人喰い山

雲峰くじら

人喰い山

「人喰い山」。

とりたてて難度が高いわけでもなく、行程が長いわけでもない、それなのに頻繁に遭難が起こる、そんな山は、そう呼ばれることがある。

私が登山をしていて一緒になったホダカさんは、傍目にも山慣れしている感じの中年男性だった。

「いろいろな山、登られてるんですか」

と聞くと、

「ああ、わたしね、救助隊をやっとったんです」

という。

このホダカさんが働いていた山というのも地域では有名な「人喰い山」だったそうである。

会話を続けるうちに、

「そういえば、一度、変なことあったんですわ」

と、こんな話をしてくれた。



その遭難の報せが入ったのは、昼の一時頃だったそうだ。

ふつう、そんな時間に遭難はしない。

聞くと、一日しても帰らないので様子がおかしいと気付いた家族がようやく通報した、ということのようだ。

初動が遅い。

自力で山を降りれる状態であれば朝を待って下山しているであろうし、そうでないということは、深刻な事態かもしれない。



ところが、遭難者はあっけなく見つかったのである。

この遭難者はタニガワという。

六十代の男性であるタニガワは、山頂近くの山道を外れて十五分ほど歩いたところで見つかった。

発見したときには、大きなブナの木の根本でぐったりしていた。

見たところ怪我などはない。

そばにもう一人ぶんのザックがある。

それについて聞くと、一緒に来た友人のアズマヤが朝になると荷物だけ置いていなくなっていた、という。

タニガワは水分だけ補給すると問題なく歩けるようになり、一緒にアズマヤを捜すと言い出した。

同行するなら危険はないかと思い、一緒に近辺を捜索する。

タニガワが大声で何度もアズマヤの名前を呼んでいる。



三十分ほどして手掛かりもなく、捜索範囲を広げようかと考えていたところ、タニガワが、

「アズマヤ!!おい、アズマヤ!アズマヤだろ!」

と叫びながら木々の間に入っていった。

見つかったのかと思い、ホダカさんも後に続いた。

と、後ろから、救助隊の仲間のヒジリが、

「ホダカ!よせ!」

という。

振り向くと、手で大きくバツ印のジェスチャーをしながら、

「ダメだ!そっちは!」

と言ってくる。

そうこうしているうちにタニガワはどんどん奥へ進んでいく。

ホダカさんがヒジリに向かって

「行かないと!」

と言うと、

「だから、ダメなんだって、そっちは!」

と繰り返してくる。

追い付いてきたヒジリに腕を掴まれる。

「切れてるんだよ、そっちは!」



木々が生い茂って分かりにくいが、捜索を行っていた近辺の山道は、道を逸れればすぐに崖のように切れ落ちている危険地帯だった。

このような場所では滑落遭難が多く起こる。

勝手知ったる山でホダカさんがなぜこれに気がつかなかったかと言えば、タニガワがあまりにも自然に「切れた」方に向かって歩き続けていたからである。

タニガワは、切れ落ちている先も前に進み続けた。

藪を漕ぐような動きの焦った様子と裏腹に、ゆっくりと前進している。

そうやって空中を10メートルほど進むと、

「アズマヤ!アズマヤ!アズマヤ...」

と、壊れたビデオテープのように同じ動作を繰り返すようになり、ついで一時停止したように動きが止まった。

その止まったままの像が更に数メートル進み、ついにはテレビが消えるようにパッと消失してしまった。



それからも捜索は続けられたが、結局タニガワとアズマヤが見つかることはなかった。

空中で消えてしまったタニガワらしき男性を最初に発見した場所に戻ると、二人ぶんのザックが残っていた。そのうちの片方は、アズマヤの捜索中も、件の消えたタニガワが背負っていたはずである。

遺留品となるので、警察の立ち合いのもと中身を調べる。

雨具や水筒、行動食など、ほとんどは当たり前のものだ。

コンパスと一緒になって山地図が出てきたが、そこに妙な写真が挟まっているのを見つけた。

山頂であることを示す標識を挟んで、男性二人と女性一人の三人が写っている。

標識からは、写真が撮影されたのが今まさに捜索をしているこの山であるということが分かる。

写っている人間のうち、男性のほうはタニガワとアズマヤである。これは二人の家族に確認してすぐにはっきりした。

問題なのは女性のほうだ。

二人と同年代に見えるが、目立った特徴がない。

格好は登山着だから、普通に考えれば登山仲間である。

だが、タニガワやアズマヤの家族に訊いても誰なのか知らないという。それだけならいいが、「何のつもりか知らないけどこんなもの見せないでください」というようなことを言われてしまった。



「だから結局、分からないんだよ。誰なんだろうな。この女は」

写真を見せながらヒジリに話すと、お前大丈夫か?と言われた。

ヒジリが写真を指差しながら、

「そりゃ分かんねえよ。こんな写真じゃ。顔が写ってねえんだから」

と言うので、その指すところを改めて見て、目を疑った。

なぜ今まで何も思わなかったのか。

向かって左から、アズマヤ、女、標識、タニガワ、と並んで写っている写真。

女は腰の位置がアズマヤの胸のあたりにあって、肩口のところで写真の上縁に達してしまい、頭が完全に見切れている。

下手な画像加工で引き延ばしたかのように、女だけ縦に長い。

いや、今となっては、なぜ「女」だと思ったのかすら分からない。



ホダカさんは結局、その写真をお焚き上げに持って行った。

「今思えばあれで繋がりが切れたっちゅうか、ああしたことで二人は本当に…いなくなったんだろな、って、それはちょっと心に引っ掛かってんですわ」

と、そんな話を聞かせてくれた。

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