字句の海に沈む

白地トオル

字句の海に沈む


「お前さ、そんなんやってて、恥ずかしくねえの?」


「恥ずかしいって何が?」


 宮田はパソコンのキーボードを叩きながら、呟くように返事をした。


「それ……、小説書いてんだろ?」

「うん」


 俺は画面を覗き込むと、宮田の打ち込む主人公の台詞を目でなぞった。鳥肌がぞわりと立つ。普段大人しい宮田がこんな臭い台詞を言っているところを想像すると、こっちの方が恥ずかしくなってくる。


「お前、よくこんなの書けんな」

「有川にも書けるよ」

「いや、そういうことじゃなくて。書けるとか書けないとかって問題じゃねえだろ。こんなの書いてて恥ずかしくなんないのって言ってんの」

「別に。物語じゃん」


 宮田はそう言いながら、今度はヒロインらしき登場人物の甘ったるい台詞を打ち込む。これは、さすがに、キツイ。彼女もいなくて、女心も分からない宮田がこんな女性像を思い描いていると思うと、今後の付き合い方を考えたくなる。


「そういうのって、いつ考えてんの?」

「うーん、授業中とか」


 授業中にあれこれ考えるのは、誰だってそうだ。お昼の弁当のことを考えたり、体育のバレーでスパイクを決める自分を想像する。その時、偶然その瞬間をクラスの女子たちが見ていたとか、膨らむ妄想を抑えきれない時もある。

 でも、宮田はそういう妄想を垂れ流しにしてるんだ。それを文章に起こしながら、何度も見返す。そして、それを他の誰かに見られるのを良しとしている。もう、ある種の性癖だろ、そんなの。


「有川は、授業中、考え事しないの?」

「する」

「例えば、どんな?」


 そんな妄想の話、できるわけないだろ。それに、いちいち覚えてない。いつも似たような場面を繰り返して、何度も同じことを、意味なく考えてるだけだ。ただひたすら女の子にチヤホヤされる場面を考えるだけだ。「男はさ、過程じゃないのよ、結果なのよ」と言うのは、昨夜見たドラマでやさぐれ女が言っていた台詞だ。なるほど、と思った。


「言うほどのことじゃねぇわ」

「なんで」

「大したこと考えてねぇからだよ。授業中なんて、いかに退屈せずに時間を潰すかだろ。その時に楽しめれば、それでいいんだよ」

「そういうもんかな」

「そういうもんだろ。お前だって、授業中、延々と物語を妄想してんだろ? じゃあ、一緒じゃねえか」

「俺は違うよ」


 そこで初めて宮田が振り返った。


「こうやって小説書いてんだからさ。少なくともコレを読めば、楽しかった記憶をいつでも思い起こせる」


 俺は言葉に窮する。


「そっか。俺、もしかして、そのために小説を書いてんのかな」


 宮田の眼が俺をまっすぐに捉える。

 急な視線にどぎまぎして、間を埋めるために、「は?」と答えた。


「いや、俺さ、自分が何で小説を書き始めたのかも、いつから書き始めたのかもはっきりと説明できないんだよ。気が付けば、こうして親に与えられたパソコンに向かってさ、日がな自分の妄想を打ち込んでる。それって、いま思ったけど、怖くない?」


 宮田は乾いた笑い声を上げる。

 収まった鳥肌が、またぞくりと浮き立った。自分がいつ、なぜ、小説を書いているか分からない、だって? それは宮田が笑い交じりに言えるほど、冗談じみていない。笑えないことだろ、それって。「怖くない?」って十分、怖いだろ。


「お前の親は知ってんの? そうやってお前が小説書いてんの」

「う~ん、知らないんじゃないかな。一度も見せたことないし」

「今みたいに、急に、外でパソコン広げたりは?」

「しない。ウチ、自分の部屋しかWifi飛んでないんだよ」

「別にWifiなくても小説は書けるだろ?」

「俺が書いてんの、ウェブ小説だよ。ネットに繋がってなきゃ書けないって」


 ええ……、そういうもんか?

 確かにウェブ小説のことは何も知らないが、それこそパソコンのメモ帳やワードを使えば、どこでも書けそうな気はするが。それに今だってネット繋がってねえだろ。こんなところでも小説書きたいなんて、ホント……、変な奴。


「って別にそんな話はどうでもいいんだけどよ、宮田、いつから書き始めてるか分かんないってガチなの?」

「うん、思い出せない」

「じゃあ、自分が記憶してる限りで何歳から?」

「そうだな。幼稚園のセンセーに読ませた小説は今でも覚えてるから、思い出す限りではそれが一番古いのかな」

「幼稚園? マジ? それ、どういう小説だったか覚えてんの?」


 宮田はそれほど深く考えずに即答した。


「ホラーだった」

「ホラー?」

「うん。幽霊が怖くてトイレに行けないとか、そんな骨子の内容だった。あとは主人公の生い立ちとか肉付けしながら、最後は特に盛り上がりもなく終わって……、結局、自分の肥大する妄想が自分自身を苦しめるって、なんか自戒みたいな物語を書いたよ」

「それ、幼稚園児の書く小説かよ」

「あの頃って、社会のこととか人間のこととかよく分かってなくて、目の前の全てが何でも怖かったんだ。だから、筆は乗ったよ」


 こいつ、マジで何者なんだよ。


「でも、有川もそういう経験あるでしょ」

「ねえよ」

「じゃあ、思い出せる一番古い記憶は?」

「おぉん……、やっぱり、親に叱られた記憶じゃね? 俺の場合、父親に部屋中を引きずり回された記憶がある。確か、通ってたスイミング教室で、ふざけて友達をプールに突き落としたんだよ。そしたら、そいつがカナヅチでさ、溺れ死ぬ寸前みたいなとこまでいって、大人たちがわんさかやって来てもう、そっからはよく覚えてない。その夜、事情を聞きつけた父親にドヤされた記憶しか残ってない」

「それが一番古いの?」

「そうだな。スイミング行き始めたの何歳だったかな、でもたぶん宮田と同じ幼稚園ぐらいの話だな」

「それ以前は思い出せない?」

「思い出せない。言われてみるとスイミング行き始めたのも、いつからだったのか、何歳からだったのか覚えてねえな。親に聞かんと分からん」

「ほらね、有川も同じじゃん」

「そう、か………。意外と昔の記憶って残ってないもんだな」



「だから、有川だって、どうして人を水辺に突き落とすことが楽しくなったのか、分からないんだろ?」



 俺はゆっくりと宮田に詰め寄ると、そっと首筋に手を回した。


「有川、こんなことして、恥ずかしくないの?」


「恥ずかしいって、何がだよ」


 俺が前に歩を進めると、宮田も同調して一歩、一歩、と後ずさる。

 にじり寄る水の影。月夜に照らされ、プールの水面が綺麗にきらめいていた。


「こうやって人を溺死させるのが趣味なの?」

「趣味? 男子高校生に趣味なんてねぇよ。毎日、部活に勉強に恋愛に忙しいんだっつうの」

「じゃあ、この手は何? このまま後ろのプールに突き落とすつもりだろ? 顔にそう書いてあるよ」

「突き落とすくらいいいだろ? じゃれ合いだよ、じゃれ合い。俺ら友達じゃん」

「友達っていうほど有川のことよく知らないけど。新しいクラスになって、話すようになったのも、ここ最近の話だし。悪いけど、俺からすれば有川はまだ探りの段階だったよ。どんな奴なのかなって、距離を測ってたんだ」


 宮田の口角が吊り上がる。痙攣した唇は、本当に俺に恐怖しているらしかった。落ち着いた口調も、すました顔も、全て強がりだということが見て取れた。


「水泳の授業が始まるの、待ってたんだ?」


 宮田は苦笑いをした。


「誰が泳げないかを見極めるためだったんだ。それで、俺が息継ぎできないのが分かったから、近づいた。そうでしょ?」

「さあ、どうだかな」

「いや、そうだよ。俺、ホントにさ、正直言うと怖かったんだ。水着に着替えるとニマニマした顔で話しかけてくるからさ、そっちの気があるんじゃないかと思った。でも、こんな日が来るなら、そっちの方が何万倍もマシだったって、今ならそう思えるよ」

「ふんっ……、何万倍はさすがに言い過ぎじゃね? お前、俺に抱かれても同じようなこと言うぜ、きっと。男なんかに抱かれるくらいなら、死んだ方がマシだって」


 首にグッと力を込めると、宮田の体が小さく跳ねる。


「あ"あ"……、有川、いつからこんなことやってんの?」

「何度も同じこと聞くなよ。記憶にねぇんだって」

「こういうの、楽しいって感覚はあるの?」

「分かんね。お前と一緒で、惰性でやってんのかもしんね」

「あ……、もしかして、有川も思い出したいのかもね。楽しかった記憶をいつでも思い出せるように、こうやって誰彼構わず水辺に突き落とすんだ」

「は?」

「初めてスイミング教室で突き落とした友人のことは覚えてる?」

「覚えてる。顔は」

「顔だけ?」


 宮田が挑発した目で俺を見る。首筋に回した手に力が入る。 


「何が言いてんだよ」

「う"っ………、もしその子が俺だったら?」

「は?」

「昔、突き落としたその子が成長して、高校生になったのが俺だったとしたら、有川はそれでもこんな仕打ちが出来る? それとも、逆に興奮する?」

「デタラメ言うな。そいつが、今どこでどうなってるか俺は知ってる」

「もう一回溺死させたの? 殺し直したんだ?」

「勝手に妄想広げんなよ」

「やだな、想像の話だって。小説家は想像して創造する生きも―――――」


 ムカついたから、ぐうと気道を締めてやった。


「想像の話は嫌いなんだよ―――――もう、いいか?」


 首を締める手の力を緩めた。宮田は激しくせき込み、くびれのできた軌道に空気を送り込む。

 そして青ざめた顔で、笑った。


「最後に一言いい?……これ、運ぶの大変だったでしょ?」


 水面の奥に揺らめく、無数の本。月明かりに照らされ、ぼんやりと浮かび上がる表紙の文字がとても幻想的に映った。コイツならこの水の中を泳ぎたいって思うんだろうな……、あ、いや泳げないんだっけ。


「ああ、大変だったよ。でも、この上にちょうど図書館があってくれてよかった。放り投げるだけでも、そりゃ骨は折れるけど、まとめて運ぶより全然楽だ」

「いつも、こういうことを?」

「誰でも、死に行く前くらい楽園を見たいだろ? ほら、最後の一冊だよ。そのノートパソコン、こっちに渡せ」


 俺は宮田の手から執筆中のノートパソコンを取り上げると、プールに向かって投げた。弧を描いたパソコンは、音もなく着水した。ゆらめく光源が、しばらくしてブラックアウトした。


「ひどいなあ……、力作だったのに」

「あの世で読んで来い」


 手の甲を涙が伝った。宮田が溢れる涙を堪え切れず、唇を震えさせて言った。


「あ、有川もウェブの小説とか読むんだ……、意外だな……、そっか、俺があんな題名で書いたから……なんだよな」


 あれは良かったよ。ポエムみたいで、読みやすかったから。


「『字句の海に沈む』……、言葉の綾だよ。有川、もっと勉強……しろよな……」


 知らん。小説はまどろっこしい表現が多くて好かないんだよ。



「そっ……か……」



「じゃあな。次の更新……、楽しみにしてるよ」



 俺の手を離れて、宮田の体が水飛沫を立てる。


 そして、ゆっくりと、沈んでいった。

 

 深い深い、字句の海の底に。





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