『バン!』
渡辺 料亭
第1話
廊下の向こうから宮下が歩いて来るのが見えたので、咄嗟に曲がり角に身を隠した。
宮下はスマートフォンを見ながら歩いているので、どうやらこちらには気づいていないようだ。
彼の足音がすぐ近くに来たのを確認してから、思い切って彼の目の前に飛び出した。
あらかじめ用意しておいた、ピストルの形に変形させた右手を突き出して僕は叫んだ。
「バン!」
一瞬で自分が巻き込まれた状況を理解した宮下は、体をくの字に曲げ、右の脇腹を手で押さえながら苦痛の表情を浮かべて言う。
「うっ、、武田さん、、おはようございます、、いきなり何しはるんですか、、」
「おはよう、宮下。前見ながら歩かないと危ないよ。」
「ホンマですね、気をつけます、、めっちゃ痛いっす。。物騒なもの持ち歩かんといてくださいよ。」
「あはは、今日もお付き合いいただきありがとうございました。」
「べつにいいですけど、武田さんホンマこれ好きですね。あんま他の人にやったらダメですよ。あー痛。。」
毎朝のコミュニケーションが終わったのを確認すると、宮下は立ち上がってもともと向かっていた方向に進み始めた。
「バン!」
僕は懲りずに宮下の後ろ姿にもう1発撃ち込んだ。
「うっ、ってしつこいわ!」
動物には習性がある。意識とは別の、DNAに刻み込まれた、その種特有の性質だ。
虫は「走光性」という習性を持つために光に集まり、「逆光性」という習性のため光から逃げる。
一見可愛いペンギンは、仲間を海に突き落として天敵であるアザラシが周辺にいないかを確かめるという、なんとも残酷な習性を持っている。
そして大阪人は、「バン!」と言われると咄嗟に撃たれた振りをしてしまう習性を持つのだ、と入社して間もない頃の宮下は教えてくれた。
その迂闊なコミュニケーションのせいで、その後ほぼ毎日、僕に撃たれる羽目になるとは当時の彼は思ってもみなかっただろう。
「バン!」
「うっ、、歩きながら?武田さん、腕あげましたね。。」
昼休み中に喫煙所へ向かう宮下に、すれ違いざま撃ち込んでやった。
「武田、お前まだそれやってんの?宮下撃つやつなんて、社内でももうお前だけだぞ?」
僕の暗殺を見ていた同期の岩田が言ってきた。
「うん、可愛い後輩との大事なコミュニケーションだからね。岩田は撃たないの?後輩とちゃんと仲良くしないと」
「俺はもっと普通のコミュニケーションの取り方してるから大丈夫なんだよ、宮下もいつまでも付き合わなくていいからなー」
「いえ、僕の鍛え方が足りないんで!武田さんの弾跳ね返せるくらいに強くならきゃなダメなんで!」
「お前はどこ目指してんだ」
3人でひとしきり笑ったとこで、それぞれ休憩に入った。
急な仕事が終業時刻直前に入ってしまい会社を出るのが遅くなったので、遅い夕飯を済ませるために近くの居酒屋に入った。
オフィス街にある安い店なだけあって、平日なのに店内はスーツを着たいくつかの男性グループでほぼ埋まっていた。
大きな声で迎えてくれた店員に人差し指を立て、1人用のカウンターへ通してもらうようにアピールした。
とりあえずビールと唐揚げを注文し、他の料理を本日のオススメから探してみる。
明日が終われば土日が待っている。最近は休日も仕事に追われていたから、久々にゆっくりできる休日になりそうだ。
観たかった映画が何本かあるから、朝から夜まで映画館にこもる日にしてやろうか。
やはり休日の妄想が1番の仕事のモチベーションになる。おそらくこの店で楽しんでいるサラリーマンたちも休日の妄想を語り合っているのだろう、と店内を見渡してみると、奥の座敷に宮下と同じ世代の後輩社員たちがいることに気づいた。
その中に宮下がいたので、遠くから狙撃してやろうと考えたが、やめておいた。
一般的な狙撃とは違い、僕たちがやっているのはコミュニケーションなのだ、双方向じゃないと意味がない。
互いに意思が通じていないこの状況で発砲したところで、宮下には気付かれず、僕が店員に変な目で見られるのがオチだ。
さっきまでは何も聞こえなかったが、意識してみると彼らの会話が聞こえるようになってきた。
「いやホンマにキツいって!もう何年目なんって話やん!」
宮下の元気な関西弁がよく聞こえる。少し酒に酔っていて、何か愚痴を楽しそうに笑いながら話している。
「あー、ミスターバンバン?まぁ標的がお前だけだもんなー、心中お察しするよ」
「いや全然お察しする気ないやん!毎日やで?あの人なんで飽きひんの?」
「まぁまぁ、悪気はないんだから、武田さんも。純粋にお前を可愛がってるだけだよ」
「悪気ないやつ1番怖いわ!生まれつきのサイコパスなん?俺そのうちホンマに殺されんで!」
「あ、じゃあ部長にかけあって手当の申請してみたら?1発撃たれたら500円、とか」
「何?バンバン手当?そんなん出たら毎回この店の飲み代くらい払ったるわ!」
「マジで!ごちそうさまです!!」
後輩たちは何やらみんな楽しそうにしている。
僕は何かお腹が膨れてしまったので、さっさと帰ることにした。
お会計の最中に後輩の1人と目があったが、気を遣わせては悪いので気づかないふりをして店を出た。
明日の仕事の手順を考えながら風呂を済ませベッドに入った。
明日が無事終われば土日が待っている。
「しまった、頼んだ料理、まだ来てなかったな」
何故かよく眠れなかったので、いつもより早めに家を出て会社へ向かった。
1本早い電車に乗るだけで、車内がかなり空いているので座りながら会社へと向かうことができた、ラッキーだ。
会社についてもフロアには人がまだいなかった。自分のデスクの掃除でもしようと思った時に、宮下がフロアに入ってきた。
「おはよう、宮下」
「あ、おざます、、武田さん今日は早いんですね」
宮下はいつもより大人しいようだ。昨日あの後も盛り上がって、遅くまで飲んでいたのかもしれない。
黙ってる2人にとってはこのフロアでさえ広く感じてしまうので、しんみりした空気を壊すために朝の挨拶をしようと思い、宮下の後ろにこっそり回り込んだ。
ピストルの形に変形させた右手を宮下の後頭部に突きつけて、僕は叫んだ。
「バン!」
その瞬間、体全体に大きな衝撃があった。
体が後ろへ吹き飛ばされ、壁に打ちつけられた。
頭を軽く打ち、意識が朦朧としている。
わけがわからないが、立ち上がって宮下を確認する。
「え、宮下、なに?ごめん、なんかあった?」
宮下は机に突っ伏していて、動かない。
状況が理解できない、宮下が仕掛けたドッキリだろうか。
「宮下?なに?大丈夫?」
揺さぶって起こそうと試みるが、宮下は揺さぶられるたびに頭をゴロゴロと左右に動かすだけで、その都度、赤い液体が額に空いた穴から流れ出てくる。
なんだろう、状況が理解できない、揺さぶられる宮下を見ていたら急に吐き気を催して、床に吐いてしまった。
しばらく床にうずくまって吐いていると、フロアに何人か入ってきたのがわかった。
僕ら2人の状況を見て、しばらくすると大きな声で騒ぎ出した。
意識が戻ると、僕は無機質な部屋でパイプ椅子に座っていて、目の前には威圧感のある男性が座っていた。なにやら大きな声で僕に話しかけているようだ。
「ねえ、いつまで黙ってるつもりなの?どう考えたってもう逃げられないでしょ?」
なんのことを言っているのだろう、相手の顔には苛立ちがハッキリと見て取れる。
「廊下の監視カメラにも、発見者が通る前には宮下さんとアンタの2人しか映ってないんだよ、アンタ以外にやれる人いないでしょ?さっさと認めてよ、あと凶器のピストルはどこやったの?どこで手に入れたの?あと弾がまだ見つかってないんだけど、アンタ撃ったあと回収したの?」
撃った?弾?状況が理解できない。宮下はどうしたのだろう、体調が悪そうだったけど。
頭が痛くて、僕は俯いた。
「おいー、まだ粘るの?アンタがやった動機も何となく聴いてるよ、普段から宮下さんに執拗に突っかかってたみたいだね、周りが注意しても止めなかったとか」
突っかかっていた?違う、僕らはコミュニケーションを取っていただけだ、先輩と後輩の、よくあるコミュニケーションだ。
「で、昨日、宮下さんは同僚の人たちに相談したんだってね、『もうすぐ武田さんに殺されるかもしれない』って、そのときアンタこっそりそれ聴いてたらしいね、同僚の人が『武田さんがすごい顔で自分たちを見ていた』って教えてくれたよ、それを聞いて逆上して殺したんでしょ?」
殺した?誰が、誰を?僕が、宮下を?宮下は死んじゃった?
僕はいつも通り、もうずっとやってるコミュニケーションを取ろうとしただけだ。
今日は、狭く暗い部屋で眠るように命じられた、トイレとベッド以外には何もない無機質な部屋だ。家には帰れないらしい。
狭いベッドにうずくまり、今日起きた信じられないような出来事、宮下が死んでしまったこと、僕が殺してしまったらしいこと、今日の仕事に何も手をつけていないこと、明日観る映画をまだ決めていないこと、いろいろ考えていたら、自然と涙が出ていた。
明日、目が覚めたら全てが夢だった、なんてことがないだろうか。
宮下の家族や恋人にはどう説明して、どのように謝ればいいのだろうか。
会社の人たちにはなんて言われるだろうか。
今日が終われば、土日が待っている。
泣きながらいろいろ考えているうち、眠りについていたようだ。
僕は、自分のデスクの前に立っている。
こっちの世界の方が現実のような、感覚や感触がとてもリアルな世界だ。
つい、やっぱり今日起きたことは全部夢だったんじゃないか、なんて甘い考えを起こしてしまう。
しばらくしてもフロアには誰もこないので、廊下に出て周りの様子を確認してみる。
廊下の向こうから宮下が歩いてくるのが見える。
宮下は、またスマートフォンを見ながら歩いている。
僕の存在には、これっぽっちも気づいていないようだ。
曲がり角から飛び出して驚かせてやろうと思ったが、やめた。
宮下が声の届きそうな距離まで近づいたのを確認する。
僕はなんだか照れくさくて、人差し指で頭を掻きながら、少しはにかんで言う。
「おはよう、宮下」
声をかけられた宮下が、こちらに顔を上げた。
「バン!」
『バン!』 渡辺 料亭 @ry00man
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