出発
春先になりフォルカベッロを出るにあたって、画廊へ挨拶をしに行った。カーマイン、トープ、ラセットも一緒だ。ガガエは怖がってついて来てくれなかった。
あれから絵を買い取ってもらう為に何度か足を運んでいるけれど、そう言えばトープを連れて来たのは初めてだ。
「エルメレムって、あのエルメレム?アトリエも時々原料仕入れる時に世話になっていた?」
「あら、やっぱり職人さんの方がくわしいのね。ノアちゃんに言ってもピンとこない顔をしていてねぇ」
頬に手を当てたジーナに困った子を見るような目で見られてしまった。そんなことを言われても知らなかった物は仕方がない。
トープやラセットは特にジーナに抵抗は無いようだ。ジーナもちょっかい出すようなことはしない。被害を受けたカーマインは遠巻きに見ている。やっぱり顔か。
「結構大きな商会なのに知らなかったのか?」
「うん。ほら、私ってば買い物もあまりしなかったから」
「せっかく縁が出来たんだから大事にしろ。何も用がなくてもどこかの街に着いたら商会に顔出すようにしろよ」
トープがお兄ちゃんしている。でも買い取ってもらいたい絵が手元にないのにお邪魔するのは失礼ではないのかな。こちらとしても居心地悪いだろうし。
取り敢えず「うん」と返事をすると、適当なのを見透かしたのかトープは眉間にしわを寄せた。私の横に立って一緒に頭を下げさせられる。
「すいません、支店には俺が引っ張ってでも連れて行くんでよろしくお願いします」
「トープ、私もう大人」
「黙れ。間に挟む商人とは言え、絵を買い取ってもらうお客様なんだぞ」
トープに言われて、自分の認識がちょっとずれているように感じた。例えるなら小説家や漫画家と編集者の様な関係。読者がお客さんだけど、編集者は仕事仲間みたいなもの。お世話になるのは変わりないけれど、もう少し近い立ち位置と言うか気安く物が言える関係かと思っていた。
「ごめんなさい。ジーナさんは多少トラブルになっても味方になってくれる人だと思ってました」
「うーん、間違いではないんだけれどねぇ。トープ君の言う通り、旅をするなら小まめに顔を出してくれた方がこちらも安心するの」
「はい、お世話になります」
この後はカゼルトリに向かう予定であることなどを話しておく。契約内容なども確認したのは念の為であって、トープやラセットが勝手に依頼を受けないように知っておいた方が良いからだと思う。決して私が頼りないせいではない…はず。
そろそろ出発しようかと皆を見回すと、カーマインは画廊に展示してある絵の前で硬直していた。芸術にあまり興味のないカーマインが見入るなんて珍しいと思いながら隣に立つ。見ていたのは私がモデルの絵だった。
「これ、もしかしてノアがモデルなのか?」
「ああ、うん。アトリエのメイズさん……ニールグ家の人が描いたんだよ」
「流石カーマイン様、お目が高い。けどね、今のところは看板娘になってもらってるから売るつもりは無いのよ、ゴメンなさい」
カーマインの反対側にジーナが立った。看板娘って……笑う所か微妙だ。
「買った金額の倍は出す。いくらだ」
「オークションで二千万だったから四千万になるけど」
ちょ……一桁多いよ、ジーナ。もうそれだけで売る気が無いのが良く分かる。蘇芳将軍から頂いたお金をつぎ込めば買えないこともないけれど、流石にそんな使い方では申し訳ない。
なのに、カーマインは微塵も気にせず頷こうとした。
「良し、買っ―――」
「ちょーっと待った!旦那、もう貴族じゃないんですよ。旅してるんで無駄遣いはできないんですよ、分かってます?」
忠臣ラセットが止める。ついで庶民派代表のトープも援護した。
「討伐の依頼を受けるにしてもそんなに収入は無いし、ノアの絵だってそんなに高く売れないだろう」
「そうですよそうですよ。今はまだ余裕がありますけれどその内カツカツになるかもしれないんですから」
「馬車屋敷を売れば何とかならないか?」
尚も食い下がるカーマイン。……って、それは私も困る。普通の馬車に変えられたら荷物も大幅に減らさないとならないし、何より絵を落ち着いて描く場所が無くなってしまう。
私はもう一度、メイズさんの絵を見た。この絵に再会できたのは嬉しいけれど、ここでお別れだ。
少しばかりわざとらしく、大きな声で独り言をつぶやいた。
「カーマインが買いたくなるのも分かるなぁ」
「ノア、やっぱり俺の味方になってくれるんだ」
嬉しそうなカーマイン。でも……
「実物より美人だものね?」
そう言ってにっこりほほ笑んでみると、カーマインの顔はぴしりと固まり、次第に驚愕の表情に歪んで行った。
他の人を描くのはともかく、自分をここまで美しく描くのは無理。模写をして勉強するにしても、自分が題材の物を選ぶほど私はナルシストではない。
「ち、違うんだノア。これは―――」
「私は老化していくけれど、この子は永遠の美少女だものね。カーマインが買うなら私、居づらくなるかもしれないな」
おそらく壁に飾るだろうから、時々眺めるアルバムとは違う。子供の頃の写真なら良いけれど、この絵は成長した後だ。
カーマインが手元に置くのなら、そこにどんな意図があれ耐え切れなくなって出て行かざるを得ないのは、容易に想像できる。
熱がしっかりと冷めたらしいカーマインはジーナに頭を下げた。
「すみません、やっぱり買うの止めます」
「あら、そぉう?残念ね」
そう言いながらもジーナはくすくすと笑っている。トープとラセットは何故か青ざめていた。
「もうすぐ春だってのに猛吹雪が見えた気が」
「……お見事。姐さんって呼んでもいいですかい?」
「絶対にイヤ」
変なの。普通に笑っただけなのに。
画廊から戻り暫くすると、パーシモンさんと鬱金が見送りに来た。壁の外、馬車屋敷を止めている場所に、である。周囲に護衛の類は見えず、どうやら一人と一匹で来たようだ。イーオスすらいない。
「できればお城に招待してもう少しお話ししたかったんだけど、ごめんなさい」
「いえ、それよりここに居て大丈夫なんですか?」
私たちが出発すると言う情報はイーオス経由でジーナから聞いたらしい。
実は一声かけようか迷っていたんだよね。城の入り口でイーオスを呼び出せばパーシモンさんに会えるとかもしれないけれど、国王だし。
「ええ、時々鬱金を連れてこちらへ来ているのよ。屋台で買い食いなんかもしているの」
「危なくないのですか?」
「全然。平民出身の王様なのに平民の気持ちが分からなくなったらおしまいだもの。鬱金がいるから大丈夫」
そう言ってパーシモンさんは笑った。顔を使い分けるのが上手な人だ。
「絵を買う事は出来ないけれど、もしもイーリック国内で困ったことがあったら教えて頂戴。出来る限り手助けするわ」
「有難うございます」
「それからこれ」
渡された袋を覗き込むと、橙色をした小さな石が四つほど入っていた。
「これは……もしかして」
「イーオスが迷惑かけたみたいだからそのお詫びね。あの子ったら誘っても仕事が忙しいとかで来なかったの。鬱金が食べる実の中に時々種みたいに混じっていて、吐き出すんだけど……あ、綺麗に洗ってあるからね」
時じくは神話級の植物なのに、その中にある橙の精霊石がこんなに容易く手に入っていいのだろうか。何だか、意図せずして集まってきているような気もする。けれど、せっかくの好意なので突き返すわけにも行かない。
「はい、有り難うございます。パーシモンさん…様もお元気で。イーオスによろしくお伝えください」
イーリックの国王、平民上がりだけど気さくで親しみやすい。政治なんて全く分からないけれど、パーシモンさんの代はきっと安泰だろう。
馬車に乗り込み人目を気にしなくていいようになると、私は袋の中身を手のひらの上に取り出した。
「何を貰ったんだ?」
「時じくの実の中に時々入っているんだって」
トープとカーマインが両側から一緒に覗き込む。石の中にはチカチカと光が、自分の存在を主張するかのように瞬いていた。
「精霊石じゃないか!しかも四つ?」
「人魚の涙と同じようなものだな。親方に報告……出来ないか。時じくは秘密だもんな」
すっかり天然の精霊石に馴染んでいる私とトープ。一方で元貴族なのに慌てふためくカーマインは天然の精霊石にあまり慣れていないのだろうか。
「ちょっと待って。とんでも無く価値があるって知らないのか?」
「親方によると、人魚の涙は二つ合わせて三十億だったか?高すぎてあんまりぴんと来ないな」
答えたトープに私も賛同する。カーマインは感覚の違いにとうとう頭を抱え始めてしまった。
「カーマイン。この橙色の精霊石は、私たちとパーシモンさんや鬱金との縁によるものだよ。それを金額に換算するのは間違いだと思う。価値は人によって違うんだから」
イーオスに言った様な事をカーマインにも解く。けれどこの石は売ることなんて出来ない、とても大切な物。
スクワル達が持っていたアクセサリも歴代の国王の誰かから下賜された物なのかも、なんて思いながらフォルカベッロを後にした。
異世界で絵を描こう よしや @7891011
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