雨に願いを

彩 ともや

雨に願いを

あめ。

雨。

飴。

別に、特別なものじゃない。


「はぁ、はぁ、はぁ。」

体が冷たい。

息が苦しい。

足が痛い。

走っても走っても辿り着かない。

いい加減、力も出てこない。

まぁ、これで死ぬなら死ぬで良いかも?なんて思ったり、思わなかったりーーーーー

「薫。」

突然声がした。

目を開けると、そこには見馴れた顔がある。

「玲?何でいんの。」

ソファーに横たわっていた体を起こし、彼の顔を見る。

「それはねーだろ。お前が呼んどいて。」 

「あー…そーだったっけ…」

机の上を見ると、ビールにチューハイの缶が何本も開けられていた。

昨日、自棄になって飲んだんだった…と、痛む頭で思い出した。

しかし、玲を呼んだことが記憶にない。

「…ごめん。迷惑かけたね…」

「ホントだよ。」

冷たく言うが、その声には心配の色が見えた。

玲は黙々と空き缶達を片付けてくれていた。

外から、さぁっと雨の音が聞こえてくる。

「…てか、私、寝言言ってた?」

もう一度、ソファーに身を投げる。

「…別に。」

玲はこちらを向かず、空き缶を片付け続けている。

「苦しい。辛い。逃げたい。もう嫌だ。」

そっと、手を伸ばし、玲の首に腕を絡める。

「そんなことを言ったら、どーする?」

耳たぶを噛むように、唇を近づけた。

すると、玲は空き缶から手を放し薫の手に触れた。

「頭ポンでもしてやろうか?」

玲はいたずらっぽく笑った顔を薫に向けた。

それを見て、薫は絡めていた腕を離す。

「あーもう。少しは良い雰囲気ってものを知らないの?」

「不純異性交流禁止って校則にあっただろ。」

はぁーっと盛大にため息をつき、ソファーからおりた。

「てか、飲み過ぎだろ。お前そんなんで大丈夫かよ。」

「私は酒豪なんで。それに…飲んでないとやってられないんだよ。」

薫と玲は、高校に通っている。

しかもそれは戦争に使う戦力を養うための学校だ。

薫は、明日戦地へ行く。

生きて戻ってこられる可能性は、ない。

戦争で生き残っても、この国に帰ってくることは許されない。

敵国の大地に足を踏み入れたものは汚れた者とされるからだ。

もう二度と、この国に帰ってくることはない。

そして、敵国でも幸福に過ごせる道はなく、奴隷として働かされるのだ。

つまり、どちらにせよ、死ぬことになる。

人間として。

「ねぇ。玲。あのさ…」

「ん?」

玲は優しくこちらを向いてくれた。

「何でもない。」

微笑んでみせる。

玲は優しい。

だから心配させたくないし、悲しんでほしくない。

でも。

でもーーー。

「しないよ。」

「え?」

薫の心を読んだように、玲は言った。

「記憶削除の手術だろ。しねーよ。心配すんなって。」

玲は薫の頭をわしゃわしゃと、まるで犬でも扱うかのようになでくりまわした。

「して良いのに。」

薫はボブの髪を整え、そっぽを向く。

大体の生徒が、記憶削除の手術を、する。

友達、恋人、家族。

その人たちとの思い出を消すために。

後で、辛くならないように。

残された者の心を守る手段なのだ。

記憶削除の手術は。

でも、玲は消さない、と言ってくれた。

玲の言葉が嬉しくて。

でも、それ以上に辛くて、悲しくて。

「したら、お前泣くだろ。どうせ。」

すっかり空き缶がなくなった机の上をふく玲。

その、大きな背中の温もりに、触れたくなる。

それでも、薫は自分を抑えた。

さっきのふざけたやり取りで、十分だった。

十分だと、思っていないと耐えられなくなりそうだった。

「泣かないし。…玲。ありがと。今まで。」

「それ、昨日聞いた。何回言うんだよ。」

突然、玲は薫の腕をひき、そっぽを向いていた顔を自分の方に向けた。

「で、泣く。昨日のパターンだ。泣き虫。」

一気に顔が熱くなる。

昨日の記憶がなかった。

ーー私は何をしたんだ??

「泣いてない。もう、帰ってよ。」

「泣いてんじゃん。」

「泣いてない。」

玲は両手で薫の頬を、包み込んだ。

「苦しい?」

「違う。」

「辛い?」

「違う。」

「逃げたい?」

「違う。」

「もう嫌だ?」

「そんなわけないでしょ。」

「嘘。」

「ホント。」

「なら、『死にたい』って、何。」

薫は思い切り玲を突き飛ばした。

「なんで…」

冷や汗が背中を伝う。

窓を、雨が強く叩いている。

「寝言、言ってた。ろくでもない夢みて、これで死ぬなら良いかも?とか思ったんだろ。戦地に行きたくなくて。」

「そんな、こと…名誉なことでしょ。戦地で活躍出来るなんて。」

声が震えている。

自分で分かっていても、止められなかった。

「何が名誉だ。くだらない。」

玲は言い放った。

こんなにも清々しいほどに戦争を否定する人は初めてみた。

薫はおもむろに立ち上がった。

「じゃあ、どうすれば良いのよ!?あんたなんかに分かんないでしょ。いくら…いくら私があんたを好きでも、あんたは私をなんとも思っていないでしょう?!いつもいつもはぐらかして…私を見ようとしないじゃない!!」

叫んだ声が、頭に響く。

昨日、チャンポンしたせいでまだ頭は痛む。

「俺だって分かんねぇんだよ!もう…もう会えないかもしれなくて…そんなやつを好きになって…気持ちを抑えるのにこっちがどんだけ必死だったか!こっちは我慢してんのに、お前は平気で誘ってくるし!戦争?特攻隊?なんだよそれ!そんな勝手な国の事情なんか、俺にもお前にも関係ないだろう!!」

言ってしまってから、はっとした。

しかし、もう遅い。

「…特攻隊?え、なんで…」

薫には、聞こえてしまっていた。

「俺は…半年後…かな。特攻隊として、出陣する。お前とは日にちは違うけど、戦地デビューなんだよ。」

「な、なんなの…だって特攻隊なんて…そんな…」

薫は膝から崩れ落ちた。

玲は、死なずにすむと、心の何処かで思っていた。

根拠なんかなかった。

これは、ただの薫の願いだった。

涙が、流れ落ちた。

それは流星群のように後から後から。

玲はその涙を優しく舐めた。

「昨日から、泣きすぎ。」

そして、頬にあてていた唇を、薫の唇に近づける。

「そんなに泣いて…ん!」

玲は貪るように、薫の口を吸った。

涙の、味がした。

「っ!~~~つ!」

抵抗しようにも、玲の力が強くてどうしようもない。

抱き締められた体に、熱が灯る。

脳が溶けていくようだった。

「抱いてって、言ってもどうせなにもしないのに…キスだけなんて、ずるい。」

薫はやっと離れた唇でそうこぼした。

思考が出来ず、頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「…誰がそんなこと決めたんだよ。」

「きゃっ!!」

玲はいきなり薫を床の上に押し倒した。

「…ずっと好きだった。愛してた。我慢すんの、大変だった。」

玲の唇が雨のように薫に降った。

外の雨は激しくなるばかりで、止みそうにもない。

「私の方が好きだけどね。我慢とか、しなくて良かったのに…」

「……言ったからな。」

玲は唇を薫の首筋につけた。

白い肌に、赤い後が刻まれる。

「…口にしてよ。するなら。」

「お前の甘いんだよ。飴でも食ってんの?」

薫の頬が、赤くなる。

ーーーこんな玲、見たことない!!!

「顔真っ赤…だから言ったろ、我慢してたって。」






「必ず、迎えに行くからな。」

「ーーー迎えに来てあげる。」


ざぁぁぁーーー

雨の音。

近づく別れの時を忘れさせるように、雨は降り続けた。

一時の、一瞬の逢瀬を、応援するかのように。






   




兵士育成高校第5期生 戦死者 

雨宮薫

生野冬馬

宇野咲樹

内川結愛

狩野悟

九重郁

天童玲

中野すすむ

野坂聖

萩野豪    他120名

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