『字句の海に沈む』

桝屋千夏

字句の海に沈む


『語句の丸!ついに字句の海に沈む』


 その朝刊の一面を飾った四股名の見出しに、私は

 これまで語句の丸が重ねてきた連勝記録の更新をベテランの字句の海が止めたからです。


 すでに今場所で引退が決定していた字句の海。

 幾度となく怪我に悩まされ、ここ数年途中休場が続いていました。

 そんなボロボロの力士にとってこの勝利は有終の美にふさわしく、誰もが彼を称賛することに疑いの余地はなかったのです。


 ですが、世間の評価は違っていました。


『若手の躍進を拒む老害』


 世に散らばった酷評を、一言で表すならばこうなります。


 これからの未来ある力士の躍進を引退確定の古参力士が止めたのですから、この酷評も仕方ないのかもしれません。

 もしこれがお互い切磋琢磨した未来ある若手力士同士の結果ならば、世間の評価は別なものになっていたでしょう。

 しかし、現実はそう甘くはなかったのです。


「誰が語句の丸の連勝記録を止めるのか!!」と沸き上がっていたマスコミは、一転して「何故字句の海はさっさと引退しないのか?」と方針を変えました。

 字句の海に寛容なコメントは報道されず、世論に同調するかのように報道番組のコメンテーターや解説者までもが字句の海を批判するコメントを立て続けに発信しました。


 それに、字句の海が非難される理由はもうひとつあります。

 今回は勝ち方が悪かったのです。

 正々堂々と見合った力相撲ならば、世間の反応も違っていたでしょう。

 力と力がぶつかり、古参の力士が若手の力士を押し倒したのならば誰も字句の海を悪くは言わなかったはずです。

 だが、そんな戦い方ではなかった。

 お互いぶつかり突き放した瞬間、字句の海は会場をあっと言わせる技を披露しました。

 真っ向から迫ってくる語句の丸の眼前で勢いよく柏手を打つ。

 俗に言う「猫だまし」です。

 とっさのことに語句の丸は体制を崩し、そこへ字句の海が畳み掛けるような張り手を重ねる。

 語句の丸は土俵の外へと転がり落ちたのでした。


 そんな勝ち方に歓声が沸くはずありません。

 会場は一瞬静まり返り、その後連勝記録が止まった語句の丸への落胆よりも、字句の海の勝利への執念に対する非難の罵声が会場を埋め尽くしました。

 字句の海に対する罵声が、語句の丸への励ましのエールをかきけしていきました。


『語句の丸!ついに字句の海に沈む』


 これからの相撲会を背負っていく大きな期待を乗せた船は、無惨にも名声を欲した大海原に沈んでいったのでした。


 そして字句の海は再び途中休場。

 何かを警戒してか、一切人前に出ることはありませんでした。


 千秋楽が終わり数日経った後、字句の海は静かに引退していきました。

 セレモニーのようなものが行われたわけでもなく、ひっそりと古参の力士が消えていったのですが、誰も気には止めていません。

 数日前には彼を悪名高い力士として取り上げたマスコミも、彼の引退の報道は陳腐なものでした。



 勝ちにこだわることは、そんなに非難されなければいけないことなのでしょうか?

 歴史上、後世に残る世界中の大戦も全て称賛される勝利ばかりではありません。

 圧倒的武力で制圧する勝利。

 相手の裏をかくべく、計算された勝利。

 策略を巡らし、裏切りに満ちた勝利。

 所詮、勝利を得たものが勝者であり、それ以外は敗者なのです。


 字句の海は完全なる勝者であり、非難されるべきではないのです。

 彼への非難は単なるルサンチマンに過ぎません。

 大衆主義的感情論に流されたマスコミが、その感情論に饒舌なロジックを上乗せし報道することで、ねじ曲がったイデオロギーが拡散される。

 先端技術だけが進歩し、思想教育が発展途上国並みの愚民が横行闊歩する国の名は……







 え?

 なぜ字句の海の勝利に私が

 違います。

 語句の丸に土がついたことに喜んだんです。


「連勝記録を誰が止めるか?」ってのには負けました。

 けれど、「何勝するか?」には勝ちましたから。


 今回得た収益は、次回の八百長資金として大切に使わせてもらいます。

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『字句の海に沈む』 桝屋千夏 @anakawakana

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