俺が落としたもの
兎丸。
プロローグ
11月、本格的な冬が近づく嫌な季節。
枯れ落ちて葉のない木々に風が押し寄せカラカラと乾いた音が鳴る。この前まで盛大に生い茂っていたが今は緑を落とし、色褪せ、役目を終えたと言わんばかりに立ち竦んでいる。
午後1時過ぎ、乾き、透き通った空気に太陽が温かみを感じせてくれる。
だがそれも束の間。すぐさま凍えるような風が吹き、冬の訪れを知らせられる。
そんな中、俺は今日も世話になっているおじさんのリンゴ畑の手伝いをする。こんな寒い中で作業を押し付けられるんだ、堪ったもんじゃない。愚痴の一つや二つ漏れても仕方がないと言えるだろう。そう一人で納得する。
まあ、手伝いと言ってもただリンゴの入った箱を運んだり、邪魔な枝や葉を切ったりと雑用みたいなものだ。もうそろそろ作業も終わる。
それにしても、どうして熟れたリンゴも落ちて潰れたリンゴも甘い香りで鼻孔をくすぐるんだ。腹が減って仕方がない。
今日の昼飯は何にしようか。おじさんについて行ってあわよくば奢ってもらおうか。なら、頑張っているアピールでもしないとな。
「ふぅー、やっとこれでひと段落だ」
作業を終え、硬い地面に腰を下ろした。我ながら下手くそだな、ただただ白々しい。腰を下ろす時、チラッとおじさんを一瞥するが、対するおじさんは見向きもしない。それに加えて絶え間なく指示を飛ばしてくる。
「おーいカイト、この箱も運んでおいてくれ」
「もう、またですかぁ?勘弁してくださいよ」
心底嫌そうに返事をしてみせる。実際やりたくないし。
まったくもってふざけた話だ。
いままさに作業を終えたところだというのにまた新しく指示を飛ばしてきやがる。反論してもどうせおじさんのことだ、若いんだから頑張れ、まだ大学生なんだから大丈夫だと次々に仕事を回してくるだろう。
とは言っても、大学に入って親元を離れてからずっと世話になっている人だ、そうやすやすと文句を言えるはずがなく、言われた通りリンゴの入った箱を受け取り、抱えて運ぶ。
これじゃ、奢ってもらう作戦も諦めた方がいいな。何か言われる前に声かけて、いつも通りのコンビニ弁当でも食べるとするかと、うなだれる。
足場の悪い凸凹とした道を歩きながらぶつくさと、なぜもっと平坦な道を作らなかったんだ、キャリーカートぐらい用意しろと、どうでもいいことでおじさんに悪態をつく。
そうでもしないとやってられない。労働に対する対価ってものがあるだろ。肉体労働の後にコンビニ弁当とは締まらない。スタミナ丼とか奢ってくれてもいいだろ。
しばらく何もない道が続く。景色が変わらないとこうもつまらない。
ただ黙々と疲れた足を前へ進める、地味だが疲れる。
どこか休める場所があれば……。
そう思いかけた矢先、ちょうどいい。離れたところに泉が見えてきた。
こんなところに泉なんてあったか?
真っ先に浮かんだのはそんな疑問。
まあいい、この泉の周りならおじさんからは見えない、ちょっとサボろ……いや、休憩をしよう。
ふらふらとした足取りで泉のそばへ寄る。頭の中が座ることでいっぱいだ。
フサフサとした芝生が足へ当たり気持ちがいい。腰を下ろし、足を伸ばして一息入れると嘘のように疲れが取れる。
身体が軽い。一度腰を下ろすだけでこんなにも変わるか? いや、さっき座った時は気休め程度の回復だった。
まあそんなことはどうでもいい。疲れが取れるならなんだって構わない。
しかし、最初に感じた疑問が脳裏に過る。こんなところに泉なんて存在しないはずだ。
そう考えれば、泉の周りは他に比べて少し異様なことに気づかないわけがない。
春のように暖かい。
気持ちの良い光が差して、それに呼応するように木々は葉をつけたままで、意気揚々と光合成を行っている。その木の枝には小鳥が一列に並んでさえずり、心地の良い歌声を聴かせてくれる。
地面を見渡せば芝生の青々とした色、様々な花の色が合わさり混じって、一つの絵画を見ているように思わせてくる。また、花はそれぞれ違った独特の良い香りを放っている。落ち着く香りを、眠ってしまいそうなほどに。
泉は高々二メートル程度。でも何もないかのように透明で澄んだ水が溜まり、それを覗けばはっきりと水底が見える。心なしか、水が淡い光を放っているようだ。
まるで桃源郷だ。別世界にでもいるような、そんな感じがする。
……まあ何を考えても無駄だ。神様が頑張ってる俺にご褒美をくれたんだと、そう捉えておこう。
しばし泉をぼーっと眺める。
そうしているとなぜだか、ふと懐かしさを覚える。
「私が落としたのは普通の斧です……」
そんな誰もが知っている童話のセリフをつぶやく。
頭の中では、「昔ある男が、泉のそばで木を切っていました。ところが…… 」とシナリオが続いていく。
何度読み直したことか。何のために読んだのか……。
自分が馬鹿らしくなる。
大学に入ったら童話作家になるために勉強するぞ! とか豪語してたっけ。
昔からの憧れだった童話の世界。
子供の頃、童話を読んでいるとどんな時でも心が躍って、弾んで、胸が高鳴った。そして物語に心を惹かれ続けていた。
今でも気持ちは変わらない。
昔、 童話作家になったら? と親に言われた時には全身に電流が走ったような感覚がした。今でもその感覚を忘れられないほどの。
自分が人の心を動かし、感動を与えて楽しませるような作品を作れるかもしれないと思うと嬉しくてならなかった。
その日以来、毎晩のように夜更かしして作品作りに励んだ。親に見つかって何度怒られたことか。シナリオを考え、すぐさま本文を書き出した。当時の俺はプロットなんて知らないし、計画性もない。
それでも作り上げたもの。
それは童話と呼ぶにはあまりに歪だ。
『御伽の国の物語』
自分が夢見ていた童話の世界を体現したもの……のはずだった。そうであったはずなのに。完成したものはあまりに残酷で、残念だ。
子供の頭でよくもあそこまで酷く醜い作品が書けたな。
Bad end 望まれない……いや、あってはならない物語。
そういえばあれ以降書くのやめたんだっけ。大学に行って、真面目に勉強してから書こうって。
今もどこかにしまってあるか? 今度探してみよう。
ちょっといじって happy end にするのも悪くない。
まあ、大学に入ってまだ一つも作品を完成させてないんだ。そっちが先だな。
まだ二年。あと、二年。あの時みたいに毎晩のように机に向かってシナリオ考えてるのにな。
シナリオが思いついたら、プロットを書いてまとめては書き出して、納得いかずに消しては書いて、また消して。
何度繰り返したんだか。
昔みたいにやってみるか? アレ。童話への中途半端で馬鹿げた憧れ。
童話の世界を体験するためにやってたアレを。
例えば、鏡の国のアリスみたいに鏡の中の世界に入ろうとして頭を思いっきりぶつけて泣いて、鏡が割れて、怒られて。
裸の王様のように間抜けな人には見えない服なんだと言って外に出たり。流石に外に出る前に親に見つかって怒られたけど。子供の時は笑い事だけど今やったら完全に犯罪だな。
思わず笑みがこぼれる。他にも色々やってたな。何やってんだか。
とにかく、今やるとしたらもっと穏便に済むやつだ。
そうだな、狼少年みたいに信じてもらえなくなるまで嘘をつくとか。まあ友人がいなくなる前にやめた方がいいだろうな。
結局は何やってもシナリオが思いつくきっかけになるわけでもないし、変な目で見られたくないし。
いや……、今なら目の前にいいものがある。
そう、泉が。
斧が手元にないのは惜しいがリンゴでいい。結局は中途半端で馬鹿げた憧れでしかないもの何だ。寧ろ斧なんかいらない。
一つぐらいなら無くなってもおじさんには気づかれないよな。
最悪バレても腹が減ったから食べた、で通るだろう。
よし——。
そして俺は運んでいたリンゴの中から一つのリンゴを泉へ投げ落とす。
これで神様が現れたらいいのにな。
チャポンッ!
投げ出されたリンゴは手から離れると、綺麗な放物線を描いて泉の中心へと落ちていく。水面へぶつかると高く、心地よい音とともに大きな波紋を作り上げる。
その時、俺は強烈な違和感を覚える。
時間が止まった——。俺を除く全てのものが。唖の如く黙り、動かない。
風にざわめいていた木々が、空を自由に飛び回り、愛らしく鳴いていた鳥たちが、泉に広がっている波紋が、凍りつくように動かない。騒がしかった葉の揺れる音も消え去り、沈黙が流れる。そんな中、自分の鼓動、呼吸の音がはっきりと聞こえる。
身体が動かない。俺も止まってしまったわけではない。それでも俺は固唾を飲んで、茫然とその光景を見守ることしかできない。
それは何か引っかかる。何かが引っかかるからだ。
それはずっと憧れていた何かであって、待ち望んでいたもの。それと同時に、あってはならないものの何かだったはずだ。遠い記憶の中で。
たしか、この時俺は水面を見ていた。
思い出した記憶の通りに泉へ目を見張る。
泉の中心には光が宿っている。その光が次第に広がっていき、泉全体は煌々と照り出す。
俺は呆気にとられる。驚き、声を上げる暇もなく、眩い光によって俺の視界は奪われた。
知っている。この感じ。えっと、次は——ッ!
突如泉から放たれた真っ白の光の中、身体は何処からか吹き荒れる暴風により吹き飛ばされる。
抵抗の余地なんてない。身体が後ろへ転がりまわり、背中から木の幹へとぶつかる。全身に衝撃が走り、背中には痛みがじわじわと広がっていき、思わず唸りを上げる。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。光と風のあとは——
「逃げないとッ」
吠える、そして自然と身体が動く。すべてわかっているかのように。瞬間、
「痛ッ」
ゴンッ! と鈍い音が響く。目が見えていなくても自分が後ろに倒れたことはわかる。
慌てて手をつくが擦り剥けて火傷のように急激に熱を持つ。同時に頭には強烈な痛みが走り、額からは温かいものが滴り頬をつたう。
これは血か? 苦痛とともにドクドクと、切れた血管から嫌な感覚がする。でもそんなことはどうでもいい。止血なんかいらない。
ぶつかったのは木か? なら避けて少しずつでもいい。とにかく逃げないと。
血の流れる頭を片手で押さえ、歩を進めようとする。
しかし行先は、一歩踏み出せば木にぶつかる。避けて進もうとしてもまたぶつかる。何度避けても、何度進んでも。まるで檻にでも閉じ込められているように。
——ッ!
逃げようと必死に動かした足の先に地面がない。元いた場所にも。
寸秒遅れて落ちる感覚。とめどなく。
何かに捕まろうと必死にもがく。しかし、さっきまであったはずの木はない。
忽然となくなった。すべてのものが。
俺の手足はただ、空を切るばかり。やがて諦めて動かなくなり、深く、深くと、ただひたすらに身体は落ちていく。
「ああ、そうか……」
ようやくわかった、記憶の正体。でも、この後は——。
声に出す暇もなく、俺の意識は途絶えた。
俺が落としたもの 兎丸。 @lorenz
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