第6話 出来なかった告白
オープンして半年した頃だろうか、「マッチャンと美由紀さんの結婚1年を祝う会をやるから先生来てや」のメールがエーちゃんより入った。当日は、主賓二人は無論、花ちゃんまでドレスアップして来ており、私を見て「先生、わたし今日は色気ある?」と近寄って来たのだが、胸元の露出が少しあらわで、目がそこに行って落ち着いて料理が食べられなかった。アニヨンの常連や、美由紀さんが大阪に来て知り合ったという若い女性たちが加わって、場は和やかに過ぎていった。エーちゃんが今日の日のために前夜から下ごしらえをした、鶏の丸蒸しの真ん中に薬膳を詰め込んだ、名前は忘れたがメインディッシュも出てきて終わりかけたが、私は、最後に「六甲おろし」と云って、皆で合唱して二人を祝う会は終わった。
エーちゃんの店はそれから2箇月程して閉店となった。そしてマッチャンと美由紀さんの二人もアニヨンで見かけなくなった。花ちゃんに訊いても「気にしてるんやけど・・」との返事しか帰って来ない。店を閉めて暫くしてアニヨンに来たエーちゃんにそのことを訊いてみたら、二人は別れたと云うのです。
「マツは1型糖尿病*を持っていたんです。マツが東京で就職せずに、大阪に来てまでS製薬に勤めたのは、その新薬がここから出るかも知れないという情報を聞いたからです。勿論、あいつは研究職でなく、事務畑でしたが、何とかそれにちょっとでも貢献したかったと思うんですよ。美由紀さんへのプロポーズの時、病気のことが言えなかった。結婚してそれがズート苦痛になっていたらしい。あの1周年記念の日、帰ってから勇気を出して告白したんだそうです。由紀子さんにしたら信じて、知った人もない大阪くんだりまで来て、それはショックだったのでしょう。事前に云っておけば、俺は美由紀さんはオッケーしたと思うんですよ。愛の告白で精一杯のマツにそれ以上をゆってやるのは酷ってもんだと思いませんか。ショックを受けた美由紀さんは東京に帰ってしまったんです。マツは横浜まで出向いて、美由紀さんのお父さんに畳に頭を擦り付けて謝ったんだが、お父さんは許さなかった。傷心マツは帰って来んだが、暫くして美由紀さんがマツの態度を見て可哀想になって、お父さんの反対を押し切って大阪に帰って来てくれたんです。そこまでは良かったのですが、お互いの信頼に傷がいった夫婦はすれ違った。そのうち美由紀さんは同じ職場の男性と親しくなったというわけです」と、エーちゃんは一気に喋った。
私は「それで、マッチャンは今もS製薬に勤めているの」と訊いた。
エーちゃんは「辞めて、東京に帰ったよ」と言った。
注釈:1型糖尿病は、膵臓のランゲルハンス島でインスリンを分泌しているβ細胞が死滅する病気である。その原因は主に自分の免疫細胞が自らの膵臓を攻撃するためと考えられているが(自己免疫性)、まれに自己免疫反応の証拠のない1型糖尿病もみられる(特発性)。一般的に「生活習慣が悪かったので糖尿病になりました」と言う場合、1型糖尿病を指すことはほとんどない。患者の多くは10代でこれを発症する。血糖を下げるホルモンであるインスリンの分泌が極度に低下するかほとんど分泌されなくなるため、血中の糖が異常に増加し糖尿病性ケトアシドーシスを起こす危険性が高い。そのためインスリン注射などの強力な治療を常に必要とすることがほとんどである。遺伝する確率は高いと言われている。
六甲おろし 北風 嵐 @masaru2355
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