第46話

 目が覚めると、ケリーはボーっとしたまま支度を始めた。


 なぜか、いつもより頭がすっきりしなかった。


 ベッドの下には、お母さんが揃えてくれた靴が待っていた。

 でも、昨日痛めたところがまだうずくので、履くのは後回しにすることにした。

 朝食を食べて着替えを済ませると、ケリーは木箱を取り出した。


 昨日までなら、首飾りをかければ出発していた。

 なのに、今日はそうしなかった。


 ケリーは、布に巻かれた銛を見つめて、固まってしまった。

 まだ起きていない頭では、なにも考えられなかった。


 布を解くと、黒く光る切っ先が、再会を喜んでいるようだった。


 ケリーは唾を飲み込むと、おもむろに銛をポケットにしまった。

 銛は、ポケットの中に違和感なく納まった。


 玄関に向かう前に、ケリーは靴をそっと履いて家を出た。

 ちょうど、灯台守のラッパが聞こえた。いつもより遅くなってしまったことに気づいたケリーは、足早に屋敷へと向かった。


 ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ ジャッ


 靴が地面を踏み締めて、まだ聞き慣れない足音を鳴らした。


 昨日痛めたかかとの上を遠慮なく刺激されて、ケリーは顔をしかめながら坂を上り、広場を抜け、丘の上にある大佐の屋敷へたどり着いた。


「おぉ、ケリーくん。今日はいつもより遅かったな。なにかあったのかね?」


 玄関の前に立っていたフリッツさんが、懐中時計をしまいながら言った。


「ごめんなさい。ちょっと、靴に慣れなくて」

「ほぉ、もうできたのかね。うむ、なかなか似合っているじゃないか。では、急ぎたまえ、大佐を」

「お待たせしてはいけないでしょ? わかってますよ」


 ケリーは、フリッツさんの言葉を先読みして応えた。

 フリッツさんと話していると、やっと頭が起きて、自然に笑うことができた。


「おはようございます! すみません、おそくなりました」


 ケリーは、部屋に着くとすぐさま頭を下げた。


「ん? ケリーくんか。おはよう、足音が違ったから、誰かと思ったよ。なるほど、頼んでいた靴ができたんだね。遅くなったのは、まだ履き慣れていないからかな? 靴ずれを起こしてしまっているようだね。歩き方が、なんだかぎこちないよ」


 大佐は、朝日に照らされながらいつも通りに笑った。


 大佐を前にしてもケリーの心は落ち着いていたし、銛はポケットの中に行儀よく納まっていた。

 ケリーは、ほっと息を吐いた。昨日から悩んでいた答えが、やっと出た気がした。


自分はもう、大佐を恨んではいないんだ。


この人を殺さなくていいんだ。


「どうした? ケリーくん」

「い、いえ。細かいことまで、よくわかりましたね」

「ふふふ、今の私にはこれしか取り柄がないからな。さぁ、今日の仕事を始めようか」

「はい!」


 元気な返事と共に、ケリーは新聞を広げて、朗読を始めた。



 この日の昼食は、牛肉のステーキだった。ローラさんが、ケリーが靴を買ったお祝いだと言って、豪華にしてくれたのだ。


「こんなこと、してくれなくていいのに」

「なに言ってるんだい。ぼっちゃんは、いつも裸足だったじゃないか。あたしは、見る度に痛々しくてかわいそうに思ってたんだよ。それがこんなに立派な靴を履いて。あたしは嬉しくてね」

「ははは、まぁ、ケリーくん。せっかくの好意だ、受け取りたまえ。大げさかもしれないが、ローラの気持ちなんだ」

「ローラさんは、これくらいしか楽しみがないのよ」

「おや、誰だい。今、余計なこと言ったメイドは」


 食堂は笑いが絶えず、とても楽しい昼食になった。


 ステーキも、トロトロした黒いソースがかかって、肉は中が赤く残る焼き方で、噛むと肉汁とうま味がじゅわっと口に広がった。

 とても美味しくて、ケリーは幸せな気持ちになった。


 ローラさんは、ケリーの様子を嬉しそうに眺めて、メイドのお姉さんはローラさんを面白そうに見つめて、大佐はそんな空気を感じて楽しそうに笑った。

 

「いや、楽しかったな。今日の昼食は特に」

「そうですね」


 部屋に戻っても、ケリーの顔はほころんだままだった。

 口の中にまだソースの味が残っていて、舌が自然と動いてしまった。


「きみも、だいぶ屋敷の者たちと仲良くなったな。兵の中にも、友人がいるのだろう?」

「はい! 大親友です!」


 トニーのふざけた顔を思い浮かべながら、ケリーは笑顔で応えた。


「うむ、いいことだ。そうか、私がこの町に来てもうすぐ四年、きみが朗読員になってから四カ月か」


 大佐はしみじみと呟いた。


「はやいですね」

 

 チリン


 ケリーが本を取ろうとしたとき、首飾りが小さく音を鳴らした。


「その音……」


 かすかな音に反応して、大佐が口を開いた。


「ケリーくん。きみに話しておかねばならないことがある」


 急に、大佐の声から明るさが消えた。


 真剣な面持ちになった大佐は、首をかしげるケリーに、静かに話し始めた。


「私は、その首飾りの音を知っているのだ。きみに出会う前から、私は知っていた」

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