拾弐 ユニゾンライアー
天気の良い穏やかな昼下がり。
しかし既に季節は初冬。空気は思ったよりも冷たく、指先が僅かにかじかむのを着たきりの薄いコートのポケットに手を突っ込むことでやり過ごした。
目の前に立ちはだかる冷たい鉄の門の向こう、堂々とした佇まいでそびえる洒落た建物からキンコンカンコンと間延びしたチャイムが鳴るのを聞いて、俺は心の中でしっかりと気合いを入れ直した。
俺は少しの確信と大きな不安を持ってこの場所に立っていた。ちらりと脇に鎮座する石の門柱に目を向けると、そこに埋め込まれたプレートには「都立 神明高等学校」と書かれている。そう、ここは高校だ。俺の自宅から徒歩と電車で四十分ほど。近くはないが遠くもない、そんな距離感にその高校はあった。
形見のチャームを取り返すと決意したあの日からもう幾日かが経つ。その間、俺は図書館に通い、パソコンやインターネットを駆使してあの少年少女の情報を集めた。まあ、色々な切り口で調べてはみたが結局あの少年少女自身に繋がるような情報は何一つ出てこず、一番役に立ったのはインターネット上で受験生用に公開されていた都内の高校の制服図鑑だったのはなんとも言えない徒労感があったが。
最初、俺は図鑑で少女の方が着ていた制服を探していた。少年は俺を庇った怪我で学校を休んでいるかも知れない。学校で待ち伏せても出会えない可能性があった。だが、少女の方の制服はいくら探してもその図鑑には載っていなかった。収録漏れか、都外の学生なのか、判然とはしなかったが少年の方の制服が割とあっさりと見つかったため、そちらに賭けてみることにしたのだ。
しばらく待っていると、校舎からは授業を終えたらしい高校生の男女がぞろぞろと帰途につくために出てきた。彼らは校門の脇に立つ俺をちらりちらりと見ながらも、流れるように校外に散っていく。
俺はといえば、校舎から出てくる高校生たち、特に男子生徒の顔を見逃さないように気をつけて視線を泳がせていた。彼らの着ている制服は図鑑で調べた通り、あの時の少年が着ていたものとそっくりだ。あの少年がこの高校の制服を着ていたのはほぼ間違いない。あとは彼が学校を休んでいなければ、この校門で待ち伏せれば出会えるはずだ。
怪しい行動なのは百も承知だ。最初は「困っているところを貴校の生徒に助けられたが、名を名乗らずに去ってしまった。しかし、どうしてもお礼がしたい」という嘘とも本当とも言えない方便を使って特定しようかとも思ったが、昨今、そんなことをしても個人情報は教えて貰えないだろう。俺にはこれ以上の作戦は思いつかなかった。
なかなかアタリが来ないまま、どれくらいが経った頃だろうか。そろそろ教師に見つかってしまう頃合いだろうかという気はしたが、その期待に応えるように校舎から白髪交じりのいかつい男性教師がこちらに向かってやってきたのを見て、俺は内心冷や汗をかいていた。しかし、逃げようとすれば即警察に通報されてしまいそうな気もする。離職した途端に「男子生徒をじろじろ見ていた」なんて罪状で元いた職場に厄介になるのは嫌だった。俺はなんとかその場に踏みとどまり、近づいてくる教師になるべく無表情で軽く会釈をした。
「さっきからずっとここにおられるようですが、当校に何かご用ですかな?」
口調は穏やかだが、下手なことを言えば即通報か、少なくとも追い返されて二度とこの学校の敷居を跨ぐことはできなくなりそうだ。じりじりとした焦燥感。何かいいアイデアはないだろうか。
だがいつまでも黙っていることはできない。とにかく、何か言わなければと口を半開きにした瞬間だった。
「
急に名前を呼ばれて驚いた俺は、きょろきょろと辺りを見回す。いつの間にか俺と教師の周りには興味本位の生徒たちで作られた人垣が出来ていたが、その人垣から一人の少年が他の生徒たちを掻き分けて出てくるのが見えた。
「!」
月と街灯の明かりの下で見たときとは少し受ける印象は違っていた。あの時は随分と凜々しいイメージを受けたが、今はどこかぼんやりとぼやけた印象しか残らない。しかし顔を見れば間違いなくあの時の少年だった。
何故彼が俺の名を呼ぶのだろうかとか、怪我は大した事無かったんだなとか、考えるべきことはいくらでもあった。だが少年は俺がその何かを考える間もなく、少し困ったような顔をして俺の元へと歩み寄り、また親しげに声を掛けてきたのだ。
「龍麻さん、もう来てたんですね。お待たせしてしまったみたいで済みません」
にこと微笑んで俺と待ち合わせていたかのように振る舞う少年。驚きと戸惑いでスルーしてしまいそうになるが、すんでの所でこれが少年が出してくれた大きな助け船なのではないかと気付いて、俺もぎこちなくではあったが彼に笑顔を返す。
「あ、ああ。早く来すぎたみたいで、こちらこそ済まない……」
俺に詰め寄っていた教師は俺と少年を見比べて首を傾げた。気持ちは分かる。
「ええと、確か君は二年の渡辺だったな?」
「はい、二年E組、
「この人とは知り合いなのかね?」
教師の訝しげな声に対する彼……渡辺くんの返事はいくらかわざとらしかった。
「ええ、先日道で転んでしまった時に近くにいた龍麻さんが咄嗟に庇ってくれたんです。そのお礼もしたいし、龍麻さんみたいに咄嗟に人助けが出来る人の話を聞いてみたくて、今日ここで待ち合わせることに……」
どうやら彼は演技が得意な方ではなさそうだ。しかしここは二人で切り抜けねば、ややこしいことになる。俺は持ち得る最大限の力をもって、教師を納得させなければならない。その為には嘘も方便と肝を据わらせなくてはならない。
嘘はいくらでもつけた。ただ、受け答えはなるべく控えめに、自分以外の誰かを悪者にしないように気をつけなければならないだろう。
「渡辺くんにここで待ち合わせることを提案されて咄嗟に深く考えずに引き受けてしまったんです。反故にしてしまっては彼にも悪いと思ったので来てみたのですが……。でも学校と無関係の男が平日の昼間から校門に立っていたら、怪しいと思われるのは当然ですよね。……申し訳ないです。配慮が足りませんでした」
しおらしくしながらそんな言葉を紡ぐ俺はまるで善人の皮を被った嘘つきだ。少しだけ良心が痛んだが、俺はその演技を止めることはなかった。
善であることと自分が信じていた正義を貫くことは、同義のように見えて実のところあまり関係ないのではないか。俺の貫き通したい正義は個人の志の類いでしかなくて、それが社会的なレッテルである善であるかどうかは関係がない。
最終的に俺がどちらを取るかと言えば、それは決まっていた。
「………………」
それでも慣れない俺の演技には隠せぬ胡散臭さがあって、教師は考えあぐねているようだった。勿論、彼の警戒は正しいと言っていいだろう。こんな嘘で塗り固められた言い訳を簡単に呑み込んでしまうようでは、この学校の危機管理はザルも同然だ。
最終的に、一応の信用を選んで貰えればいいのだ。それ以上を望むこともあるまい。
しばしの逡巡の後、教師は渡辺くんを振り返ってその肩にぽんと手を置いた。
「もう幼い子供ではないのだから解っているとは思うが、危険なことはしないようにな。それと、暗くなる前には帰宅すること」
「は、はい!」
「あと、貴方も紛らわしい行動は慎んでください。貴方はまだ若そうだが、それでももう立派な大人なんですからな」
彼は俺に向かって最後にそれだけ言うと、ゆっくりと俺たちに背を向けた。そして俺たちの周りに集まってきていた野次馬にガツンと一喝する。
「ほら!お前たちも早く帰りなさい!」
教師の一喝に蜘蛛の子を散らすように崩れた人垣。
「先生、すみません、ありがとうございます……!」
人垣がなくなったのを見計らって職員室に帰ろうとする教師の背中に、そう声をかけて頭を下げた渡辺くん。だがそのごく素直そうな表情に一抹の強かさを感じて、今更ながら俺は少しだけ鼻白んでいた。
鬼切り 小野セージ @o_sage
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