校のことや普段の生活のことを話しながら、目的地にたどり着く。地方特有のクソデカ駐車場の歩道を突っ切れば、すぐそこだ。
「あら、噂をすれば葵ちゃんじゃない、あれ」
お母さんが指差す方を眺めると、スーパーの壁際に設置された喫煙所が目に入った。
確かに、金色に近い茶髪の若い女性が一人、スマホを眺めながら一服つけている。
「あー、ほんとだ……。んんん?」
なんて事のない普通のスーパーなのに、格好が本気すぎる。浮きまくっている。
下から、赤いヴァンズにレギンス並みにピタピタの黒スキニー。よくわからないけれど、雰囲気で何かしらのバンドのマーチっぽいシャツに、深緑のネルシャツのボタンを上だけ留めて着ている。そしてスイサイダルテンデンシーズのフラットバイザー。足元に置かれたグレゴリーのバックパックには、スケートボードが固定されている。
——田舎のスーパーに本気すぎるスケーターがいた。
一時期のわたしよりコッテコテにキメているじゃないか……。しかし、身長かスタイルか、もしくはその両方か。妙に様になっていて、薄汚れたタイル張りの壁がストリート感を演出しているようにも見える。そこスーパーの喫煙所なのに。夏の夜とかカブトムシ突っ込んでくるところじゃん。
ここは西海岸なのか? どこからか速いパンクが聴こえてきそうだった。脳がバグる。
「お母さん、ここら辺にスケートパークってあったっけ」
「スケートパーク? スケート場なら最近潰れたわよ」
お母さんは小首を傾げながら街の近況を教えてくれた。また、「葵ちゃんも見ないうちに格好良くなっちゃって」なんて言っている。確かに様になっていてカッコいいけれど、ここら辺でスケートボードができるところがあるんだろうか。
「ちょうどよかったじゃない。買い物は私しておくから、挨拶でもしてきたら?」
「えーいいの? ……なんか緊張するな」
実際、緊張するのは本当だ。遊んでいたのはそれこそ小さい頃だけだし、恥ずかしいところをバッチリ見ていた人に、実は知り合いでしたなんて改めて挨拶するとか複雑な気分だ。でも、怖いもの見たさみたいな、そんな気持ちもある。
昔の自分を知る人が、今のわたしを見たらどう思うんだろう。
そんな、期待と不安が入り混じったまま、距離が縮まっていく。お店の入口は喫煙所の前を通らなければいけない。もしも素通りした時に、向こうがわたしに気が付いたら余計に気まずい。ここは、先手必勝か。
お母さんと別れ、自分一人で葵ちゃんの方へ向かう。昨日はいきなり声をかけてきた変な人だと思った。でも、もしかして、葵ちゃんはわたしのことに気が付いていたんだろうか。少し、答え合わせの前のような怖さがあった。
「あ、あの、すみません。もしかして、葵さんですか?」
わたしがおずおずと声をかけると、スマホを覗き込んでいた葵ちゃんがきょとんとした表情で顔をあげた。甘いバニラのようなタバコの匂いが漂う。
「おや、昨日のおもしろガールじゃん。誰かから名前聞いた? そうです私が葵ちゃんです」
彼女はわたしのことを見ると、纏めていないサラサラの髪の毛を片手で耳にかけて返答した。昨日感じた印象と同じ、人懐っこい笑顔。こうやって見ると、確かに幼い頃一緒に駆け回った面影がある。胸の中になんとも言えない懐かしさがこみ上げた。
「あ、あの、わたし、庄子です。覚えてますか? 小学校に入る前、よく一緒に遊んでくれてましたよね……?」
あえて、名前まで言わなかった。幼い頃の記憶は曖昧で、『ゆうちゃん』と呼ばれ妹分扱いされていたのは確実だけど、実際に彼女がどこまで覚えているかは一切わからない。一気に緊張と不安が高まって、喉が乾く。
「うーん?」
葵ちゃんは目を少し見開くと、火のついたままのタバコを咥え、遠い記憶を引っ張り出すように真上を仰いだ。清々しいまでに遠い目をしている。
——や、やっぱり、覚えていない? もしくは、わたしが女になっていて、記憶が混乱している?
いつの間にか、わたしは手のひらにぐっしょり汗をかいていた。行儀が悪いけど、とっさに履いていたガウチョパンツを握りしめる。嫌に長く感じる沈黙が続く中、くわえタバコの先から紫煙が空に昇っていく。
すると、重力に全てを任せたような勢いで、彼女の頭の角度が元に戻った。パズルのピースがハマったと言いたげな瞳と目があう。いそいそと咥えていたタバコを右手でもみ消すと、上ずった声音で口を開いた。
「え、え、もしかしてゆうちゃん!? マジで!?」
そう言うや否や、葵ちゃんはわたしの手を取って再会の喜びを口にしだす。
「うわっうわっ、久しぶりだねえ! ゆうちゃん可愛くなってて全然気がつかなかったわ! えーうわーヤッバい、語彙力死ぬ! えっしかもそのパーカー、ポラリスのでしょ!? 超いいね!」
手を取られ急に高くなったテンションに振り回されつつ、わたしも再開の喜びを実感している。さらに、昨日も今日も、歌やマーチについての反応がある。ということは、やっぱり葵ちゃんも同じような音楽が好きだということ。
昨日は初対面だと思っていたので、逸る気持ちを抑え混んでいたが、向こうがその気ならこっちも遠慮はいらない。
「お久しぶりです!」
わたしは、お母さんに一言連絡をすると、葵ちゃんとスーパーの敷地内に併設されたファストフード店に向かった。再開を祝して、飲み物を奢ってくれるそうだ。どうやら彼女は昨日のバイトが終わってから、大学の軽音サークルの先輩のところへ遊びに行き、つい先ほど帰ってきたばかりらしい。大学生の遊びがどんなふうなのかはわからないが、さっきまで感じていた懐かしさとは別の印象を抱く。深夜から遊ぶって、どんなことをするんだろう。なんか、大学生って感じ。そんな頭の悪い感想しか出てこない自分に落胆するが、経験値が無いのでしょうがない。
二人分のコーヒーを買うと、あらかじめ確保していた二人用のテーブル席についた。
「コーヒー、ありがとうございます」
「どうぞお飲み。いやあそれにしてもまさか、ゆうちゃんがこんな音楽オタになってるとはねえ」
小さなテーブルの向かいに座った葵ちゃんが、すらっとした足を組んでわたしに笑いかける。
「いやあ、なんのフーディーか一瞬でわかった葵ちゃんも大概ですよぉ」
「大学の先輩にめっちゃ教えてもらってるからねえ。ゆうちゃんは自分でディグってんの?」
「そうですね、周りにこういうの聴いてる子ほとんどいないので。あ、でも、先生に一人めっちゃ詳しい人います」
「えーなにそれ、超いいじゃん」
クスクスと笑うと、彼女は自分の高校時代について愚痴を並べ始めた。どうやら、バンド系の音楽の人気は壊滅的で、自分の好きな音楽を主張することすら憚られるような雰囲気だったらしい。確かに、周囲に合わせるなら、わざわざ自分の好きなものを口にする必要はない。むしろ、そのせいで白い目で見られたり、揶揄われたりするかもしれない。多分、自分がそうなっていないのは、偏に運が良かっただけなのかもしれない。
「そういえば、葵ちゃんスケートボードできるんですか?」
話を膨らませようと、さっきからずっと気になっていたスケートボードについて尋ねる。
「んふふ、できそうに見える? 昨日先輩から貰ったばっかりでできませーん」
手を十字に交差させ、バッテンを作り朗らかな笑顔で否定する。
「あ、そうなんですね。……だ、大学生って、どんな遊びしてるんですか?」
やっぱり、夜中に集まってする遊びの内容が気になる。小さい頃は外で遊んでたイメージしかない葵ちゃんは、今どんなことをしているんだろう。
「昨日はひたすらスマブラやってたねえ。あとドラクエ」
「スマブラとドラクエ」
「明日は一日かけて市内のラーメンツアーやるよー。ゆうちゃんも来る?」
「ラーメンツアー……。あ、ご、ごめんなさい。わたし、明日の朝に向こうへ帰るんです」
「あら、そうなんだ、残念」
ニコニコ顔のまま、少し寂しそうに言うと、彼女は少し考えるように視線をずらした。咥えたストローの中をゆっくり液体が昇っていくのが見える。
「あ、でも大学でこっち戻って来るんだよね」
「あっはい、そのつもりです」
「そしたらさ、また遊ぼうよ」
「わっ、ありがとうございます! 遊びたいです!」
彼女はまたにっこり笑うと、「連絡先交換しよう」とスマホを取り出した。わたしも喜び勇んでスマホを取り出す。また一つ、画面に名前が増えたことに喜びを感じる。
その時、ふと忘れものを確かめるような軽さで葵ちゃんが呟いた。
「そういえばゆうちゃんさ、どうして東京の方の学校に行ったの?」
わたしの表情が、一瞬こわばる。やっぱり気になるよね。でも、わかってる。地元に戻れば、少なからず訊かれるだろうと想定していた。それだけのこと。きっと、今のわたしなら乗り越えられる。
「ええと、ちょっと、中学の時にいろいろありまして——」
わたしは、いじめによって途中から学校に通わなくなったことをかいつまんで説明した。ただ、その原因である性別の変化については触れない。いじめが元で、遠方の学校に進学すること自体は不自然じゃないと思うから。
「向こうの学校で、いろんな人に会って、わたし、ちょっと自信がついたというか。根拠はないんですけど、こっちでもうまく、やり直せるかなって思ったんです。あ、あと、ちょっと恥ずかしいんですけど、両親とも関係を修復したいと言うか……。いやっ、その、今も結構良くなってきてはいるんですけど……」
一通り説明してる間、テーブルの向かいの彼女は真剣そうに、時折相槌を打ちながら話を聴いてくれた。
「むぅぉおおおおん……。えっ、ゆうちゃんめっちゃいい子……。こりゃあもう、葵お姉ちゃんが一肌も二肌も脱くしかないなー」
「あはは。そういえばわたし、ずっと葵ちゃんのこと男子だと思ってて、昨日お母さんから聞いてめっちゃびっくりしたんですよー。だから昨日も全然気づかなくて」
ほんとうに、幼い頃、短い間しか交友がなかったとは思えないくらい自然に笑いあえるなんて。嬉しくて勝手に顔が綻ぶ。
「あぁー、そういえば私のこと『あおいくーん』って呼んでたよねー懐かしー。あん時の私クソガキだったからなー」
いやー参っちゃうね、と葵ちゃんが手をひらひらさせて言うのに合わせるように、彼女の手元のスマホがムームーと音を立てた。
どうやら、何かしらのメッセージを受信したらしい。急に表情が曇る。
「あーやべ。今夜の練習の曲耳コピしてないや」
「あ、なんだかごめんなさい。予定ありますよね」
「うんにゃ、だいじょーぶ。仮眠して速攻スタジオ行けば余裕余裕。それじゃさ、ゆうちゃん大学入ったら私とバンド組もうよ。私ギタボやるから」
願ってもない提案だ。思わぬところから、地元に帰る目的が一つ追加された。一瞬でギターを弾きながら歌う葵ちゃんの姿を想像すると、胸が高鳴る。
「いいんですか!? やりたいです! わ、わたしベースやってますから、ばっちこいです!」
「おっマジで? いいじゃーん」
葵ちゃんはカッコつけた指パッチンを一つ鳴らすと、大きな伸びをして続けた。
「んんん、さすがにちょっち眠いね。ぼちぼち、帰りましょか」
「あ、わたしもお母さんのことすっかり忘れてました。えへへ」
彼女は「親孝行しろよー」と言いながら、大儀そうに立ち上がると、腕と首を回し始めた。たぶん、夜通しやりまくったというゲームのせいだろう。コキコキと、聞こえる分には小気味好い音が鳴っている。
二人揃ってお店を出ると、相変わらず清々しい天気だ。まるで、懸念ごとをまた一つやっつけたことを祝福してくれているように感じる。しかし隣を見れば、徹夜明けの葵ちゃんには毒なのか、しきりに目をしょぼしょぼさせている。やっぱり、大学生は生活習慣が崩れがちなんだろうか。
お母さんから、買い物を済ませて先に帰宅した旨のメッセージが届いていたので、葵ちゃんと他愛のない会話を続けながら帰路につく。大学の勉強のことや、サークルのこと、バンドのことなど。ちょうど昨日と同じコンビニで別れるまで、会話は途切れなかった。
「あの、あっちに戻っても連絡しますね! 進路のこととか、またいろいろ教えてください!」
「まっかせなさーい!」
葵ちゃんは、いよいよ睡眠不足による思考力の低下が深刻なのか、ヘラヘラ笑いながら両手でピースサインを作り顔の横で小刻みに振っている。形の良いアーモンド型の目が半分以上閉じられている。今にも寝てしまいそうだ。
「あ、そうだ」
ふらふらと彼女がわたしに近づいて、耳元に顔を寄せる。なんだろう、大事な話だろうか。
「今はいろんな人がいるからねえ。男の娘とか大好物だから、私のことはお姉ちゃんだと思ってドンときなさいな。それじゃあまたね、ユウトくん」
うん? いまわたしのこと、なんて呼んだ?
男の子? ユウトくん……?
「ふぁっ!?」
一瞬フリーズしていた! 確かに、自分が女になったことは話してないけど、それは葵ちゃんがわたしのことを女の子だと勘違いしていると思っていたからで……。
——いや、最初からわたしが男子だって知ってたってこと!?
「えっちょっ、葵ちゃん……!?」
引き止めて説明しなきゃと思った時には既に手遅れで、スケートボードに乗り去っていく彼女の背中しか見えない。ゴロゴロとウィールの転がる音が虚しく小さくなり、やがて視界から姿を消した。
「いやめっちゃ乗れてるじゃん!!」
****
なんだか、予想以上に疲れた帰省になってしまった。キャリーケースに詰め込んだお土産分以上に、心に溜まった疲労感が重く感じる。
初めて飲んだお酒で、お母さん相手に訳の分からないことを言いまくって、久しぶりの再会だった葵ちゃんには、恥ずかしいところを見られた上にいろいろ誤解されている。これでお母さんがあの夜のことをすっかり忘れていなければ、わたしの心が羞恥心で死んでいただろう。お酒弱いお母さんグッジョブ。これからめっちゃ気をつけます。
「忘れ物とか無い?」
新幹線の駅まで見送りに来てくれたお母さんが問いかける。
「うん。大丈夫。向こう着いたらまた連絡するね」
あと少しで、また日常に戻ってしまうと思うと、少し切ない。
お母さんは小さいため息をつくと、いつもの優しい微笑みでわたしの手を握った。
「お義父さんとお義母さんにもよろしくね。それじゃあ、体には気をつけていってらっしゃい」
「うん。いってきます。またね」
大丈夫。きっとすぐ戻ってこれる。いろんなものを貰ってきたから、きっとやり直せる。そう思えば、自然と笑うことができた。
わたしが切符を定期入れから取り出すと、お母さんがなんだか悪いことを企んでいるような笑顔になる。嫌な予感……。
「嶺くんと戻ってくるの楽しみにしてるわ。いい子なんだから、逃しちゃだめよ」
なんですって?
「えっ、そのこと、言ったっけ……!?」
わたし、嶺もこっちの大学が志望校なんて、シラフのときに言ってない。
「たっぷり惚気話聞かされましたから」
「ウッソでしょ!? 記憶ないんじゃ……!」
「あれっぽっちで忘れるわけないじゃない。ほらほら時間よはやくしなきゃ」
ハメられた! 実の母のくせに大人気ない!
「うわっこのっ、恥ずかし! 死ぬ! ……いってきます!」
無理くり改札に押し込まれてしまったわたしは、失意のまま地元を後にした。
お母さんには、恥ずかしい話を一切合切ぶちまけてしまった。
葵ちゃんには、改めて誤解をとくように説明しなきゃいけない。
この二日間のことと、これからのことを考えると平静ではいられない。いられないが、新幹線の座席ではままならない。行き場のない心の叫びだけがぐるぐるしていた。
(んあー……死にてー。このまま新幹線に何か起きてタイムスリップしないかなぁ……)
悶えることにも疲れた頃、わたしは全てを諦めてヘッドホンの音量を上げ、大人しく目を閉じた。
なるようになれだこのやろう。
ブリング・ミー ふえるわかめ16グラム @waaakame16g
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