第26話 私見・・最後に

ドイツ革命の失敗

ドイツはまさに革命的な状況にあった。しかるにこれを組織し、指導していく組織がなかった。ローザの共産党は起ち上げたばかりだった。準備不足のまま、大衆の武装蜂起に行動をともにしてしまった。そして、早々に、反革命の前に優秀な指導者を失うという犠牲を被った。ロシア革命の成功はレーニンに指導されたボルシェビキがあった。そういう意味では「党の独裁」、後にその弊害を内包したとはいえ、批判したローザよりレーニンに組みするしかない。何より起こした革命は成功しなければならないからである。


ローザもそのように考えたようであるが、レーテに基盤をおき、国民議会選挙にも参加し社会民主党支持の労働者を、切り崩し取り込んで行くべきだったと思う。ブルジョア議会か武装蜂起かではなく、議会闘争もまた一つの有効な手段である。何よりあのナチスを見よ、彼らは議会を通して第1党になり権力を握ったのである。もっとも、それによって、議会と民主主義を廃したのであるが・・。

反革命の軍に対しては、圧倒的な労働者大衆の革命的な支持と行動があって立ち向かうことができるのである。ロシア革命のように、兵が民衆に向けた銃をやめさせることができる時が革命の成功である。


ロシア革命と似たような状況はあった。10月革命の時のコルニーロフの反乱の時、ケレンスキーはボルシェビキに助けを求めた。これにボルシェビキは呼応した。そこからメンシェビキとの力の逆転が生じた。

カップ一揆の時、エーベルトは労働者大衆に助けを求めた。労働者大衆はゼネストで反革命に対決した。勿論、社会民主党、独立社会民主党に共産党も呼応したのであるが、このゼネストを主導しえなかった。1919年のスパルタクス共産党の蜂起がいかに早まったものだったかが、これでも知れる。


反革命の側は、早々と決断し、行動をとり、老獪ですらあった。革命勢力の前衛となるべき党の指導者二人を早々に血祭りに挙げた。真の敵を見ていたのである。


歴史に「もし」はないのだが、ドイツの革命が成功していたら、革命の国フランスには波及したであろう。革命化したヨーロッパ大陸に、ロシア革命は孤立した革命にはならなかった。ナチスも登場せず、第2次世界大戦も起きなかったかもしれない?

歴史に「もし」はないのである。ドイツ革命の敗北も、ナチスの敗北と同様、歴史の必然と思うしかないのであろう・・ただ、ドイツ革命が歴史の大転換点にあったことは確かである。


ロシア革命と、ドイツ革命の状況の違い

「兵士には平和を・・」ロシアではまだ戦争継続中であった。ドイツでは11月9日の二日後には休戦が成り立っている。


「農民に土地を・・」ドイツには東部北部にはユンカーの大土地所有はあったが、ロシアより農民層の分解が進み、小土地所有の農民と労働者大衆という形で存在した。ドイツの農民は僅かな金で得た戦時公債が償還されるのを待っていた。ロシアではナロードニキの流れを組む社会革命党があったが、ドイツでは革命勢力として、農民が組織されていなかったのである。


資本主義の発展はロシアより高度であって、帝政とは言いながら、社会民主党が第1党になるような、大衆的な基盤が出来ていて、議会主義への支持が一定程度出来上がっていた。ロシアの社会情勢とドイツの社会情勢が違えば、自ずから革命方式も違ったであろう。

その国その国によって資本主義の発展段階は複雑に違うのである。連帯と声援は送れてもそれ以上のことは、その国の人々が決めることである。革命の輸出はできないというコミンテルンの失敗がそのことを証明している。


革命側から見ればそうなのであるが、議会主義、ブルジョア民主主義から見ればどうなるのであろうか。


労働者大衆が求めたものは、反軍国支配と平和と民主主義(帝政から共和制)であったろう、困難な経済情勢に「パン」は言うまでもない。社会民主党主導のワイマール共和政府はそれを課題としたはずである。

帝政時代と絶縁することは、カイザーの退位だけではなく、軍部支配の精算であったはずである。ベルサイュ条約を受け入れた正規軍10万の撤収と復員を忠実に履行すべきであった。義勇軍を作り、これを国軍の隠れ蓑とし、反革命部隊として使った。これに反対する勢力は武装した。何しろ復員部隊の武装解除は満足に行われず、大量の兵器が出回ったのである。政府公認の準軍事組織は、左にも極右にもそれに似たものを存在させた。ナチの突撃隊、共産党の赤色同盟、ドイツ社会民主党の国旗団 等。

これはいつでも、武装蜂起を容易にし、場合によっては内戦状態を可能にするものであった。過去を精算して、前に進む。それが出来ていれば、ワイマール共和国は社会民主主義共和国の栄誉を手に出来たのかもしれない。軍部専制のしっぽを残したが故にナチスの台頭を許したのである。どちらも「戦争をする」勢力で、手を組むことは明らかであったのだ。


議会主義を標榜する勢力は、ナチスに議会を乗っ取られたのである。混乱・迷走する議会にドイツ国民は見切りをつけたのかもしれない。そして強いドイツを唱えるナチスに国会を引き渡した。


ナチスの台頭

「国民にパンを・・」ベルサイユ条約による過酷な賠償金、過酷なインフレ、そして恐慌、日々のパン、一番有効に使ったのはナチスではなかったか?パンの代わりに自由を圧殺し、もう一度過酷な戦争をもたらしたが・・。


ドイツは負けたが、国土は戦場にならなかった。それが中途半端な敗戦意識になり、反戦平和も中途半端になったように思えてならない。


「我が闘争」にすべては書かれていた。ユダヤ人と共産党はイコールで結ばれた一つの敵で、殲滅対象で、東方の地ロシアはドイツ民族によって征服される地であった。それを政治の指導者、国民大衆も甘く見たのではなかったか、偉大なるドイツの前に、ブルジョア、保守支配層は後者の殲滅を望み、国民大衆は前者を見て見ぬ振りをした。そして、ヒトラーの自殺に付き合った。

 ドイツのことではない。我が日本帝国もほぼ同じであった。


ヨーロッパの統合、EUもこれらの戦争の反省の上に立ったものである。国際連合もしかりである。日本の平和憲法もしかりである。私たちはいまその世界に住んでいる。


参考にした図書

『ヨーロッパ革命の前線から』ラリサ・ライスナー(平凡社)

『20世紀ドイツの光と影』・斉藤哲編(葦書房)

『裏切られたドイツ革命』セバンスティアン・ハフナー(平凡社)

『ローザ・ルクセンブルク・その思想と生涯』パウル・フレーリヒ(御茶ノ水書房)

『ドイツ革命』ドキュメント現代史2・野村修訳(平凡社)

『ロシア革命の考察』E・H・カー(みすず書房)

『民衆騒乱の歴史人類学』喜安 朗(せりか書房)

『ワイマール・イン・ベルリン』ある時代のレポート(三元社)

『世界大戦と現代文化の開幕』中央公論社

『ドイツ革命史 』林健太郎(山川出版社)


*拙い勉強の成果でしかないが、最後までお読みいただいたのなら感謝につきない。

 ここまで書いたのなら、二つの大戦の間に力をつけて来たアメリカ、私たしは今、アメリカの世紀に住んでいる。そのアメリカの強さとは何なのか、そしてそれに対抗したソビエト連邦、崩壊した社会主義にも触れなければならない。中国の革命にも、第二次大戦以降の戦争にも。アメリカに異議申し立てしている、イスラムの現状にも・・勉強は尽きない。しかし能力、気力にも限りがある。機会があれば、もう少し簡潔な文で書いてみたいと思っている。




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戦争と革命の時代(ロシア革命・ドイツ革命・ナチスの登場) 北風 嵐 @masaru2355

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