ランチをおごる

 悩みがある時にどうするかって結構人によって違うと思うんだけど、私は結構人に相談したいタイプだったりする。


 やっぱり自分一人で考えても結論が出ないからくよくよ悩んでしまったりするわけだし、口に出すことで気持ちが楽になることって言うのも少なからずあるわけだ。


 相談できる相手が全くいないというわけでもないから、悩んでるなあって思うことがあったら、できるだけ人に話すようにしている。


 ただ、本当に悩んでいることに限って、そもそも相談するのが難しかったりするんだよね。


 ほら。例えばすっごく好きな人がいたとしてさ、友達に相談してみたら、その友達も同じ人が好きだったみたいな。


 そういうことになったらもう泥沼になっちゃうじゃん。


 事が大きくなればなるほど、それを口に出しちゃうことで、悩みが解決するどころかもっと悪くなっちゃうっていうところがある。


 こういうときに一番無難な相談相手って、なんだかんだでお母さんだったりすると思ってる。


 世代の問題で感覚が違うことも多いけど、大体私が悩んできたことは経験してきてくれているわけだし、いい感じにこっちのことを配慮した形で相談に乗ってくれる。


 そういうわけで、日曜日のお昼。私はお母さんをランチに誘ってみた。


「あらあら。おしゃれなお店じゃない」


 うん。入りは好感触だ。


 相談する側にとって、悩みが深いほど話を切り出すハードルも高い。


 うちのお母さんは決して厳格なタイプじゃないけど、母娘である以上、気まずくなるタイミングがないわけじゃない。


 和やかな雰囲気を作っておくことで、気軽に打ち明け話ができる形を作っておく。相談をする時の基本と言えるだろう。


「わざわざありがとうね」


「いいのよ。ただでおいしいご飯が食べられるんだもの」


 なるほど。おごらなきゃいけない感じね。


 まあしょうがない。一応こちらも社会人をやっている。


 数千円の出費程度であれば大した負担ではないだろうし、こちらは悩みを相談してもらう身だ。


 考え方として、こちらがお金を出すのは全然おかしなことではない。


 さて、和やかな雰囲気を作ったら、次は悩みを打ち明ける番だ。いくらたくさん悩んでいるからといって、何か悩みでもあるのって聞いてくれる人ってあんまりいない。


 むしろ悩みがあるって前置きして話してもまともに話を聞いてくれない人も結構いる。


 今回はしっかりと準備をしてきている。


 普段実家と関わる時は、両親がセットで会うことが多い。今回は母一人だけを呼んでいる。


 そして普段よりもおしゃれなお店を選び、社会人になってからは折半にしていた支払いもおごりにしている。


 これは何か大事な話があるという雰囲気を母も感じ取ってくれているのではないか。


「実は私ね、悩んでいることがあるの」


「人気ナンバーワンはローストビーフですって」


 言葉にしなければ伝わらないこともあるということだ。


「違うの。何を食べるかじゃなくて、もうちょっと大事なこと」

 ここで心底驚いたような顔をしないで欲しい。


 とりあえず注文してから話すべきだったということで納得しておいて、悩み相談を始めることにする。


 相談というのは、プロポーズを受けるかどうかだ。


 ちょうど昨日、カレにプロポーズをされた。


 大学時代から、大きな問題もなく付き合ってきた相手だ。たぶんこのまま結婚してもそれなりに上手くやっていける気はする。


 ただ、結構な大事だから気持ちの整理が追いついていない。


 とりあえず誰かに話して気持ちを整理したかったんだけど、結婚って言うのは意外と報告する順番が大切だったりするみたいだ。


 職場なんかには偉い人から順番に話していかないと失礼になってしまうし、友達に相談しても変に幸せ自慢みたいになってしまうかもしれない。


 両親であれば一応は話してみても悪くはないけど、お父さんはちょっと一人娘を大事にしすぎるところがあるというか。総合的に見てお母さんに打ち明けてみるのがいいかなと思ったわけだ。


 もちろんお母さんは結婚の諸々を経験している。私が相談を投げかけても、変に話が広まらないよう配慮してくれるはずだ。


「私ね、カレにプロポーズされたの」


「あらおめでとう! お父さんにメッセージ送らなきゃ」


 お母さんだけを呼び出した理由を少しだけでも考えてみて欲しい。


 慌ててお母さんを止める。


「待って待って。まだ送らないで」


「そっかそうよね。直接話したいわよね」


 電話にしろという意味でもない。


 一旦お父さんと連絡を取るのを止めてもらって、話を続けることにする。


 プロポーズされたことは切り出した。次は迷っていることを伝えなくてはならない。


 とはいえ、さっきも少し言ったけど、カレ自身に何かしらの問題があるというわけではないのは分かってもらわなくてはならない。


 後日私はカレを連れて、正式に実家へ挨拶に行くことになる。


 その際の名目は結婚の許しを得ることだ。一応は親の同意がなくても結婚すること自体はできるけど、できれば娘は素晴らしい男性を捕まえたと思ってもらった上で結婚をしたい。


 カレと両親はそう何度も会う機会があるというわけではないだろう。


 だからこそ些細なことでもカレに対する悪印象がついてしまうような事態は避けなくてはならない。


 ここは迷っている理由がカレ側にあるのではなく、シンプルに自分の気持ちの問題であることを分かるように話すべきだろう。


「でもね、まだ迷っちゃう気持ちがあるの」


「まあたしかに、ちょっと浮気性なところはありそうよね」


 最初からあった悪印象は私の責任ではないということで。


 迷っている理由に進もう。自分が引っかかっているのは、カレとの間にある何かというより、結婚そのものだと思う。


 結婚っていうのが素晴らしいものだという憧れは私も持っている。


 もちろん実際の結婚生活に関して大変そうな話を聞くといえば聞くんだけど、それでもまだ結婚をしていない大体の人は、わりと結婚に対していいイメージを持っているのではないかと思っている。


 その上で、じゃあなんで結婚しなければならないのかと聞かれた時に、正直私はこれといった理由を持っていない。別に仕事がないわけじゃない。


 生活できないほど給料が低いわけでもない。


 カレと一緒にいたいという気持ちはあるけれど、ただ付き合っているだけで十分といえば十分だ。


 あるいは実際にやってみなければ分からないことがあるということだろうか? 


 それはそうだろうけど、とりあえずでやってみることができる程初婚というのは軽くない気もする。


 要は背中を押して欲しいわけだ。


 私から見て両親はそれなりに仲が良かった。母に聞いてみればきっと結婚を決断させる何かを教えてくれるはずだ。


「……ねえ、お母さんはお父さんと結婚して良かった?」


「急にどうしたの?」


「結婚して私を生んで二十年子育てしてさ。一言では言えないいろいろなことがあったんだろうなって思うけど、トータルで見て結婚っていいものだったのかなって」


「え、本当に何?」


 びっくりするくらいこちらの意思が汲み取ってもらえないんだけど。


「いやあのね。プロポーズを受けていいか迷ってるから、先に結婚しているお母さんから、結婚してよかったかどうかを聞けたらなと」


「ああなるほどね! それで言うと、結婚なんてろくなもんじゃないわね」


 だから背中を押して欲しいんだって。


 そんな私の気持ちとはお構いなしに、スイッチの入ってしまったお母さんはここぞとばかりに愚痴を繰り出してくる。


 この間の土曜には仕事の付き合いでゴルフに行った、誕生日のプレゼントが十数年前とかぶった、いまだにほとんどの家事がまともにできない。


 聞く限りだとすごく大きな問題には聞こえないのだけど、まあ長く付き合った夫婦だからこそ気になる何かがあるのかもしれない。うん。


「お客様、お飲み物などいかがですか?」


 なぜかお母さん側の話を聞くこと二時間。さすがに店員さんも追加の注文を促してきた。そろそろお茶の一杯でも頼んでおこうか。


「私はアイスティーを」


「季節のフルーツの盛り合わせとコーヒーをお願いしようかしら」


 しれっと値の張るものを。


 注文が終わったとたんに話を戻すお母さん。どうやらこの話が終わる気配はないので、こちらから話を切り出さなくてはならないみたいだ。


「ごめんお母さん、先に話聞いてもらってもいい?」


「あらごめんなさい。ちょっと話しすぎちゃったかしらね、ほんのちょっとだけ」


 まあ楽しい時間はあっという間に過ぎるっていう説もあるからね。


 要するにだ。カレからのプロポーズを受けようかどうか悩んでいるわけだ。


 決して悪い相手じゃないと思うし、結婚をしたくない特別な理由があるわけでもない。


 ただ、どうしても結婚をしたいかと言われるとそれもまた違うわけだ。


 大きな意味がある一大イベントだからこそ、経験者である母親から、これから先の人生を誰かと過ごしていくのもいいんじゃないかっていう一言が欲しいというところなんだ。


 いつもニコニコとしていて、どんな苦難もあらあらまあまあと乗り越えてきた母だ。


 当然普通は笑っていられないような大変なときっていうのはたくさんあっただろうけど、それを乗り越えられる程の強さをお母さんは持っていると思う。


 さっきまでは回りくどく質問をしてしまったから望む回答を得られなかった。今度はちゃんと真正面から私の聞きたいことを聞こう。


「その、私ってこのプロポーズ、受けてもいいと思う……?」


「いいんじゃないかしら?」


 望む言葉を言ってくれたのはいいんだけど、見る限りフルーツのほうに注意を持っていかれていると思う。


 結局その後三時間ほどお父さんの話をした後で、そろそろ夕食を作らなくっちゃと話は終わりになった。


 ほとんどお母さんの話を聞いた記憶しか残っていない気がするんだけど、出してくれたお金は端数の三十七円だけだった。


「楽しかったわ。また呼んでちょうだいね」


 もしかすると、私は相談相手を間違えたのだろうか。









 

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