第一章 GEM探し

第1話 生命の森


 鬱蒼と茂る木々。まさにそんな言葉がぴったりな森の中に私はいた。前後左右、見渡す限り木、木、木。細くとも確かにあったはずの道は今や影も形もなく、ぐるりと辺りを見回せばそれだけで自分がどちらに向かっていたかわからなくなる。手元の地図に視線を落とし、磁石で進む方向を確かめるとくらりと視界が回った。

(しっかりしなきゃ……!紅蓮党幹部が聞いてあきれるわ)

 内心でそう自分を叱咤してみても、眩む視界はすぐには治らない。GEMを探せ、と命令してきたボスの声を思い出し、私は大きくため息をつく。

 この森のどこかにGEMがある。近くの村に伝わる伝承を聞き出してから今日で五日、私は不確かなその情報を頼りに休むことなく森を歩き回っていた。酷使し続けた足はズキズキと痛み、疲労のせいか頭がふらふらする。休憩しなきゃ、と頭ではわかっているのに立ち止まり方を忘れてしまったように足が自然と前に出る。ぐっと踏みしめたその足が不意にずるっと滑った。

「わ……!」

 木の根を踏んだらしい。理解すると同時に勢いよく地面に叩きつけられ、一瞬息が詰まった。

「ぐっ……! っ、はぁ……はぁ……」

 疲弊した体では受け身も取れず、私は倒れこんだまま荒い呼吸を繰り返す。起き上がろうと必死にもがくけれど体に力が入らない。目の前が暗くなり、すーっと意識が遠のいていく。

(だめ……こんなところで……)

 せめて場所を移さなくては。焦りに突き動かされ、私は助けを求めるように大きく手を伸ばした。指先に、ふと滑らかで冷たいものが触れる。

「……?」

 手繰り寄せ、握りこむ。「それ」は私の手にひんやりした感触を伝えてくる。その瞬間、体中の力が一気に抜ける。

 なんだろう、と思ったのを最後に私は意識を失った。



 ふと目が覚める。木漏れ日がちらちらと顔の上を通り過ぎ、眩しさにぎゅっと目をつむると私は大きく伸びをした。自然と唇が開き、ふあ、と気の抜けたあくびが漏れる。それからゆっくり体を起こすと、手の中からぽとりと何かが地面に落ちた。

「え……?」

 誰もいない森の中に私の戸惑った声が響く。答えるようにどこかでカラスが鳴いた。私は恐る恐る体を乗り出し、先程まで握っていたのだろう物体を眺める。

 それは、赤みがかった薄紫色の石だった。表面はつるりと滑らかで、かすかな木漏れ日を受けてきらりと輝いている。手のひらにちょうど収まるくらいの……大きすぎる、綺麗すぎる石。

「……まさか、GEM……?」

 幼いころ父に見せてもらったGEMも、こんな大きさと形をしていた。吸い込まれそうに黒く、金属のような不思議な光沢を持った石。懐かしいその姿を目の前の石と比べ、私は恐る恐る手を伸ばすともう一度石を拾い上げて両手にのせた。

 大きな石はそれなりに重く、ひんやりした感触が心地よい。けれど……しばらく待ってみても、精霊が出てくる気配はない。

「……伝承のGEMは、『泉の守り神』だったはず……。これじゃない、のかな」

 守り神と呼ばれるGEMに宿るファータが人間に拾われて無抵抗だとは思えない。落胆と同時に不思議と安堵を感じながら、私はそっと手の中のGEMを撫でた。GEMは相変わらず木漏れ日を弾きながら沈黙を守っている。

 目的の物でないのならば、森に返すべきだろうか。GEMをのせた手をそっと地面に向け……けれど、そこでぴたりと動きが止まった。

(他の幹部たち、それと蒼波党に翠祇党……GEMを探しているのは私だけじゃない)

 今、GEMを探す人間のグループは大きく分けて三つある。私の所属する紅蓮党、少し前にボスが変わった蒼波党、そして秘密主義の翠祇党。組織の性格や方向性に若干の違いはあれど、目的は皆同じ……GEMを見つけ出し、ファータと契約することだ。

 ファータは基本的に契約した人間を大切にし、死ぬまで力を貸してくれる。だからこそ敵の手にGEMを渡すわけにはいかない。

「……ごめんなさい。あなたを連れていくね」

 迷った末、私はそうつぶやくとGEMを膝の上に抱え上げ、布で包んで鞄にしまった。

 この任務のために作られた鞄は、とても丈夫でGEMをひとつ入れたくらいではびくともしない。……それでも、肩にかけたその鞄はずっしりと重かった。



 しっかりと鞄を背負いなおし、地図を確認する。水辺の方へ歩き出したその時、どこからか争うような物音が聞こえてきた。地面が揺れ、鳥が大きく鳴きながら飛び去っていく。私は一瞬足を止め、すぐに音のした方に駆け出した。

(この先……私が向かおうとしてた方だ……!まさか、誰かが先にGEMを……?)

 先を越されたかもしれない。焦りが思考を奪い、私は足音を消すことも忘れて必死に駆けた。すぐに水音と怒号、それからうめき声のようなものが聞こえてくる。視界には木漏れ日を弾いてきらめく水面が映り、それから物音の主であろう数人の男が見えた。

 夜空のような濃紺の制服。襟元に光る波をかたどったバッジ。手に握る独特な赤茶色の鞭や投網。間違いない、蒼波党の一員だ。男たちはぱっとこちらを振り向き、私を見て顔をしかめる。

「レイ・ランドール……!」

 憎々し気に呼ばれた名前。私はそれに答えるように武器であるヨーヨーを手に取ると先端のリングを中指にかけた。さっと周囲を見回せば、男たちの向かいには白い光を孕んだ水滴がふよふよと頼りなく浮いている。

(あれがファータね……。やっぱり力ずくで契約するつもりなんだ)

 穏便に契約を結ぶつもりならばこんな風に争う事態にはなっていないはずだ。私がキッと睨み据えると、何がおかしいのか男たちはにやにやと笑みを浮かべた。そのまま投網を構え、水滴に向けて投げつける。泥と藁で編まれた網が不自然にキラリと光った。

「! させない」

 私は左手に持ったヨーヨーを大きく回し、網の目の間を通すようにして絡めとる。投網の端がわずかに掠め、水滴が苦しそうにびくりと震えた。その反応に私は思わず唇をかみしめる。

 本来、人間は不思議な力を持つファータに助力を乞う立場だ。けれど、12年ほど前に発見されたひとつの鉱物がその関係を簡単に覆してしまった。

 シールズ鋼。「始まりの山」の異名を持つグレゴリオ鉱山で見つかったその鉱物は、ファータの力を封じ苦痛を与える性質を持っていた。各党は競ってシールズ鋼を掘り出し、武器に埋め込んだり回収したGEMに触れさせたりしてファータを支配しようとしている。ちょうど、目の前の彼らのように。

(とりあえず、鞭は後。せめてこの網だけでもどうにかしないと……)

 シールズ鋼の欠片を埋め込まれた網はファータにとって拷問器具のようなものだ。さっさと壊してしまわなければ。ぐっと左手を引いたその時、首の後ろがチリッと震えた。

「!」

 とっさにしゃがみこんだ私の頭の上を鞭が通り過ぎていく。鋭い唸りが耳に突き刺さり、私は思わず顔をしかめる。鞭は空中で素早く翻り、今度は垂直に私の頭を狙った。横に飛びのこうとして、網を捕まえたままの左手がガクンと引っ張られる。

(しまった……!)

 焦りで思考が鈍っている。慌ててヨーヨーを離そうとしたその瞬間、バシッと乾いた音がして左腕に激痛が走った。

「つっ……!」

 力が抜け、だらりと垂れた指からヨーヨーのリングが抜ける。その隙を逃さず網はするすると持ち主のもとへ逃げて行った。後を追う間もなく風が唸り、私はほとんど反射で鞭の追撃を避ける。

 体勢を整え、右手に構えたヨーヨーを放つ。男の脇腹を狙ったそれは横から飛んできた鞭に弾かれた。後ろからも鋭い殺気が飛んでくる。

 囲まれた。状況を理解して、背中を冷たい汗が伝う。目まぐるしく回る思考が必死に勝算を弾きだそうとする。と、その時。

『っ、ぐう……!』

 私ではない、青年のうめき声が聞こえた。さっと周りを見ると、あの水滴が激しく明滅しながら苦しんでいる。それを見た瞬間心が決まった。

(考えるのは後。まずはこいつらを倒す!)

 私の頭を狙って鞭が飛んでくる。それより一瞬早く、私は体勢を低くして強く地を蹴った。そのまま正面の男の急所を蹴り上げ、怯んだ男の鼻にヨーヨーを叩き込む。

「がっ……!」

 血しぶきが舞い、男は悲鳴をあげると鼻を押さえて崩れ落ちた。それを視界の端に捉えながら私はすぐに体を反転させ、後ろの男の側頭部めがけてヨーヨーを放つ。

 鈍い打撃音、と同時に横から鞭が飛んできた。私はぐっと歯を食いしばり、鈍痛に痺れる左腕を振り上げて鞭を受ける。

「っ、……!」

 激痛に視界が眩む。それでも必死に指を動かすと、指先に革の鞭が触れた。私はそれをしっかり握りしめると体全体を大きく回して引き寄せる。男の体勢が崩れ、目が大きく見開かれる。

「これで、終わり……!」

 男の顔に焦りが浮かぶ。その顔の真ん中めがけて私は思いっきりヨーヨーを叩き込む。ゴッ、と鈍い音がして男がゆっくりと崩れ落ちた。

(……よしっ)

 倒れ伏す三人の男を見下ろして、私はほっと息をつく。左腕はほとんど動かないし、もうかなり息が上がっている。これ以上抵抗されたら危なかっただろう。見たところ三人とも完全に気絶しているし、拘束さえしておけば少し休んでも大丈夫なはずだ。

 そんなことを考え、完全に安心しきって一歩踏み出したその時。

「隙ありぃ!」

 叫び声がして、背中にドンっと衝撃が来た。一瞬息が詰まり、視界が眩む。体が傾き、倒れこんでいくのがスローモーションのように感じられる。

(っ……体勢を立て直して、相手を確認……!)

 ゆっくり流れる景色を見ながら頭は素早く回転し、するべき行動をはじき出す。けれど、疲弊した体はその指示に従わなかった。……いや、正確には、中途半端に従ってしまった。

 相手を確認しようと振り向いた瞬間大きく上体が揺らぐ。体勢を立て直すことができないまま後ろだけを向いた私は当然重力に従ってどさりと尻餅をついた。頭の上に影が差し、すぐそこに迫っていた男が私の頬を力いっぱい殴りつける。

「っ……!」

 とっさに歯を食いしばれたのは奇跡だった。それでもガツンと衝撃が走り、頭が大きく揺れる。視界が明滅して体からふっと力が抜けた。肩を押され、上体が崩れるように地面に横たわる。仰向けになった視界にぬっと男の姿が映り込む。抵抗しようとするより先に男の膝が右腕をぐっと踏みつけた。

(まずい……!)

 左腕は相変わらず痺れて動かない。男を跳ねのけようにも右腕一本では明らかに力が足りない。そうしている間に反対の膝が左腕を踏みつけ、強く抉る。

「あうっ……!」

 激痛に身体が跳ねる。とっさに振り上げた足が空しく宙を蹴った。男は眉ひとつ動かさずに私を見下ろし、両手をこちらに伸ばしてくる。紅蓮党の党員たちと同じ、武器を扱うことに慣れた肉厚な手。その手は迷わず私の首をとらえ、ごつごつした指が素早く首に巻き付いた。

 一瞬、だった。振りほどこうと思う間もなく指に力がかかり、私の首を絞め上げていく。息が詰まり、胸が塞き上げるような苦しみが襲ってくる。

「くっ……。げほっ、ごほっ……ぅ、ぐうっ……!」

 心臓が耳元で鳴っている。肺が空気を求めて暴れる。体中が酸素を求めて悶えている。足をばたつかせ、必死に体をよじってみるけれど男の手はびくともしない。指の感触がぎゅっと強まり、視界が赤く染まった。

(だめ……。なんとか、しないと……!)

 焦る心のままにもがいてみるも、苦しさで体に力が入らない。感覚が遠のき、意識がぼんやりと霞んでいく。

 どこかで水の音がしたような気がした。それを最後に、私の意識は暗闇へと沈んでいった。


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