王族としての己の立場
第11話 国王代理の城下視察
「レイ様、そろそろ休憩なさってください」
「ごめんなさい。今、手を抜くわけにはいかないの」
私は部屋の中に散らばった資料を探し出しながら、同じく資料の山を手にしたアンに答えた。
「ですがこのままでは倒れてしまいます」
「仕事は待ってくれません。何より人の命がかかっているのですから、後方で控えることしかできない私たちが少し無理をするくらい、なんてことないですよ」
「それでも……」
「私が自分の限界を見誤ったことがありますか?」
「……いえ」
「ではもう少し、頑張りましょう」
明るく声をかけながらも、私は心の奥で焦っていた。
それは先週のこと。ティムたち国外警備騎士団からの報告に進展があった。進展といっても、決していい話ではなかったが。
『東の森に人の亡骸が二つほど。襲われてからそう日は経っていない模様。女性と十にも満たない子どもだと思われる。状態は最悪だが、服の端切れと髪飾りで判別がつく可能性がある。周囲の警戒にあたり、追加の情報があればまた報告する』
伝達係が持ち帰ったのは、ティムから簡潔にまとめられた報告書と、身元を示す手がかりとなる端切れと髪飾り。その場にいた伝達係の口から紡がれたのは凄惨たる状況で、これらの遺品が残っていたことは奇跡に近いことのようだった。
その状況にどれほど心が引き攣ろうとも、私たちの執務が変わることはない。報告を受けたライオットは、すぐさま二人の身元を探し出すよう手配し、また伝達係から騎士団の状況を聞こうと執務室に篭ったまま。
ライオットと次にまともな会話を交わしたのは、二人の身元が分かり、唯一の肉親が見つかった昨日のことだった。
亡くなったのは国の中心から少し離れた地域に住む女性とその息子で、女性の父親が行方不明となった二人を捜していたという。しかもその事実が判明した日は、ちょうど孫にあたる少年の六歳になる誕生日だったらしい。
もしこの国がこんな状況に陥っていなければ、少年は六歳となり、二人の家族に祝われ笑っていたかもしれない。一緒にご飯を食べて太陽の下で走り回って、夜は枕元で本を読んでもらって。当たり前の生活の中の当たり前の幸せを、彼らは宝物のように胸に抱えられていただろう。
しかし一人になってしまった男の人に、残されたのは一片の端切れと髪飾りが一つだけ。家族の遺体が家に帰ってくることはない。その声は、彼の耳には二度と届かない。
ライオットが送った王族の使いの人間が、事実をありのままに伝えたところで、その男の人に理解してもらえたのだろうか。大切なものを失ったという現実を、よく知りもしない相手に伝えられて、その心は受け止められるものなのだろうか。
大切な者の死を自ら生み出し見守った私では、その理解者になることなどできないのだろう。
「失礼いたします。今、お時間よろしいでしょうか」
執務室の扉を叩いて現れたのは、ライオットと動いているはずの宰相だった。
「構いませんよ。少し散らかっておりますが……どうぞこちらへ」
執務用の机からはみ出してしまった書類は、接客用のテーブルの上に重ねられている。決して人を招ける状況ではなかったが、私は比較的片付いていたテーブルの角に彼を案内した。
「それで、いかがされましたか?」
素直にソファへ腰掛けた宰相の隣に私も腰を下ろして、彼がここを訪れた要件を尋ねた。ライオットが国王となってから、宰相がこの部屋を訪れることはなくなっていた。国政に関する執務のほとんどが、ライオットが行うものとなっていたからだ。
「本題から入らせてただきますが……。国王様の予定を一つお任せしたく伺いました」
「承知いたしました」
ライオットから仕事が回ってくるのは、これが初めてのことだった。最近は城内が慌ただしく、私もすべき業務が増えたとはいえ、重要なものはライオットが行うことに変わりはない。彼が頑なに断ってきた執務を私に回すとは、頭では理解していたものの、今が緊急事態であることを改めて実感させてくれた。
「魔獣の発生の噂が国内に浸透しており、国王様が城下への視察とともに対話を行うことになっておりました。しかし今回新たに被害となった地域へ参る必要が生じたため、この役目をレイ様にお願い致します。詳細につきましてはこちらにまとめておりますので、ご都合に合わせて変更されてください」
「ありがとうございます。では疑問が生じた場合、執務室に伺わせていただきます」
「お願いいたします」
執務についての連絡を終えて、宰相はまた部屋を出ていった。彼が残していった資料は想像以上に細かくまとめてあり、読み込むのに少し時間がかかりそうだった。
「レイ様。本当に問題はございませんか?」
「これくらい大丈夫ですよ。ただいくつかの作業は後回しになっしまいますが……。アンも後でこの資料を読み込んでおいてちょうだい」
「はい、承知しております」
「頼りにしているわ」
私はそれまで行っていた作業を中断して、宰相から受け取った資料を読み込むことにした。そこに記されていたのはライオットが視察する予定だったスケジュールと、その場で会うことが予想される人々の最低限の特徴、そして国民たちがどのような感情を抱いているかや、それに対する国王としての発言の方向性などだった。
視察に行くうえで必要な情報は全て揃い、新たに何かを調べる必要はない。その発言の方向性もすでに把握していることと変わりなく、予定されていた通り明日に、私が代わりとなって視察に向かっても問題はなさそうだった。
「この資料にある通りに、明日視察を行おうと思います。普段とは大分状況が異なると思いますので、準備は今から念入りに行いましょう」
私は手元の資料をアンに手渡して、先に中断していた作業へ取り掛かった。目の前にある執務を片付けても、またすぐに新しい執務が舞い込んでくる。これまで意味もなく溢れていた時間が嘘であるかのように、流れ去る時間は早く、息つく暇もないほどに充実していた。
「女王様……この国は大丈夫なのでしょうか?」
「なぁ、今どんな状況なんだよ! 何か知ってんだろ!」
「どうにかしてちょうだい……。これ以上は無理よ、このままだと魔獣に襲われずとも餓死してしまうわ」
「皆様、落ち着いてください。お気持ちは分かりますが、まずは冷静に」
私が城下を訪れるとすぐ、馬車の周りは不安そうな人々でいっぱいになった。しかしそれも想定の範囲内で、私が手を取って宥めるよりも早く、護衛に連れてきていた騎士たちによって壁が作られた。
「一人ずつ時間を設けてお話ししたいので、皆様は普段どおり過ごされてください。私が街を回りますので、またその際にお声掛けください」
そこに壁があったおかげか、不満そうな表情を隠してはいなかったが、集まっていた人々はまた自分たちの仕事へと戻っていった。今日のスケジュールにおける最悪の予想では、ここで起きた暴動によって何もできずに城へ引き返していた。私たちと同様に、国民の間でも危なげな空気が漂っていたが、それは思っていたよりも厳しい状況ではなかったらしい。
「女王様、まずはどちらへ?」
「そうですね……」
一人ずつ話したいという思いは事実だが、私の体が一つしかないこともまた事実。限られた時間の中で、より多くの人々のより深い意見を伺うというのは、ほぼ理想論に過ぎないものだった。
「じょーおーさまだ! あそぼー!」
「えっ」
「あっ、こら!」
護衛の死角から私の服を引っ張ったのは、前回視察に訪れたときに相手をしてもらった子供たちの、その中でも一番幼い子だった。慌てて一番近くに控えていた騎士がその手を掴んで引き離そうとしたが、無理やり行ったために子供はわけもわからず余計にしがみついてしまった。
「久しぶりね。元気だったかしら?」
「うん!」
「今日はお兄ちゃんたちと一緒じゃないの?」
周りに子供たちの姿はなく、近くに保護者がいるようにも見えなかった。
「にいちゃはおてつだい。僕はじゃまだから遊んでてって」
「そっか。でも、私もお仕事しなければならないの」
「えー」
「ごめんね」
「いや!」
「それは困ったなぁ」
その子は私のスカートにより一層しがみついて、顔をうずめて頑なに離れようとしなくなった。小さな子供と関わる機会など数えるほどしかなかったのと、その子たちは皆私のことを女王と分かったうえで接するから、こんなときどう対応すればいいのか分からなかった。
相手は子供だからとできるだけ明るく返事はしたものの、困った状況であることに変わりはない。
「レイ様、申し訳ありません」
「いえ……。どうすればいいでしょうか……」
どうしようもなく助けを求めてみたものの、護衛についていた騎士たちは自分には振らないでと視線を逸らしてアピールする。どうにも子供の扱いに慣れた人はここにはいないようだった。
「ここは俺が……と言いたいのは山々ですが、流石に今回護衛が減るのは避けたいですからね……」
それは前回の視察の時も付いて来てくれて、後輩に子供たちの遊び相手を任せた騎士だった。気だるそうにしている姿をよく見るが、それは周りに任せられる人間がいるという証拠で、基本的には仕事に真摯に取り組んでくれている。
「なぁ、坊主? 坊主は姫様のことが好きか?」
「……うん」
「そうかそうか。じゃあ、姫様のお手伝いをするか?」
「……いいの?」
騎士がにこりと笑って頭を撫でてやると、その子は顔を上げて目をまんまると見開いた。
「少しだけならね」
「おてつだいする!」
それまでの機嫌はどこへ行ったのやら、満遍の笑みで返事したその子は、片手を騎士へとまっすぐ伸ばす。騎士は慣れた手つきで小さな体を抱え上げようとしたが、その子の反対側の手は私のスカートを掴んだままで離されてはいなかった。
「ほーら。離してくれんと仕事ができんぞ」
誰の言葉も聞き入れてくれなさそうなほど頑固だったその子供も、その騎士にだけは素直に従ってくれた。
ようやく子供の手から解放されて、私は視察を始められる状態になった。といっても一人の護衛の騎士の手が、その子供を抱えることで塞がってしまっているけれど。
「まずはあなたの家族の方にお話を聞きたいわ。ご両親のところまで案内してくれないかしら?」
私はその小さなクリクリの瞳に視線を合わせた。
「お母さんたちはあっちだよ!」
その子は騎士による抱っこをいたく気に入ったようで、ご機嫌な様子でとある路地を指さした。
「あっちだな。そのままお母さんのところまで姫様を連れてってくれるか?」
「あい!」
まるで小さな騎士様が一人増えたかのように、背筋を伸ばして敬礼する姿は将来有望だろう。どうかこの子が今のまま、希望を持って生き抜くことができるように。騎士と笑いあう姿は、どこまでも輝いているようだった。
Am I a Frog or a Rabbit? 雪鼠 @YukiNezumi
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