少女
@yura_aine2
第1話
少女は弱い。
少なくとも自分の本心をまるごと飲み込んでしまうくらいには。
ねぇ、ときーちゃんが声をかけてくる。ざわざわと教室は喧騒に包まれているけれど、彼女の可愛らしい高めの声はそんな中でもよく通る。私は読んでいた本を閉じて、何? と笑顔を彼女に向けた。
「このイヤリング昨日彼に買ってもらったの。可愛くない?」
「本当だ、すっごい可愛い! ってかさりげなく素敵な彼氏自慢? このリア充め」
笑いながら卑屈にならないように、あくまでも冗談だということをアピールしながら返事を返す。これが彼女の言葉に返す最適解。その証拠にほら、きーちゃんは満面の笑みで
「違うよ~、そんなんじゃないって」
と言う。
本当はイヤリングもさして可愛いとは思えないし、彼氏自慢もいい加減飽きたから少し黙ったらいいのに、とは思うけれど口には出さない。いや、出せない。みんなきーちゃんに多少の苛立ちを感じてはいる。それでも、それ以上に表面上の関係を崩すことを私たちは嫌うから直接は絶対に言わない。
イライラするなら彼女がいないときに愚痴を言い合えばいい。彼女に直接イライラを伝えてどうなる? 彼女は打たれ弱いから学校に来れなくなるかもしれない。原因を知った学校側から、ありがたい教育論を聞かされるのが落ちだ。
それに、彼女が不登校にならなかったとしても私たちの仲は崩壊してしまうだろう。せっかく高校に入ってからの2年間で築き上げてきた友情という名の脆い結束が崩れてしまうのは、あまりよろしくない。という訳で彼女に直接イライラをぶつけるメリットはどこにもないわけだ。
と、カッコつけたこと考えてる私だって結局ぼっちになるのが怖いだけ。そう、1人は怖い。この学校という集団社会で生きていくのには仲間が、たとえそれが見かけだけだとしても必要なんだ。
「なあなあ聞いたか?通り魔の話し」
隣の席の男子が話しかけられて思考が霧散した。
「そんなのみんな知ってるでしょ。今さらどうしたの?」
「いや、なんか新しい被害者が学校の近くで見つかったらしいぜ」
「うっそだあ」
私がバカにしたように返すと彼は本当だよ、先輩が見たって言ってたんだよ! と怒ったように捲し立てた。正直、圧がすごい。
そこへ、みかちゃんが近づいてくる。綺麗に編み込まれた三つ編みが大人っぽい顔に似合ってて、今日も美人だなと脊髄反射のように思う。
「どうしたの?」
「ほら、例の通り魔の被害者が学校の近くで見つかったんだって」
私がそう返すと彼女は大げさに身を縮めた。
「やだ、こっわ。私最近帰り遅いからすごい心配……」
「そっか、塾行ってんだっけ?」
「うん、親が行けってうるさくってぇ」
男子が言葉を返した瞬間みかちゃんは私の方なんて見なくなる。語尾が先程よりも伸びていることに隣の男子は気が付いているのだろうか。
「中川に守ってもらえばいいじゃん、ね?」
と隣の席の中川とみかちゃんに言うと2人の表情筋が弛んだ。誰が見ても絶対に分かるって言い切れるくらい。
「ちょっと、どうしてそんなこと言うの?中川になんて守ってもらいたくありませんー」
「は?俺だってこいつみたいな騒がしいやつ守りたくねーし」
とか言いつつにやけまくりですよお2人さん。この感じだと私がキューピッド役をやらなければいけないのだろうな、と思いつつみかちゃんに声をかけた。
「みかちゃんは通り魔のこと何か知らないの?」
「全然!今聞いたばっかりだよ。あれ、あいちゃんも今知ったの?」
「そうそう、何にも知らなくって。えー、すごい気になる。誰か知らないかな?」
「珍しい。情報通のあいちゃんが何も知らないだなんて。あ、そういえば2組の笹原さんが通り魔のこと来るときに話してたような気がするけど……」
「ありがとね、みかちゃん。ちょっと聞いてくる!」
私はそう言って教室を出た。今は昼休み、まだ時間は大丈夫。私は1組だから3組の教室まで2組を挟んでほんの10秒。上履きが床に擦れて立てた音に顔をしかめる。ほんの少しだけ乱れた髪を手櫛で整えてから、昼休みで人が疎らな教室を見渡した。特徴のある明るい茶髪を見つけて、背中から勢いよく抱きついた。
「さーさーはーらー」
「あれ、渡どうしたの?」
「笹原が通り魔のこと知ってるって聞いたから情報を求めて会いに来たの」
何か知らない? と言うと笹原はすごく驚いた顔をして固まった。
「何で知ってるの?」
「私の情報収集能力なめんなよ、このくらいお茶の子サイサイですー」
「うわ怖い、悪いけど教えないよ」
「えー?」
私が不満そうな声をあげると笹原は顔をひきつらせる。
「言っていいことと悪いことが世の中にはあ、る、の!」
「そっか……」
「そうなの!」
「じゃあ、後でいつもの場所集合ね? 通り魔のこと何か知ってそうな人連れてきてちょうだい」
そう返した私に笹原は、話しを聞いてたの?! と怒ったように言う。聞いてるに決まってるのに。
「ねえ、笹原ーお願いだよー」
「……はあ。しょうがないなあ、わかったよ」
「本当に?! ありがとう!」
私は笹原に手を合わせて感謝を伝えた。
昼休みが終わり、教室へ帰ろうと廊下を歩いていると前方から走ってきた誰かと肩がぶつかり転びそうになる。
「ご、ごめんなさい!」
大丈夫、と返そうとした言葉を飲み込んだ。
真っ赤に充血した目には今にもこぼれ落ちそうなほど涙が溜まっている。泣くのを必死に堪えているのか、噛み締めた唇は今にも切れそうだ。どう考えたって大丈夫じゃないのはこの子のほうに決まってる。
「富野さん、どうしたの?」
2組の富野さん、生徒会が一緒なのと彼女も読書好きなのでクラスは違うけれど本を貸し借りするくらいに仲はいい。
私は彼女に、そっと声をかけた。どうして彼女がこんな状態になっているかなんて嫌でも想像がつくけど。
「ちょっと、勝手にどっか行かないでよ。びっくりしたじゃない」
すると、そこへ神永がやってきた。神永 深雪、私の一番嫌いな人間。やっぱりこいつだったのかと思うと呆れと苛立ちで、彼女の顔面を殴りたくなってくる。パンチなんて可愛いものじゃなくて全力で殴り続けたい。 私は不快感を必死に顔に出さないようにしながら神永に声をかけた。
「神永、もう止めなよ」
「何を?私あんたに何か迷惑かけた?」
「そうじゃなくて、いつまで女王様気取ってるつもりなの?いい加減にしなよ」
私の返答に神永は眉を吊り上げた。反論しようとしたのか口を開いたが、我慢するように閉じて挑発するように私を見て笑った。
「私が女王様なんじゃなくて、こいつが」
彼女の言葉はそこで途切れた。廊下の向こうからやって来る人物を見て小さく舌打ちをする。私も後ろを振り返り、その人物が誰かを確認して先程よりもさらに大きなため息をついた。最悪だ、一番めんどくさい人間が来てしまった。本当に今日はついてない。
「神永さんに、渡さん、それと富野さん何かあった?」
そう優しく聞いてくるのは1組の担任、つまり私の担任の粟津先生。フルネームだと粟津 玲子 あわず れいこ。私たちは彼女のことを、教師にしては露出度高めの服装と若い男の先生と話すときだけ態度が変わることを理由に「アバズレ」と呼んでいる。まあ、それだけなら只の男好き教師で終わっていただろうけど、彼女が煙たがれる理由は他にもある。
「みなさん、喧嘩なんてしてはだめよ。何か辛いことがあるなら先生に言ってね。先生は絶対にあなたたちの味方になるから」
そう、囁くように言う彼女に私は心の中で毒づく。
誰が言うと思ってるの、言うわけないでしょ。アバズレは男にだけ声かけとけば良いのよ。
私はこの女のこういう善意の押し付けが死ぬほど嫌いで、他の生徒もそれは同じ。だから、アバズレは私たちから人気がないのだ。
同性に対して厳しいのはいつの時代も変わらないと思う。
それにしても神永には本当にムカつく。頭が悪くて、いじめるしか能がない人間。何も考えていないから、さっきみたいにすぐに教師に見つかってしまう。彼女に何かあったら連帯責任で私たちまで怒られるのに、隠そうともしない。ああ、本当に腹が立つ。
もっと、もっと上手くやればいいのに。
そして、6時間目が終わり放課後がやってきた。今日は部活もないからすぐに帰れる。学校を出た私は家に帰らずに、そのまま学校からは少し離れた空き地に向かった。空き地とは言っても周りは木だったり、塀だったりでびっくりするほど外からは見にくい場所。それが私たちのいつもの溜まり場。
「ヤッホー、誰かいる?ってみんな早いね、私が1番最後じゃん」
すでに集まっていた仲間たちに声をかけると面白いくらいに全員の肩が跳ねた。
こちらを伺うような視線、静寂に不安を感じるのかヒソヒソと交わされる会話。ああ、腹が立つ今日は何だかイライラしてばっかりだ。
「単刀直入に聞くよ、誰がやったの?」
小さく息を飲む音、そして場は静まり返った。予想通りにも程があってため息をつく。
目当ての人物を見つけて声をかけた。
「笹原、教えてくれるんじゃなかったの?」
そう言うと彼女は少し怯えたようにこちらを見たが、それも一瞬のことで嫌悪感を露にして吐き捨てるように言った。
「こんな公開処刑みたいなことするなんて聞いてない。あんた最近おかしいよ、度が過ぎてる」
「ねえ、私の質問には答えてくれないの?」
「そんなこと話したくないよ!」
「答えてよ」
「だから」
「答えて?」
微笑みながらそういうと笹原はヒッとひきつるように息を吸った。
「こ、答えるから」
「誰?誰がやったの?」
笹原は何も言わずに1人の少女を指さした。
「あれ、富野さんじゃん」
指をさされた彼女は可哀想なほど震えている。
「へえ、意外だな。てっきりあなたはいじめられる側の人間かと思っていたけど」
窮鼠が猫を噛んだのかな、と私は小さく呟いた。
「皆もう帰っていいよ」
そう言うと空気が一気に緩む。彼女たちが抱いた感情は安堵か、はたまた捕まってしまった鼠への同情なのか。
「富野さん、少し私とお話ししない?」
袋の中の鼠は頬を一筋の涙で濡らした。
「刑事さん、こちらです」
人の良さそうな校長に連れられて校舎へと足を踏み入れる。
「彼女と仲の良かった生徒たちには、すでに声をかけて別室で待機させています。1人1人から話を聞くということでよろしいですか?」
「はい、ご協力感謝いたします」
私がそういうと付いてきた部下が「ありがとうございます」と付け足すように言った。
生徒指導室に案内されてスチール製の椅子に腰かけて、一人目の生徒を待つ。
「しかし世も末ですね」
「どうして?」
「優等生の中学生女子が痴情のもつれで交際相手の大学生を刺し殺して、本人は罪悪感に耐えきれず自殺。恐ろしいったらありゃしないですよ。しかも通り魔の仕業に見せかけてたなんて」
ぶるりと隣に座る彼が身を震わせる。あの一件を通り魔の仕業だと確信していた彼にはショックが強かったのだろう。
「まあ、確かに恐ろしいけど。優等生だと周りが思っていても本人はそう思っていなかったかもしれないわよ」
そう返したところで一人目の生徒がやってきた。
「失礼します」
入ってきたのは肩で切りそろえた艶やかな黒髪を持つ少女。整った顔も今は暗く沈んでいる。
「渡 あい さんね、富野 一美さんについてお話しを聞かせてくれるかしら?」
「はい」
彼女はこちらをまっすぐに見ながら、しっかりと返事を返した。
強い子だ、と思う。警察を相手にしてここまではっきり答えられる人間は少ない。ましてや、まだ高校生の子どもだ。年齢離れした態度に捜査中にも関わらず思わず感心してしまう。
「富野さんとはどういう関係だったのかな?」
「生徒会が一緒で、お互いに読書が好きなのでよく本を貸し借りしていました」
「何か彼女の行動で不思議なところはなかった?」
「不思議なところ……ですか」
初めて彼女が私から目を逸らした。下へと視線を向けて考え込んでいる。静寂が部屋を包み何か他の話題にしようかと思った瞬間、彼女がぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。
「クラスが違ってあまり会う機会がなかったので、不思議な行動とかは見たことがないですけど……」
そこで彼女が躊躇うように口をつぐんで視線をさまよわせた。
「どうしたの?」
「いえ、彼女の行動というよりかは周りの行動なんですけど……その……」
「安心して、ここで聞いたことは他の人には漏らしません。言う場合にはあなたに許可をとります」
そう言うと彼女は少し迷った風に口を開いて閉じた。そして小さく息を吸って一言。
「彼女、いじめられてたんです」
「それは、誰に?」
「……二組の神永さんです。私、知ってたのに、何回も神永さんに止めなよって言ったのに止めれなくて」
彼女が声を震わせた。瞳が潤んで見えるのは気のせいではないだろう。
「富野さんは人を殺すような人じゃないです。優しくて、頭が良くて、でも虐められて頼れるのが彼氏さんしかいなかったら」
泣いているときのようなひきつった呼吸をして、彼女は言葉を続けた。
「その彼氏さんにも頼れなくなったから、富野さんは辛くて殺しちゃったのかなって」
とうとう堪えきれなくなったように彼女は涙をこぼした。
「富野さんが自殺した日に私、彼女と話したんです。どうして気が付かなかったんだろう、もっと本の話したかったのに……!」
「渡さん、もういいわ。辛いのに話してくれてありがとう。ご協力感謝いたします」
「いえ、大丈夫です……」
目を腫らして鼻を赤くした彼女が弱々しく返答した。
「失礼しました」
律儀にそう言って彼女が部屋を出ていくと、部下が息を大きく吐いた。
「いじめですか……」
眉をよせて渋い表情をしているが、それは私もだろう。
「厄介ね……」
いじめは証拠が残っていない場合が圧倒的に多い。そのため個人の証言に頼るしかなくなるが、私情が混ざることで真実がはっきりしないのだ。
「それでも全員から話を聞くしかないわよ」
「そうですね」
気合いを入れるために目を瞑って一度、深呼吸をした。
「失礼しました」
そう言って部屋を出た私は、廊下の角で待っていた教師に話が終了したことを伝え下駄箱へ向かう。
あの刑事たちには悪いが、どれだけ調査しても彼女が殺人の罪の重さに耐えかねて自殺、という結果にしか至らないだろう。
誰に話を聞いても結果は同じに違いない。
私としては神永を痛い目に合わせるチャンスが出来て万々歳ってところだ。
きっかけは本当にくだらないことだったと思う。いつも通りに駄弁っていたときに誰かが言ったのを、皆が拾ってしまっただけ。
「自分にセクハラしてくる塾の講師を殺してやりたい」
と言う言葉を。
殺すつもりはなかった。殺す、ということがどれだけ重い罪なのかを私たちは知っていたから。だから、痛い目にあわせようとした。
彼のアリバイがないときに彼のお気に入りの生徒に怪我をさせる。もちろん、私たちに疑いが向かわないように上手く工作した。
「でも、死んじゃったんだよねえ」
それなのに捕まらなかった。その事実は私たちの心の枷をはずすには充分だった。
「通り魔の犯人……ね」
先ほど部屋に入る前少しだけ聞こえた刑事たちの会話を思い返す。
「犯人なら、これから話を聞く生徒のほとんど全員だよ。しかも首謀者はドアを挟んですぐそこにいたのに」
クスリと唇の端を持ち上げて笑う。
「残念だけど、あの人たちに私たちは捕まえられないかな」
秘密を守るには、その事実を知っている人間全員を共犯者にしてしまえば済むこと。誰だって殺人犯にはなりたくない。
「富野さんも調子にのって、勝手に殺しちゃったからいけないんだよ。罪悪感が無くなりすぎるのも考えものだね。また誰かやらかすかも」
静まり返った下駄箱で靴を脱ぎ変える。
「でも、まあしょうがないかな」
そして一言小さく呟いた。
「だって、私たちは少女だから」
少女は強い。
少なくとも自分の本心をまるごと飲み込んでしまうくらいには。
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