最終話

 ケリーは、全身に鳥肌が立つのを感じた。嫌な寒気が、体を包んだ。


「戦争が終わる、ほんのひと月前だった。この町の近海で、私が率いていた船団は、とある船団と戦いになった」


 ケリーは、大きく唾を飲み込んだ。


 もう、口の中からソースの味は消えていた。


「とても強い船団だった。数はこちらの半分もないのに、船を自在に操って翻弄してきた。なんとかしのいでいたが、一隻の船が、私のいた本船にまで攻めてきた。私も、仲間と共に戦った。とても手ごわかったが、なんとか勝つことができた」


 ケリーは、これ以上聞きたくなかった。


 なのに、体が縛られたように動かなかった。


「そう、勝ったと思ったときだった。雄々しい雄叫びと共に、その首飾りの音が聞こえたのは。振り向いたときには、大振りの剣を振りかぶった血だらけの男の姿があった。私が最後に見た光景だよ。次の瞬間には私は両目を失っていた。そして私は、最後に男がいた場所へ向けて、銃を撃った。甲板に、男が倒れる音が聞こえた。私は、生き残った仲間に手を貸してもらいながら、その男に話しかけた」


 大佐は大きく息を吸った。


「『まだ生きているか? 私の光を奪ったお前に敬意を払い、最期の言葉を聞いてやる』私は、そう言ったんだ。すると、男は潮風の中に消えそうな声でこう言った。『息子に、この首飾りを。息子は、俺の光だ』と。私は彼の言った通り、遺品として首飾りを男の故郷へ届くようにした。そして、統治を命令されたこの町で、首飾りを持つきみに出会った」


 大佐はゆっくりと歩き、ケリーのとなりに立った。


「もう、分かるだろう。あのとき、私が戦ったのはこの町の者たち。そして、私の目を奪い、私が命を奪ったあの男は、きみのお父さんだ」


 ケリーは涙が溢れ、震えが止まらなかった。


 大佐はひざまずくと、おもむろにケリーの手をとって、言葉を続けた。


「許してくれとは言わない。私が悪くないはずもない。だが、選考会できみに会い、あの音を聞いたとき、私の中でなにかが動いたのだ。ケリーくん、これだけは言わせてほしい。私は、きみに幸せになってほしいと思っている。私は光を失った。だが、お父さんの光であるきみを、私は守りたいのだ」


 大佐の声が、遠くに聞こえた。

 まるで水の中のように、大佐の声はあやふやで、不確かだった。


 でも、ケリーの耳にははっきりと聞こえる声があった。


 自分の声のようで、まったく別の人にも思えた。


 誰で、どこから聞こえているのか分からない声が、同じことを繰り返していた。


「こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した! こいつが殺した!」



 ……チリン



 一瞬、目の前が真っ暗になった。


 消えそうな首飾りの音で、ケリーは我に返った。

 なんだか手に奇妙な感覚があって、目の前には、大佐の体があった。

 手を見ると、布を解かれた銛が力いっぱい握られ、大佐のお腹に深く刺さっていた。赤い血がシャツに広がり、銛にも伝わり始めていた。


「あ……あ……」


 全身がガタガタと震えた。


「ひっ!」


 震えるケリーの腕を、大佐が掴んだ。

 息を飲むケリーをよそに、大佐は固まったケリーの指を、ゆっくりと銛からはがした。


 手が離れると、ケリーは飛びのいた。

 大佐は、そのままよろけて、本棚にもたれかかるように倒れた。


「た……たいさ……ぼ……ぼく」

「行きなさい、今なら、昼の、片づけで、人は、少ない、はずだ」


 大佐は、息を切らして言った。

 銛は、返しまで刺さり簡単には抜けなくなっていた。


「もし、フリッツに見られても、そのまま、行きなさい、はやく、行くんだ、ケリー!」


 ケリーは、弾かれたように部屋を飛び出した。


「どうした、ケリーくん。なにか」


 階段の下にいたフリッツさんを無視して、ケリーは夢中で玄関の扉を開けた。

 後ろで、フリッツさんが階段を駆け上がる音がしても振り返らず、走り出した。


 選考会のとき、ジャックたちとパンを食べた木の下を抜けて、ケリーは丘を下った。


 誰にも会いたくなかった。見つかりたくなかった。


 靴が脱げて、勢いよく転んでしまった。

 ケリーは、足に残った片方も投げ捨てた。


「うぅ……」


 ケリーは裸足のまま、ふらふらと歩き出した。


 大好きなはずの町の景色でさえ、目に映るだけで、なにも感じられなかった。頭の中に霧がかかったように、なにも考えるのとができなかった。


「おぉ、きみは朗読員の」


 広場まで下る坂の途中で、小太りの男が歩いて来た。

 大きなかばんを下げたこの男は、町の郵便屋さんだった。


「いやぁ、いいところにいた! 実は大佐に手紙が来てるんだが、届けてはくれないか? わしにはこの坂はきつくてな。よろしく頼むよ」


 郵便屋さんはケリーの返答を待たず、勝手に手紙を握らせると、嬉しそうに来た道を戻っていった。


 ケリーは虚ろなまま、握らされた手紙に目をやった。


 いつか見たことがある、大佐宛ての手紙だった。娘のアリスからの。


 ケリーは短く息をのみ、震えながら封を破って、手紙を取り出した。

 そして、そよ風の中に消えそうな声で、朗読した。


「『愛するお父さんへ

 こちらは、毎日大変だけど、にぎやかで幸せな日々を送っています。子どもが生まれて、初めて親の苦労が分かりました。お父さんとお母さんには心から感謝しています。ありがとう。

 でも、手紙じゃなくて直接言いたいから、何度も言うように、一度は帰ってきてほしいわ。なんなら、わたしたちがそっちへ行こうかしら。お父さんの返事が届くころには、マイクと本当に相談してるかもしれないからね。

 お父さんが名付け親になってくれた、うちのケリーはとても元気です。お父さんが教えてくれた、そちらにいる朗読員のケリーくんみたいに、優しくて賢い男の子に育ってほしいと、願っています。

それじゃあ、体に気をつけて

                               アリスより』」


 ケリーは泣いた。


 膝からくずれて、手紙を握りしめたまま、赤ん坊のように泣き叫んだ。


 喉が切れるように痛んで、血の味がしても泣き続けた。


 泣き続けて泣き続けて、やがてトニーが見つけたとき、ケリーの声は枯れていた。

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ケリーの声 末野ユウ @matsuno-yu

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