張りぼてのノヤ

スヴェータ

張りぼてのノヤ

 ノイヤルナ教では、結婚を禁じている。人間同士の関係を契約によって築くべきではないという考えだ。子を持つことはできるし、いわゆる事実婚の形であれば結婚も可能。しかし異教徒との場合、結婚はおろか、恋愛感情を通わせることさえ許されていなかった。


 人口800人の小さな町。その北の端に1つ、ノイヤルナ教の教会がある。信者はこれをクリャーパと呼んだ。毎週日曜日の朝、ノイヤルナ教徒は礼拝を行う。そのため彼らのほとんどは、北の集落に居を構えた。


 教会には神父が1人。もっとも、ノイヤルナ教では神父とは呼ばず、名前の頭に「ノヤ」を付けて呼ぶ。この町にいるのはノヤ・カシュルテ。もう20年ここで教えを説き、信者たちを導いていた。


 ある日曜の朝、いつものように鐘を鳴らすべく、ノヤ・カシュルテは教会の階段を上った。礼拝堂の上は塔のようになっており、町を見渡すことができる。町中に響き渡る大きな鐘もそこにあった。


 ぞろぞろと教会へ足を運ぶノイヤルナ教徒たちを眺めつつ、鐘を鳴らそうと構える。その時、つい先日まで空き家だったはずの家の煙突から、ふわふわと煙が立ち上っているのを見た。


 誰かが引っ越してきたのだろう。しかし、あの煙突を見るに、その人は日曜の礼拝には来ないらしい。念のため後ほど確認しようと心に留め、定刻を15秒過ぎたところで鐘を鳴らした。


 礼拝が終わり、信者たちがぞろぞろと教会を出て行く。ノヤ・カシュルテはいつも最後に出て行くご婦人に、あの家の住人について尋ねた。するとご婦人は、ノイヤルナ教徒ではない若い女性が越して来たのだと教えてくれた。


 この集落にノイヤルナ教徒ではない人が住まうのは、ノヤ・カシュルテがここへ来てから一度もなかった。このようなこともあるのかと思いつつ、何だか面白くない気もした。ここは各地から追いやられたノイヤルナ教徒の集落だと思っていたから。


 数日経って、ノヤ・カシュルテがいつものように教会の扉を開けたまま祈りの言葉を捧げていると、後ろからカツン、コツンと静かな足音が聞こえてきた。振り向くと、見慣れない若い女性。あの家の住人だった。


「お祈りですか?」


 ノヤ・カシュルテは宗教人らしく、穏やかな笑顔でもって彼女を迎えた。神の御前では皆穏やかで清らかであるべきだから、ひと目見た時に沸き起こった感情は努めて抑えた。彼女はこの辺りでは見ないほど華やかで、美しかった。


「いえ。越して来たばかりなので、この辺りを散歩していたのです。綺麗な教会ですね」


 彼女はひどく訛っていた。どうやらこの町どころか、この国の外から来た人らしい。たどたどしくも一生懸命話すその姿が、ノヤ・カシュルテには非常に愛らしく映った。親子ほど歳は離れていたが、彼は隠しようもなく恋をしていた。


「こちらへお座りなさい。我々の神、キリェンタがよく見えます。キリェンタはここからいつも我々の暮らしを見守ってくださっているのです」


「まあ、どうして胸に斧が刺さっているのです?」


「彼はこうして血を流し、全ての罪を背負われました。そしてこの尊い血を我々は受け継いでいるのです」


「何だか私の神と似ています」


 聞くとやはり、彼女は異教徒だった。ノヤ・カシュルテはすっかり恋をしていたから、あからさまに落ち込んだ。それでもまた会いたかったから、日曜の礼拝にぜひ参加するよう誘った。


 すると次の週から、彼女は礼拝に参加するようになった。それは信仰心からではなく、単に交流のためのように見えた。しかしこの集落の半分はそのような心持ちで礼拝に参加していたため、彼女は徐々に馴染んでいった。


 ノヤ・カシュルテは彼女が教会に来るたび、熱心にノイヤルナ教の物語を聞かせた。キリェンタがいかにして崇められるようになったか、どのように我々を見守ってくださるのか。それらをこれまでのどの礼拝よりも詳しく、分かりやすく話してみせた。


 彼女は時に自らの信仰する神と照らし合わせ、また時に新たな発見に目を輝かせながら、熱心に話を聞いた。ノヤ・カシュルテは彼女の反応全てが嬉しかった。心を掴めた気さえした。


 1年後、彼女はノイヤルナ教に改宗した。改宗の儀式を執り行いながら、ノヤ・カシュルテは胸を弾ませていた。信者同士であれば、堂々と恋愛し、結婚の形をとることができる。ノヤ・カシュルテは彼女との甘い生活を夢見た。


 しかしその半年後、ノヤ・カシュルテの元に名付けの依頼が来た。依頼主の青年に聞くと、彼女との間に子どもが生まれるのだという。ノヤ・カシュルテは震え、ぎこちなく笑った。そしてこれまでの熱心な彼女の姿を思い返し、殺意をみなぎらせた。


 その日の晩、ノヤ・カシュルテは彼女の元へ忍び込み、薪割りの斧で彼女を滅多打ちにして殺した。彼女はひとり暮らし。目撃者はなく、また一打目で即死したため、外に悲鳴が漏れることもなかった。


 衝撃のせいか彼女はピクピクと動いていたが、やがてぐったりと動かなくなった。ノヤ・カシュルテは「どうせ手に入らないのなら……」と小さく呟き、彼女の胸に斧を刺したまま家を後にした。


 翌日、集落は騒然としていた。ノヤ・カシュルテは平然と彼女の家へと赴き、祈りを捧げた。側で俯き泣く男。ノヤ・カシュルテは屈み、男の肩に手を置き、顔を覗き込むようにして話しかけた。


「君はあの時の……まさか、子どもは彼女の改宗前に?」


「それは……ええ、そうです。それでも僕は、彼女を愛していたから……」


「なぜノイヤルナ教が異教徒との恋愛を禁じているかは知っているね?」


「ええ……我々は、分かり合えないから……」


「そうだ。分かり合えない者同士、心を通わせてはならない。それは幻だからだ。それを知らなかった者たちの罪をキリェンタは背負われている。しかし、君はそれを無碍にしてしまった」


「どうして神は僕ではなく彼女を……」


「それは君にとって、その方が大きな試練となるからだ。神は最大の試練をお与えになった。それでも君は、生きなければならない」


 いよいよ嗚咽し止まらなくなった青年。その背中をノヤ・カシュルテは優しく撫でた。近所から集まってきた人たちが祈りの歌を捧げている。ノヤ・カシュルテはこれほど美しい光景はないと思った。


 結局、科学の進んでいないこの国では犯人を突き止められず、彼女は神の怒りに触れて「怪死」したことになった。ノヤ・カシュルテも満足だった。結局神の教えに背くことなく、通じ合う前にひとつの恋を終えられたから。


 ノイヤルナ教では、殺人を禁じていない。

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