忘れもの

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

忘れもの

 初夏の日差しの中、白い花びらが舞う。

 休日を過ごすあさみの目の前に現れたのは、何年も前に亡くなった父だった。


 いや、父を思い出したせいだろう。


 あさみはそう思った。


 今しがた小学校の脇を通ってきたのだ。小学校では運動会を催していた。


 あさみには運動会に苦い思い出がある。それは父に関わる事だから、現れた幻につい本音を漏らしてしまった。


「来なかったくせに」


 一番きて欲しかったあの時に父は仕事で来なかった。今思えば『来れなかった』ということはわかっている。自分ももう大人で仕事をしているから、今なら父が来れなかったことは理解できる。


 それでも、とあさみは目を伏せた。


 小学校二年生の親子競技——手をつないで走るだけの、なんのたわいもない競技に、来ると約束したはずの父は来なかった。


 代わりに母がその場に立ったが、父が来ないと知ったあさみの足は動かなかった。


 皆が自分の周りを追い越して行くのに、あさみの足はピクリとも動かない。そこに根を張ったようにあさみはただ突っ立ったままであった。


 その夜、父は気まずそうにあさみに謝った。


「来年は必ず行くからな」


 その翌年から親子競技は廃止された。



 父は警察官だったから、いつも忙しそうにしていた。あさみが大学生になってしばらくして、父は自宅の居間で心筋梗塞で亡くなった。


 亡くなった時、もう2度と父と手をつなぐことはないのだ、とあさみは思ったのを覚えている。


 あさみはまぶたをあげる。


 父の幻はまだそこにいた。


 今さら父の事を思い出すなんて。


 あさみはそれに向かって白い花びらが舞う中を突き進む。


 消えろ、消えろ。


 ところが目の前に立っても、父の幻影は消えなかった。


「…お父…さん?」


『ああ、そうだよ』


「なんで…」


『忘れていたものがあってね』


 父はあさみの手をとった。


 二人でただ黙って白い花びらが舞う回廊を歩いた。


 ただ黙って——。




 ふと気がつくと、あさみは一人だった。振り返っても誰もいない。


 ただその右手に懐かしい感触が残る。


 あさみは立ち尽くした。


 頬を暖かい涙が濡らす。


 そのまま、いつまでもただ立ち尽くしていた。



 了

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