国喰い魔女
櫂梨 鈴音
国喰い魔女
今よりずっとずっと昔のこと。
魔女と呼ばれるモノがいました。
魔女は大食らいで、何もかも食べてしまいます。
最初に村が食べられました。
次に街が食べられました。
そして国が食べられました。
魔女を倒すためにある国の英雄が立ち向かい、食べられました。
魔女を倒すためにいくつもの国の英雄達が立ち向かい、食べられました。
戦士も魔法使いも勇者も、みんなみんな食べられました。
王様も民も大人も子どもも、誰も彼もが食べられました。
魔女の食べた後には何も残らず、ただ砂漠が広がります。
そうしていくつもの国を平らげた魔女は、永い眠りに付きました。
国があった砂漠の真ん中、今も魔女はそこにいます。
◆
「師匠、師匠」
「なんだい少年」
太陽が中天に差し掛かる頃、少年が魔女に話しかけた。
「お腹が空きませんか?」
「空いてないよ」
「……お腹が空きませんか?」
「空いてないってば」
「そうですよね、もうお昼ですからお腹が空くのも当然です」
「話を聞きなよ」
魔女は一つため息を吐くと、手元の編み物を中断して少年に向き合った。
少年はそれを見ると満足そうに破顔し、意気揚々と声をあげる。
「そんな師匠に朗報です。遂に僕の作品が完成しました!」
「……少年、確か一〇日程前にも同じ報告を聞いたはずだよ」
「そうですね、でも大丈夫です。今回のこれは自信作です」
「それもこの前聞いたなぁ……」
「じゃじゃーん。すごい草君、一八号です!」
「少年、これは断じて草じゃない。だってのたうち回っているもの」
魔女の目の前に出されたのは、植物とは名ばかりのうねり狂う怪物だった。
食虫植物に見えなくもないが、動きが植物の範疇を飛び越えている。うにょうにょぐねぐねと右に左に大暴れだ。
……植物?
「ちゃんと植物ですよ。でも砂漠でここまで元気に暴れさせるのには苦労しました」
「暴れるって表現を植物に使うのはおかし……うわっ! こいつ今キシャーって言ったぞ!? 君は一体何を生み出したんだ!」
「いえ、昨日地面を掘っていたら見つけた骨を肥料にしてみただけなんですけど」
「お馬鹿! こんな所にある骨がまともな動物の物なわけないだろう! 大方昔の魔獣、それも強力なやつの骨だ! 世間一般じゃ呪いのアイテムにされるようなやつだよ!!」
「あー、それでドス黒い煙が出ていたわけですね」
「おい呑気なことを言ってるんじゃあない! こいつツタを伸ばして来てるぞ!」
「おおー、本当であばばばばばばばばばばばばばばばば!?!?!?」
「しょ、少年ー!!」
砂漠の真ん中に二人の悲鳴がこだました。
◆
「助かりました。ありがとうございます、師匠」
「君はもうちょっと考えてから行動したまえよ……」
魔女の手で助け出された少年は、化物植物の残骸の前で心なしか肩を落としている。
「む、心外ですね。考えてますよ。おもしろくなりそうだなって」
「それを考えなしと言っているのだけれど」
「そうですか」
「はあ……まあいいや。今ので本当にお腹が空いてしまったし、食事にしようか」
「食べる予定だった物はそこで砂になってますけど」
「君はアレを食べる気だったのかい???」
魔女は愕然とした表情で少年を見る。
さっきの植物は切り刻まれてバラバラにされたにも関わらず、未だにピクピクと蠢いていた。後で遠くに捨ててこよう。
「はい、そのための作品ですし」
「だとしてもアレはないよ」
「そうですか」
「やっぱりアレだね。君は常識と倫理観を学んだ方がいいね」
「ここで学ぶのは無理だと思います」
「知っているよ……なあ、やっぱり君、街で暮らした方がいいんじゃないのかい?」
「嫌です」
「即答かい」
「それに、ここから出て行くのは無理ですよ。師匠じゃあるまいし」
「そうだね 」
「そして師匠も出て行けないんですよね。違う理由で」
「そうだねぇ……」
ため息を吐く。いつからこんなに可愛げがなくなってしまったんだろう。嘘、やっぱり可愛い。少年大好き。
にへ、と心の中で愛を再認識している魔女には気付かず、少年は話を続ける。
「じゃあやっぱり無理ですよ。二人でおもしろおかしく暮らしましょうよ」
「おもしろおかしいかはともかく、結局それしかないのかな」
「というかですね、師匠。いい加減魔法を教えてくださいよ。そしたら一人でどこにでも行けますから」
「駄目だって、何回も言ったはずだけれど」
「何でですかー」
「一、魔法は危ない。二、私が教えたくない。 これも何回も言ったことだね」
「二が厄介ですよね。師匠は頑固ですから」
「君に言われたくはないよ。何回断っても頼み込んで来るじゃないか」
「だって使ってみたいんですよ、魔法。師匠みたいに」
「……少年。師匠って呼び方はいい加減やめないか」
「師匠を師匠って呼んじゃ駄目なんですか?」
「私は何も教えてないからね。師匠じゃないよ」
「いえ、師匠ですよ。僕にとっては」
「昔みたいにお姉ちゃんって呼んでくれないかい?」
「師匠、僕にも恥ずかしいという感情はあります」
「ここには誰もいないのに?」
「ここには誰もいなくても、 です」
「そうかい」
「そうですよ」
「わかったよ……食事を作る。水を汲んで来てくれ」
「わかりました」
◆
「戻りました」
玄関から少年が帰還する。
手に持った木桶には透明な水が注がれキラキラと光を反射していた。
「ご苦労様。天気はどうだい?」
「晴れてますけど、西の方に雲が見えたので一雨来るかもしれませんね」
「そうか。屋根に結構砂が溜まってたから掃除する手間が省けるかもね」
「あれ? この前掃除しませんでしたか?」
「したけれど、君の作品で家の周りの砂が巻き上がったじゃないか。井戸を掘り起こすのにどれだけ苦労したか忘れたのかい」
「あー、水やり四号くんの時の。大変でしたね」
「軽いノリで済ませようとするんじゃないよ。 このだだっ広い砂漠であの井戸が埋まったら、君は干からびて死んじゃうよ」
実際、魔女は結構必死に掘り返したのだ。
とはいえ、命の危機に瀕した当人があまり気にしていないので、それが一番の問題だが。
「水瓶にいっぱい水は汲んでありますし、砂漠と言っても全然熱くないから当分は平気ですよ」
「駄目だよ。私みたいな『魔女』はともかく、君は人間なんだからもっと体に気を遣いなさい」
「はーい……ごめんなさい」
少し罰が悪そうに頭を下げる少年に、魔女は優しく微笑んでその頭を撫でた。
「よろしい。さ、おいで。もうできてるよ」
「わ、今日はなんだか豪勢ですね」
「そうかな? そうかもね。いい具合に魔法が成功してね。お肉もいつもより多めだよ。君は育ち盛りなんだからたくさん食べないと」
「……いつも思うんですけど、このお肉って何のお肉なんですか?」
「魔法で作ったお肉だよ」
「そういうことじゃなく」
「魔法で作ったお肉は魔法で作ったお肉さ。それ以上でも以下でもない」
「でも、こっちの野菜は師匠が普通に育てた物ですよね」
「そうだね。ここで育てるのは大変だ」
「で、こっちのお肉は師匠が作った物」
「うん、我ながら上出来」
「……何のお肉なんですか?」
「知りたい?」
「…………いえ、遠慮しておきます」
「そうしてくれたまえ。じゃあいただくとしようか」
「はい。いただきます」
「いただきます」
「……うん、おいしいです。何のお肉かわかりませんけど、おいしいので大丈夫です」
「少年のそういうところ、私は好きだぜ」
「僕も師匠が大好きですよ。相思相愛ってやつですね」
「……全然恥ずかしがらないじゃないか」
「さっきの話とこれは別ですよ」
からかうつもりが逆に頬を赤く染め、半目で少年を睨む魔女に少年は笑いかけた。
◆
「師匠、師匠」
「……ん、なんだい少年」
「もう暗くなりましたよ」
「うん……? ああ本当だ。ずいぶん長く考え事をしてたみたいだね」
昼間中断していた編み物は、結局あれから進んでいなかった。
腰掛けていた椅子から立ち上がり背伸びをすると、関節がコキコキと小気味よい音を立てる。
「考え事ですか」
「うん、君のことを考えてた」
「おや、愛の告白ですか師匠。師匠と弟子の甘い恋というわけですね。式はいつ挙げましょうか」
「うん、違うね。全部違う」
「それは残念です」
「昼間も言ったけれどね……君、街に行く気はないかい?」
昼間とは打って変わった真面目な表情に、少年も身を硬くした。
「……突然ですね」
「そうでもない。君も随分大きくなったし、そろそろこういう話をするべき思っていた。ご覧の通り、私には魔法以外に取り柄がない。そして君に魔法は教えられない。これから君が生きて行く中で、必要な物を私はあげられないんだよ」
「ここに居ればそんな物は必要ないと思うんですが。家事さえできれば困りませんし、師匠が魔法を教えてくれれば食べ物だって作れます」
「おいおい、君はこんな砂漠のど真ん中で一生を終えるつもりかい? それに魔法は教えないんじゃない。教えられないんだ」
「でも……」
「君は実験が好きだろう? 生憎私はああいうことには疎いが、都会ならそれこそ色々なことをやってるはずだよ。昔、魔法を使わずに空を飛ぼうとしてた人達を見たことがある」
「それは……楽しそうですね」
少年は微笑んで肯定してみせる。
魔女はその反応を見て話を続けた。
「だろう? だったら行ってみないかい? なあに、砂漠越えとは言っても街の近くに送るくらいのことなら私にもできる。心配することは──」
「でも、ここにいたいです」
だけど、どこか固い笑みではっきりと、少年は否定の言葉を口にした。
それを聞いた魔女は、悲しいようにも、微笑んでいるようにも見える、複雑な表情で少年の頭を撫でた。
「……そっか」
「はい」
「ならいいんだ。余計なお世話だったね」
「そんなことないです。嬉しかったですよ」
「そう言ってもらえると嬉しいな。じゃあ食事にしてから寝ようか」
「はい。明日こそはとびっきりの作品を作りあげますよ。師匠」
「あはは。期待して待ってるよ、少年」
◆
砂漠を囲むいくつかの国の中の一つに、貴族に生まれた少年がいた。
どこからどう見てもただの子どもであった彼は、幼少期はごく普通に育てられていた。
しかし、ある時異変が起こったのだ。
彼の周りにある植物が、何故か異様な成長を見せた。
ただの花が屋根に届く程高く伸び上がることや、庭の植木が周囲の彫像を呑み込む勢いで膨れ上がる事態が頻繁した。
最初は偶然起きたかに思われたその事件も、少年の周りでばかりで起きるため徐々に周りから気味悪がられ始める。
そして彼が七歳の時、前日までただの木だったモノが彼が触れた途端に巨大化し、屋敷中を覆い尽くすという事件が起きた。
影響は木だけでなく様々な植物まで波及し、草花が部屋から部屋を埋め尽くし、街中からでも見える程高くそびえ立った樹木は民衆をパニックに陥れた。
やがて植物の暴走は止まったが、彼が原因と判断されたことと、忌むべき魔女のような超常の現象に向けられる目は負の感情に満ちたものばかりで。
結果、 彼は呪われた子として処分されることとなった。
両親さえも謎の力を厭い、彼は両手足を折られ砂漠に放逐される、所謂追放刑を執行される。
砂漠への追放刑とは、大昔にいくつもの国を喰い尽くし数多の生物を滅ぼした『国喰い魔女』が棲む砂漠、その砂漠の縁、人間がギリギリまで立ち入れる場所へと連れられ置き去りにされる、実質上の死刑。
基本的に呪術師など、死刑することすら危険な魔法を使う者に対し執行される刑罰だ。
なぜなら砂漠では魔女の呪いにより、ありとあらゆる魔法が使えなくなるからである。
呪いは魔法封じだけに留まらず、丸一日もあれば大抵の生物は死に至る。しかも万が一魔女に見つかればどうなるか……滅ぼされた国の伝承を考えれば、決して想像したくない。
砂漠の縁から魔機鎧によって半日近くかけてたどり着く追放地からでは、少年が生き残る可能性はゼロ……のはずだった。
何故か少年は生き残った。
最初の一日で死ぬはずが、 食料のない砂漠で一週間に渡り、雨水だけを頼りに生き延びた。
砂漠、という割には気候が穏やかで自分の故郷と変わらなかったということもあるが、それにしたって謎の状況だった。
そうして予想外に寿命が延びた少年ではあったが、 所詮は子どもの身体であり、ついに限界を迎えると、飢餓と骨折による発熱から意識を失う。
幼い思考ながらも自分は死ぬものだと思い、 全てを諦めていた。
次に目を開けると、なぜか魔女を名乗る女性に介抱されていた。
おとぎ話上の存在であるが、今尚砂漠に君臨し世界から畏怖される『国喰い魔女』、世界中で赤子にすら読み聞かせられる恐怖の体現者が目の前にいる。
見た目は成人するかしないかの女性といったところで、それだけならなんとも思わなかったかもしれない。
しかし、見た目とは裏腹に纏う雰囲気が異質にすぎる。
夜闇を溶かし煮詰めたかのような、暗く黒く、奥底を見通せない冷たい空気。
今目の前にいるのに、ずっと遠くにいるようにも見える、脳を犯す違和感とスケールの違いからくる恐怖。
咄嗟に逃げ出そうとするも、疲弊しきった身体は動かず僅かに呻き声を発することしかできない。
そうして、自分はこの世の何より惨い殺され方をするのだろうと怯えていたが、そうはならなかった。
そのまま為し崩しに始まったのは、魔女と少年の奇妙な生活。
しかも彼女は身に纏う雰囲気やおとぎ話の人物像とはまるで違い、優しく少年を看病するのだ。
身体の回復は遅く、全快まで二年近くの時を要した。その中で魔女はずっと献身的に少年を支え続けた。
その生活の中で、彼はすっかり魔女に対する警戒を解いてしまった。
それも仕方のないことで、魔女は優しく、まだ幼い少年に対して対等に接し、彼のことを第一に考えて行動する。
かつての家族からすら向けられなかった感情は、幼子の心を溶かすには十分すぎたのだ。
もはや少年にとっては魔女の呪いもかつてのおとぎ話もどうでもいいもので、彼女だけが信頼できるものになっていく。
それに、そもそも罪人として追放されている身だ。砂漠の中、一人きりでのたれ死ぬより、優しい彼女に喰われた方がずっと嬉しかった。
だが彼女は少年を喰わない。それどころか毎日甲斐甲斐しく世話をする。
本当にかの『国喰い魔女』なのかと聞くと「そうだよ」と悪い顔で肯定もしたが、食べるのは少年と同じ普通の食べ物。 ……魔法を使って作ったらしいが見た目は普通だ。
聡明で優しい彼女は、とても魔女には見えなかった。
彼女は一度だけ、何故少年が砂漠にいたのかを聞いたことがある。
その問いに正直に答えると、魔女は少年の身体を抱きしめ、ポロポロと大粒の涙を流しながら「ごめんなさい」と謝り続けた。
何故そんな反応をするのかはわからなかったが、誰かからそんな風に抱きしめられたことはなく、溢れる感情に流され少年も大声で泣いた。
それから八年、二人は砂漠で暮らし続けている。
二人だけの暮らしであるが、穏やかな日々を過ごしている。
不思議なことに、死の呪いに満ちた砂漠であるはずが、少年の身体には影響がなかった。
かつての植物を暴走させる呪いは発現していないが、だからと言って何かが変わったような感覚もない。
だが、彼女は心配することはないと優しく微笑んでくれた。それだけで大丈夫だと思えた。
最初は魔女をそのまま魔女と呼び、心を開いてからはお姉ちゃんと呼んでいた彼だが、今では師匠と呼んでいる。
ある時、姉と呼ばれる彼女の顔が嬉しそうではあるけれど、どこか悲しそうであることに気付いたからだ。
それに彼女は今も昔も弟子などいないと言っていた。師匠という呼び方は、自分が彼女の唯一になれた気がして嬉しかったのだ。
故郷に帰れないが故の依存かもしれないけど、少年はそれでも魔女が好きだった。
少年はもうじき一五歳になる。
今の少年の目標はこの砂漠で花を咲かせることだった。
いつだったか、彼女が花が好きだと言ったのだ。
だがこの砂漠には短い下草が僅かに生えるばかりで、花など見つけようがない。
罪人だから、 砂漠から出て花を持ち帰る術もない。だから自分で育てようと思った。
彼女に魔法を使ってもらうのが一番いいのかもしれないけど、どうしても自分で育てて彼女に渡したい。
その時のことを夢見て、少年は今も砂漠で魔女と暮らしながら、夢を叶える研究を続けている。
彼女と二人で、穏やかに。
◇
ある国の小さな農村に少女がいた。
ごく普通の家庭に生まれた少女は、両親と一人の妹と共に穏やかな日々を送っていた。
しかし、少女が成人し大人になるはずだった年に異変が起こる。
村の花壇が、通りに生えた野草が枯れていた。
まるで命を吸われているかのように枯れていた。
最初は小さな草花だけが枯れるのみだったその現象は、しかし徐々に拡大していく。
村の木が枯れ始めた。
虫や鼠が死んでいた。
それでも、少女を含め、村の誰も事態の深刻さに気付いていなかった。
冬を迎えようとする時期だったこともある。 冬は魔物だ。弱い者から命を奪っていく恐ろしいものだ。
今年の冬は更に恐ろしいかもしれない。早く備えなければならないと、村の誰もがそう考えた。
だから、もっと恐ろしいモノに気付くことができなかった。
最初に異変が起きたのは少女の妹だった。
体調を崩すというよりは、力が入らないという方が近い。意識はあるのに身体が動かない状態とでもいうのだろうか。
見るからに動くことがつらそうで、妹想いの彼女は付きっきりで世話をした。
明日にでも医者に見せてみようという話になり、その日は妹の横で眠りについた。
夜が明けると、妹は寝台の上で冷たくなっていた。
ピクリとも動かない妹を見て、彼女はしばし呆然とする。
働かない頭をなんとか回そうとし、泣くことすらできず半ば現実逃避から両親の元へと向かう。
隣の寝室で、父も母も事切れていた。
外傷はない。暴れたような後もない。ただ眠ったままの姿勢で、命だけが失われていた。
ふらふらと、家の外へ出る。
死んでいた。
草花も、鳥も家畜も、人も、全てが平等に死んでいた。
歩いた。
隣の家のお爺さんが、寝台の上で眠りにつくように死んでいた。
歩いた。
仲の良かった友人が、道の真ん中で霜に包まれ死んでいた。
歩いた。生まれたばかりの赤子が、母親の死体に抱かれて死んでいた。
みんな、 みんな死んでいた。
ふらふらと歩いた。
何も考えられなかった。
そんな時、ふと呼び声に気付く。
村の端、木こりのおじさんの家から声が聞こえた。
少女は反射的に駆け出す。まだ生きている人がいる。
家にたどり着くと、木こりが床に倒れ込み、今にも消えそうな声で助けを求めていた。
助けようと手を伸ばす。
木こりの手を取ると、木こりは死んだ。
呆気なかった。
一瞬だった。
死体を見て、少女なぜかは冷静になる。
何故みんなが死ぬ中で自分は生きている。
何故みんなは死んでいる。
何故自分の一番側にいた妹に最初の影響が出た。
何故自分が触った瞬間木こりは死んだ。
──昨日まで少女だったモノは、魔女は、みんなの命を食べていた。
それからすぐ、彼女の村を中心に周辺の木々が枯れて行った。
小動物から大きな獣まで、様々な生き物が息絶えた。
異変は隣村まで広がった。村人が何人も倒れた。
異常はその先の街まで広がった。住民は生き苦しさに喘いだ。
死という獣がその地に根付く命全てに牙を剥こうとしていた。
街まで広がった異常は国中に噂として駆け巡り、生き残り達が発した報せは国の中心部に届く。
問題の解決のため調査隊が村に向かい……呆気なく壊滅した。
生き残った最後の一人はなんとか帰還し、こう報告したという。
「原因と思われる村に近付く程、植物が枯れ死体が多く見受けられた」
「調査隊も少しずつ息苦しさを感じ始めた頃、 その村にたどり着く」
「村には、一人の少女がいた」
「少女は呆然と、村中に立ち並ぶ、墓のような物の前で膝を抱え座り込んでいた」
「生物が息絶え、異様に静かな村の中にいる少女は不気味だったが、調査のためにと警戒しつつ仲間が声をかけた」
「その声に反応した少女は、自分達に対し近寄るなと叫んだ」
「そのままどこかへ走ろうとしたため、最初に声をかけた者が止まるように呼びかけながら彼女へと走り寄り」
「死んだ」
「彼女の側に立った途端くず折れる様に倒れて死んだ」
「まるで命を喰われたかのようだった」
「そこからはあっという間だった」
「全員が武器を取って女を取り押さえようとして、近付いただけで触れることすらできずに死んだ」
「それを見て逃げた私だけが助かった」
「あれは人じゃない」
「『魔女』だ」
そう伝えた調査兵は、力を使い果たしたように息耐えた。
その身体からには、つい先ほどまで生命が宿っていたとは思えない冷たさが纏わりついていたという。
この報告を受け、国は即座に対応を取った。
騎士団が派遣された。
喰われた。
報復か、街が消えた。
討伐軍が編成された。
喰われた。
報復か、都市が消えた。
国の英雄が立ち向かった。
喰われた。
報復か、国が消えた。
大陸中の英雄が手を取り合い戦いに赴いた。
喰われた。
報復か、更に多くの国が喰われた。
禁じ手と言われた古の呪いが解き放たれた。
喰われた。
ついに消えるものすらなくなっていた。
魔女の牙から逃げ延びた人々は、喰い荒らされ砂漠となった地から離れ、新しい国を作った。
そして未だ砂漠にいる魔女を『国喰い魔女』と呼び、決して砂漠に近付くことはなくなったという。
それから時が流れ、かつて少女だった魔女は砂漠の中で生きていた。
いや、もはや生きているとは言えないのかもしれない。
自分が村の人達を食べたのだと気付いたあの時、衝動的に自分の喉をナイフで突いた。
一瞬の後、目の前に自分の死体が転がっていた。
喉笛からどくどくと命を垂れ流し、絶命した自分が転がっていた。
自分と全く同じ存在の死体。絶対にあり得ないモノ。
彼女は狂乱し首を吊り池に沈み頭を打ち付け死を繰り返したが、その度死を肩替わりするように新しい『自分』が増えるだけだった。
いや、どちらが新しいモノだったのだろう。様々な死因で散らばる『自分』が自分なのか、今意識を保っている自分がそうなのか、もはや少女にはわからなかった。
何度か死を繰り返す中で、自分の中に何か、白い糸の様なものが吸い込まれていくのが見えるようになった。
その糸は動物や植物から伸びている。更に死を繰り返すと、その糸の源に靄の塊が見えてきた。
それは物によって大きさも色もバラバラで、ひどく曖昧な形をしている。
ずっと後、魔女に戦いを挑んだ魔法使いがこれを魔力と呼ぶのを聞いた。
魔力は村の外の木々や動物達から伸び、彼女の身体に吸い込まれて行った。
これが理由でみんなが死んだのだと気付き、振り払おうとしたが触れることすらできなかった。
後はおとぎ話の通りだ。
世界が魔女に襲いかかった。
当然だ。こんな、存在するだけで全てを滅ぼす化物が生きていていいはずがない。
だが少女は……魔女は死ねなかった。
死にながらも死ねなかった。
ほとんどの者は魔女に触れることすらできなかったが、剣で身を切り裂いた者が何人かいた。
それでも魔女は死ねなかったし、目を開けるともう一人の自分と英雄は死んでいた。
そうして戦いを挑まれる度、なぜか魔女が喰う魔力の量は増えていった。
そうして今、魔女は一人で砂漠にいる。
目につく限りの全てを喰い尽くしてしまったからだ。
時々餓死することはあるが、それ以外は何が起きることもない凪のような日々。
魔力の靄は今も自分の中に吸い込まれているが、周囲の魔力が喰い尽くされた後の砂海だからか、昔に比べるとずっと少ない。
だが、時々変化もある。
一筋の魔力がずっと遠くから伸びてくることがあるのだ。
そんな時はその糸をたどり歩いて行く。糸は毎回途中で消えてしまうが、勘に任せて歩くとそのうち罪人のよいな格好をした死体にたどり着く。
頻度は高くないがそういうことがあるので、もしかしたらここは死刑の地にでもなっているのかもしれない。
それを見つけては、かつての妹や村の人達にしたように埋葬することだけが、今の彼女が取る行動だった。
そんな日々の中、また糸の様な魔力を見つけて歩き出した。
だがいつもと違ったのは、その糸が消えなかったことだ。
いつもなら一日と経たず消えてしまう糸は、三日経っても消えなかった。
それに気付いた時、魔女は走り出していた。
寝食を忘れて全力走り、時折体力の限界を迎えて死んでは、その場に死体遺してはまた走った。
糸が見えてから7日経ち……魔女がたどり着いた場所には少年がいた。
少年は意識を失っていたが、生きていた。魔女がすぐ側に近付いているのにまだ命を保っている。
数百年ぶりに見る生きた人間。感情の奔流が頭の中を灼き尽くし、ただ胸を突く衝動のままに涙が零れ出た。
ただ、少年はひどく危険な状態だった。
見る限り、両手足の骨が折れている。ろくに物も食べていない、いつ飢え死にしてもおかしくはなかった。
何より危険なのが魔力。魔女の身体に伸びる糸は、既に細く、目で見ることも難しい程になっている。
魔力は生命力そのもの、糸が見えなくなった時、それは少年が死ぬ時だ。
だから魔女は決断した。
微塵も躊躇することなく、自らの喉を石片で貫く。
あの日と同じく、しかし衝動ではなく決意を持って。
少年はあの後、一月もの間目を覚まさず高熱に魘され続けていた。
砂漠に点在する、古い時代の建造物にまだ使える物があり助かった。そうでなければ間違いなく彼は死んでいただろうから。
目覚めた直後の少年は明らかにこちらを警戒していたが、心配になる程早く魔女を信頼してしまった。
無理もないことだとは思う、まだ一〇歳にも満たない少年が砂漠に一人放り出されたのだ。助けた相手が魔女だったとはいえ、他に頼れる相手もいない。
少年が回復してから気付いたが、彼の魔力の大きさは異常だった。
魔力の靄は一般人なら赤子の握り拳程度、過去に見た英雄達ですら自分の身体を包む程度だったのに、彼のそれは優にこの建物を超える大きさである。
魔女が近付いてもすぐには死ななかった理由がこれだ。
量が多過ぎて一気に喰い尽くされることがない。これだけ近くにいても全て吸い尽くすのに数日はかかるだろう。
それ程の力を持っているのに、何故こんな場所にいたのか気になった。
普通ならば国が抱え込み、何がなんでも魔術師として育て上げようとするだろう。それほどの人材だ。
そして理由を聞き、衝撃を受けた。
彼は才能を見出されていない。どころか魔力に関する知識を何も持っていないのだ。
植物の異常成長、それは魔女とは全く逆の性質。身から溢れ出た魔力が植物に流れ込んでいることが原因。
仮に正しい教育を受けていたのなら、かつての英雄達以上、最強と呼ばれる魔法使いになっていただろう才能の塊。
だが、そんなわかりやすい現象が起きているのに彼は評価されていない。呪いなどと言われ罪人扱いだ。
自分がそこにいたならと、ありえない妄想をしてしまう。
それがただ悲しくて、少年を抱きしめて魔女は泣いた。
◇
そして今、魔女と少年は共に暮らしている。
最近の彼は何故か自分を師匠と呼び、魔法を教えて欲しいと言ってくるが、それはできないので断っている。
砂漠での暮らしは案外不自由なく、かつて少年を介抱した建物を二人の家にした、自給自足の生活だ。
魔女が一人なら食べ物の心配をする必要がなかったが、少年はそうもいかない。
水は使える井戸から汲み上げられるし、少年が回復してからは彼の魔力の影響を受け、ここにも僅かばかりの植物が生えるようになったので、使えるものを使っている。
皮肉なものだが、魔女の呪いの影響で野生動物や野盗の心配もない。
ただ、そのせいで肉ばかりはどうしようもないので魔法でなんとかしている状態だ。
いつもと同じ日常を過ごした魔女は自室に戻る。
扉を閉めると、こわばっていた肩から力が抜け、思わず扉にもたれかかった。
あの話を少年にすることは、魔女の精神に多大な負荷を与えていた。
少年には色々なことを知って欲しいと思う。街に出て、人と出会い、ありきたりで幸せな人生を過ごして欲しい。
だが彼は魔力を制御できない、そして魔女も魔法が使えず魔力の制御方法など教えようがない。
今は魔女が余剰魔力を喰べているので発現していないが、仮に今街へ出たとしても、その途端昔の事件を繰り返すことになるだろう。
そうなっては今度こそ殺されてしまうだろうから、本当は先ほどの話は夢物語なのだ。
──いや、それは言い訳だ。他に少年が普通に暮らせる様になる方法があるかもしれないが、魔女はそれを考えたくなかった。
フラフラと室内を歩き、寝床を通りすぎて少年には隠している地下への扉に手をかける。
そのまま地下へと降りて、いつものように刃物を手に取った。
明日の朝食は何にしよう。少年は何でも美味しいと言って食べてくれるが、どうせなら喜んでもらいたい。
幸せだな、と微笑みながら。
『国喰い魔女』と呼ばれる女は今日も首を掻き切った。
この砂漠には生物がいない。
この砂漠では魔力が常に喰われてしまう。
少年も手を施さなければいつか喰われて死ぬ。
国喰い魔女である彼女の身には、吸い込まれた大量の魔力が詰まっている。
つまりはそういうことだった。
砂漠の真ん中、 まばらに残った建物の一つ。
『国喰い魔女』と少年は今日も二人で暮らしている。
これまでも、 これからも。
何も知らずに、 幸せに。
国喰い魔女 櫂梨 鈴音 @siva_kake_mawaru
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