朝ごはんを作る

 結局私はプロポーズを受けて、彼氏と結婚することが決まった。


 日曜の朝。結婚することが決まってから、二人で迎える初めての休日である。


 ここで気を付けなければならないのは、結婚が決まる前と後で何かが変わったと思わせすぎないことだ。


 もちろん結婚というのは大きな変化で、二人の関係性が全く変わらないというわけには行かないだろうことは承知している。しかし恋愛と結婚の違いは、簡単には関係を切れなくなることだ。


 言い換えれば多少相手への扱いが雑になったとしても、そう簡単に離婚だというわけにはいかなくなる。だからこそ夫婦になってからもしっかり相手への気遣いは欠かさないようにする。そういう意思表示を最初にはっきりとしておくべきなわけだ。


 だからこそ新婚気分に浮かれて張り切りすぎてはいけない。


 過剰にこちらが頑張りすぎると、逆に相手が何もしなくても生活が成り立ってしまう。


 夫が家で何もしなくなれば、親世代の多くと同じように夫に不満が募り、子供が巣立つ時期を待って熟年離婚。人を好きになれなくなって一人の老後を過ごすことになる。


 ここは程々。トーストに目玉焼きとウインナーという、頑張りすぎない朝食を出すことで夫婦のバランスを取る。


「ねえ、朝ごはん食べよ」


「ありがとう。今日は朝ごはん作ってくれたんだ」


 しまった。程々も何も、いつもは朝ごはんなんて作っていなかったんだった。


 これはいけない。ちょっと考えれば分かることなのに、思ったより新婚初日だということに浮かれてしまっているようだ。気を引き締めてかからなければ。


 このまま尽くしすぎてしまえば、彼氏のことを何でもやってあげるお母さんのような立場になってしまってもおかしくない。


 やってしまったことは仕方がないから、ここは食器を運んでもらう。どちらも家事をやっているという形を取れば、ミスを帳消しにすることができるだろう。


「七海、コーヒー飲む?」


 言う前にお皿運んで調理器具洗ってコーヒーまで入れてるじゃん。


 さすがに有能。徳川翔太。顔も良くてセンスも良くて背も高くて優しい。


 現代男子に必須とされている家事への積極性もあり、それぞれの家事スキルは下手をしたら私よりも全然高い。


 それでいて仕事の話を聞くと野心を感じることも多く、稼ぎも私より多い。


 朝食を作ったくらいで調子に乗っている場合じゃなかった。必死に食らいついていかなければこの人にふさわしいパートナーにはなれないかもしれない。


 今はまだ結婚する前だから、あるいは翔太も私のことをいい具合に勘違いしてプロポーズしてくれたのかもしれない。


 でもいつまでもその勘違いが続くとは限らないわけだ。


 私がろくな人間ではないということに気付かれたらあっという間に翔太の気持ちは冷め、マリッジブルーから破局。これ以上ない優良物件を取り逃した馬鹿な女として後ろ指を刺されながらこの後の人生を送らなければならない。


 ここは二人の今後のことを話題に出し、少しでも有能感を演出しよう。


「親への挨拶だけど、どうしよっか」


「奥さん側の実家から挨拶に向かうものらしいよ。日程聞いてみてよ」


 奥さんとか言われると照れるよね。


 いや照れている場合じゃないんだよ。こっちが話題に出した時点で、翔太はもう下調べを済ませている感じが出ている。


 さすがに私の両親だから手土産選びとかは力になれるだろうけどさ。


「手土産はここの羊羹でいいかな。七海のお母さん、一度食べてみたいって言ってたし」


 手土産選びすらも力になれなかったけどさ。


 なんだこれ。普通は旦那側がなんにもやってくれないっていってケンカになるものだろう。全部やってくれるじゃん。むしろ私の出る幕がないじゃん。


 このままでは私が何もしなくても結婚式まで終わってしまうのではないか?


 それはまずい。少し古いって思われるかもしれないけど、家のことをちゃんとこなせるタイプのお嫁さんに憧れを持っているのだ。


 このままでは自分よりも稼いでいる夫に家のことも全て任せてぐうたらしている鬼嫁になってしまう。


 せめて自分の両親とのアポイントメントくらいは取らなければならない。すぐにスマホを取り出して連絡を取る。


 七海 > 翔太と挨拶に向かいたいんだけど、いつがいいですか?

 母 > 再来週の土曜でどう? 翔太くんも都合いいでしょ?


 話の通り方が不自然にスムーズ。


 翔太は私の母とは一度会ったことがある。これあれか。ある程度の頻度で翔太とお母さんが連絡を取っていて、翔太のお仕事の事情もなんとなくお母さんが把握しているやつか。


 しかも再来週の土曜は私が珍しく休みを取れると翔太に話していた。


 まさかここまでの展開を予想して、それとなくお母さんに話をしておいてくれたのか...?


「あれ翔太、お母さんと連絡取って...」


 ねえ待って。ちょっと目を離した隙に、食べた食器全部片付いてるじゃん。


「今日は久々のお休みだし、映画でも見に行くか」


 ちょうど私が見に行きたい映画があることも気づかれてるじゃん。


「それで帰りにゼクシィとか買ってみようよ。買いたいなって思ってたよね?」


 待って待って。大丈夫? この世界に来るの二回目だったりしない?


 いろいろとよく察してくれる人だとは前々から思っていたけど、今日は特にすごい気がする。


 どんぴしゃでやってほしいことをやってくれるから、親切の押し売りという感じもしない。


 正直すごく楽だよね。座っていたら勝手に家が片付いていくわけだからね。


 でもまあ、夫婦のバランスの問題とかもあるし、相手に甘えすぎてしまうのも良くない。めちゃくちゃ楽なんだけど、ここは自分もしっかりこなすというのが筋だと思う。


「翔太、ありがとう。後はやるよ」


「大丈夫! もうほとんど終わったから」


 手際の良さがおかしくないだろうか。いや、おかしい。


 明日から頑張る。とてもいい言葉だと思った。

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寿退社の七海 @ito_shun

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