第3話 嘆きの森

 大事をとって一晩休み、翌朝。鳥の鳴き声で目を覚ました私は、荷物を片づけると人間態のアクアマリンと共に東へ向かって歩き出した。昨日まで散々迷いながら歩いた道を逆方向に辿ること数時間。眩しく降り注ぐ太陽の光に私は目を細めながら呟く。

「すごい……。こんな簡単に抜けられちゃうなんて……」

 前は探し物をしていたとはいえ五日かかった道だ。アクアマリンの案内がなければ今日中には抜けられなかっただろう。呆然とする私にアクアマリンは微笑んで言った。

『この土地は私にとってみれば庭のようなものだからな。通り抜けることは容易い』

「そっか……ずっとここにいたんだもんね」

 宝石狩りが具体的にいつのことなのかは知らないが、十年や二十年ではなく昔のはずだ。父も祖父も、たぶんその祖父も生まれる前。ずっと昔から育んできたこの森は彼にとって家のようなものなのだろう。

 寂しくない?と尋ねかけて、私は慌てて口をつぐんだ。きちんと契約を結んでくれたファータに向かってその問いかけは失礼だ。彼は、ここを離れると承知の上で私に力を貸してくれる。

(私は寂しかったから……。だけど、一緒にしちゃダメね)

 任務のために故郷を離れる時、それが一時のことだとわかっていても寂しかった。見慣れないものを食べ、知らない匂いのする場所で眠ることがつらかった。だからなのだろう、旅立つ彼を見てどうも感傷的になってしまう。

 早く切り替えてしまおう。私は小さく一度頭を振ると確認のためもう一度地図を開いた。セルバティアはエルグランデからそう遠くない、けれど道は私がGEMの情報を聞いたあの村を通っている。アクアマリンと一緒にいるところを見られては面倒なことになるかもしれない。

『村を避けて迂回……となると南が良いだろうな』

 同じ事を思ったのだろう、アクアマリンが顎に手を当てて呟いた。私は頷いてそれに答え、磁石で方角を確かめる。南は右手側。見ると、そこには獣道のような細く頼りない道が伸びていた。

「この道、ちゃんとセルバティアまで続いてるの……?」

 思わず疑問をこぼし、私は慌てて口をふさいだ。そんな私を見てアクアマリンは困ったようにふっと笑う。

『残念だが確信は持てない。……だが、セルバティアは昔訪れたことがある。樹海が動くわけもあるまい、道がなくともいずれたどり着くだろう』

「……そっか」

 慣れたとは言っても道なき道はそう歩きたいものではない。けれど、初めての場所ではないというだけで少し気が楽になった。道の問題が解決すると、すぐさま次の疑問が頭に浮かんでくる。

(アクアマリンはどうしてセルバティアを選んだんだろう……)

 グレゴリオ鉱山は遠い。とはいえ別にわざわざセルバティアを通らなくても行けるのだ。「力を貸す」と言ってくれたアクアマリンのことだから何か考えがあるのだろうけど、それが何なのかさっぱりわからない。

 安全な土地ならばまだわかる。けれどセルバティアは立ち入った者を拒むのだ。あくまで噂として知っているだけだが、木の実や木材を求めて足を踏み入れた人間はほぼ全員が行方不明だという。「悲しみしかもたらさない場所」……残された者たちのそんな思いが「嘆きの森」という通り名の由来だとか。そんな場所に危険を冒して立ち寄る必要はあるのだろうか。

 そこまで考えた時、不意に背筋が寒くなった。

(……ファータは嘘をつかない。だけど、もう見限られているとしたら?)

 心当たりはない。けれど、あり得ないとは言い切れない。もしそうだとしたら納得できる。できてしまう。

 歩きながらちらりと横目でアクアマリンの様子を窺う。何かを真剣に考えているような横顔はまっすぐに道の先だけを見ている。前を見据える空色の目から感情は読み取れない。

 視線を感じたのか、アクアマリンがこちらを見た。目が合うと瞳に柔らかい光が浮かび、ゆるりと微笑まれる。契約を結んだ時と変わらない穏やかな表情。

(……考えすぎ、かな)

 考えてみれば、私は「グレゴリオ鉱山に行きたい」と言っただけだ。まだ何もしていない。あり得ないとは言い切れない、なんて思ってはみたけれど実際それだけのことで彼が私を見限るかといえばそんなことはないだろう。疑ってしまったことに後ろめたさと申し訳なさを感じながら私も彼に笑顔を返す。

 きっと、セルバティアには私の助けになるような何かがあるのだ。訪れたことがあるというアクアマリンが目的地に選んだのだからきっとそうだ。半ば自分に言い聞かせるようにそう思いながら前を向き、これ以上余計なことを考えないように少し足を速める。

 もう一度こちらを見たアクアマリンの表情に、私は気付いていなかった。



 そうして歩くこと二日。視界の向こうに黒々とした森が見え、私は思わず声をあげた。アクアマリンを見上げると、彼はひとつ頷いて口を開く。

『あれがセルバティアだ。……少し大きくなったが変わらない』

「あの黒いのが……」

 初めて見たセルバティアは近くに行けば行くほど暗さが目立ち、噂とあいまってどこか不気味に見えた。大木が行く手を阻むようにそびえ、太い幹には蔦が鎖のように絡みついている。どう見ても、気軽に立ち入っていい場所ではない。

「本当に入って大丈夫なの……? アクアマリンはどうかわからないけど、私は余所者だし確実に侵入者だよね?」

 不安になって尋ねると、アクアマリンの瞳が翳った。すっと目を伏せられ、彼が何を考えているのかわからなくなる。

 やがて、目を上げたアクアマリンは私の目を正面から覗き込むとゆっくり口を開いた。

『ここには私の知り合いがいる。私の知る彼であれば問題ないのだが……』

「!」


(アクアマリンの知り合い。それってもしかして、ここを守ってるGEM……!?)


 まだそうと決まったわけではない。けれどアクアマリンの口ぶりから考えると前にその知り合いに会ったのは随分昔のはずだ。それに、「嘆きの森」に人間が住んでいるはずがない。それならば今から会いに行くのはGEMに宿る存在で間違いないだろう。

 また一人、知らないファータかハーミットに出会う。そう考えた瞬間自然と背筋が伸びる。戦力がほしいと私も確かに思っていたけれど、こんなに早いとは思わなかった。緊張で顔をこわばらせる私にアクアマリンは静かに告げる。

『彼が変わってしまっているのならば、私でも力及ばない可能性もある。いざとなったら迷わず逃げろ』

「……はい」

 噂を聞く限り、その可能性は高そうだ。アクアマリンも心のどこかではそう思っているのだろう、私を見つめる瞳はいつもの柔らかさを失って真剣な光を宿している。その目をまっすぐ見つめ返して頷くと、私は恐る恐るセルバティアに足を踏み入れた。

 蔦が絡み合い、下草が生い茂る森。外からの見た目と裏腹に、中に入ってしまうとそこは意外にも明るい日が差す場所だった。植物は日光を浴びてたっぷり実をつけ、あちらこちらでカサカサと小動物が動き回る音がする。むしろ「生命の森」と呼ばれるエルグランデのほうが静かで薄暗いほどだ。

 ぱちぱちと瞬きする私を見て、アクアマリンはほんの少し頬を緩めると呟くように言った。

『エルグランデも昔はこうだった。だが、木が茂ればいずれ日の光は届かなくなる。そして森は、光の少ない環境に合わせて姿を変えていく。それが自然の移ろいというものだ』

「へぇ……」

 アクアマリンの説明に、私は思わずため息のような返事をした。

 故郷にも森はあった。けれどそれは生活を支えるための場所で、下草は肥料として刈られ木は家や橋や船になるために切り出されていた。人の手が入った森はいつも明るく整然としている。あの森も、放っておいたら遠い未来にはエルグランデのようになるのだろうか。

 考え込む私の横で、アクアマリンが小首をかしげる。唇から怪訝そうな呟きが漏れた。

『……だが、ここは……少し若すぎるか……?』

 自分自身に問いかけるような、独り言のような呟き。私はそれに答える言葉を持たず、彼と同じように小首をかしげた。そんな私を見下ろしてアクアマリンは少し考えた後静かに口を開く。

『もう少し進んでみるか。……繰り返すが、何かあったら』

「迷わず逃げろ、でしょ。覚えてるよ」

 先回りして答える私に彼はひとつ頷いた。それから周囲の様子を確認し、生き物たちを刺激しないようにゆっくり足を進める。私もその後に続き、大きな音を立てないように少しずつ進んでいった。

(今のところ、拒まれてる感じはしないけど……。アクアマリンがいてくれるから、他の人たちとは違うのかな?)

 もっと激しい攻撃を受けると思っていたのになんだか拍子抜けだ。そんなことを思いながらアクアマリンを見上げる私の足を下草がさわりと撫でた。



 どのくらい歩いただろう。数分のような気もするけれど、それにしてはやけに身体が重い。前を行くアクアマリンに続いて木の根をまたぎ、私は大きく息をついた。額の汗をぬぐって周りを見ると、木立の陰からこちらを見つめるつぶらな瞳が見える。疲れているせいだろうか、愛らしいはずのそれが急に不気味に見えた。

(……きっと、気のせい)

 何かの瞳から目を逸らし、不安を振り払うように足を速める。それだけのことで息が切れた。アクアマリンがこちらを振り向き、大きく目を見開く。

『レイ、大丈夫か』

「うん……。平気……」

 普通に答えた、つもりだったのに言葉が途切れる。アクアマリンは眉をひそめ、私の肩を支えると座るように促した。言われるままに腰を下ろそうとして、私は崩れるように尻餅をつく。

(え……?)

 一瞬、何が起きたのかわからなかった。急に近くなった地面と柔らかい衝撃。背を支えていた腕が離れ、木の幹にもたれると身体が一気に重くなる。手も足も、体の中までも。

「っは……はぁ……はぁっ……」

 まるで肺に枷をはめられたようで、うまく息ができない。うつむいて肩で息をする私の横にアクアマリンがすっと膝をついた。

『すまなかった。もっと早く気付くべきだったな』

 言葉と同時に額にひんやりした手が触れる。さらさらと流れる水の音が耳を覆い、他には何も聞こえなくなる。心地よさに思わず目を閉じると、ほぼ同時に額に触れた手から何かが流れ込んでくるような気がした。

 彼の手と同じ、ひんやりして心地よい何か。それは額から指先へ、足の先へと流れて私を満たしていく。呪縛のような重みが消え、呼吸がふっと楽になった。

「っ、ふぅ……。びっくりした……」

 しばらくして苦しさがなくなると、私は目を開けて小さく呟いた。目の前に広がる森の様子はまったく変わらず、アクアマリンがこちらに手を伸ばしたまま難しい顔で私を見ている。私が目を開けたのを見ると、彼は困ったように呟いた。

『植物を利用した精気吸収だろう。目立つ攻撃ではないが命に関わる。……彼が、これほどの事をするとは……』

「植物……。……そっか」

 歩くたび足に触れる下草。不安定な足元の補助に木の幹や蔦に触れたことも一回や二回ではない。それらが少しずつ私の身体にダメージを与えていたのだ。……最初から、私は拒まれていた。

 周囲の草がざわざわと揺れる。どこからか強い視線を感じる。周囲を見ると、さっきこちらを窺っていたのと同じつぶらな瞳が見えた。二つではない。木の枝の上に、草の陰に、ざわめく葉の間に、いくつもの瞳がじっとこちらを見ている。背筋を冷たいものが走った。

「囲まれてるね……。今から逃げるって、ちょっと厳しいんじゃ……」

 傍らのアクアマリンに向かって囁いたその時。


『アクアマリン、お前……! 人間なんか連れて何しに来た……!!』


 正面から聞こえる、愛らしくも憎悪に歪んだ声。それに答えるように森全体がざわめく。恐る恐る顔を上げると。


 妖精の少年が、緑の瞳に憤怒を宿してこちらを睨みつけていた。


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