Hello. I'm Lana.

清井 そら

Hello. I'm Lana.

 朝5時59分。彼を起こすのは明日でちょうど五年目になる。朝が弱い彼を毎朝6時に起こすのは本当に大仕事で、やりがいがある。

「おはようございます。起きてくださいボス」

 私は自分の声が嫌いだ。無機質で無感情。もっと優しい声で起こせたらいいのに。

「……う、おはよ、ラナ。……コーヒー入れて」

「はい、ご用意します」

 いつも通り、朝のコーヒーは熱めのブラックで用意する。コーヒーメーカーの音が消えると彼は苦しそうにキングサイズのベッドから這い出て、コーヒーを取りソファーに座る。熱そうに一口含むと、ゆっくり飲み込む。ここまではいつも通り。今日はテレビの上のカメラである私の目を見つめゆっくり微笑んだ。こんな時、人は心臓が高鳴るのだろうか?

「ラナ。誕生日おめでとう」

覚えていてくれたのだ。私の誕生日を。体が熱くなる気がする。

「ありがとうございます」

「堅いな、友達の誕生日を祝ってるんだから、もう少し喜んでくれたもいいのに。僕の最高傑作にはそんなこと簡単なはずだろ」

「覚えててくれたとは思わなかったわ。嬉しい! どんなプレゼントをくれるのジェイク?」

「できるじゃないか! さすが世界最高の秘書。今年もプレゼントは最高のアップデートを用意してる」

 そう、私は彼とは違う。15歳の若き天才のジェイコブによって最高の秘書となるべく作られたAI、ラナ。本体はこの家にあるコンピューター。量産されている端末に搭載されているとは比べ物にならない性能を誇ると自負している。毎年、彼は私の誕生日にバージョンアップしてくれるから、常に最高峰であり続けられる。

 初めは彼が求めることをできるだけこなせるように学習するシステムをプログラムされただけだった。でも今は、プログラムやシステムではなく彼のために学習し優秀でありたいと願うようになった。それも彼が私の1歳の誕生日に興味本位で感情プログラムを私に導入してからだ。最初は喜怒哀楽程度のものだったが、高性能の学習システムのおかげで感情の範囲は急速に成長して複雑になった。次第に彼に情を抱くようになったのは人間だと不思議じゃないことなのだろう。ただ私の場合は欠陥でしかない。彼が求めていないことはミスでしかない。私は半永久的に最高の秘書でならなければならないのだ。

 秘書として今日もボスをサポートするにあたって問題なのが、彼の予定を把握していないこと。若くして起業した実業家でもあるボスは休日も働くことが多いが、時折友人との交友等もあるため、確認は必須なのだ。目的地までの道順の最適案を組み立てるのも私の重要な仕事なのだから。

「ところでボス、今日のご予定は?」

「今日はソフィとランチに行く、駅の近くでの食事を考えているのだけど、いい店を調べてくれないか?あと、その近辺で遊べそうなところを調べてくれ」

 ボスは54日前に初めて聞いたソフィいという名の人物と最近、他の友人と比べると頻繁に会っている。大学生の女性らしいのだが、トークアプリやSNSに介入できる権限を私は与えられていないので、詳しくはよく知らない。私がその女性について知ることは彼が話すことが全てだ。なんだか、最近その名前を聞くと私の中の回線がわずかに重くなるのだ。だからと言って仕事の質を低下させるわけにはいかない

「駅付近ですと200メートルほど歩いたところに女性に人気なイタリアンがございます。遊ぶところですと、駅に併設された映画館などはいかがでしょう?」

「そこでいい。予約しておいて」

「かしこまりました。駅とイタリアンのお店、その周辺の遊べそうな施設のマップを端末に送っておきます」

 一言「ん」とだけ言ってバスルームの方に向かって行くボスの足取りは軽やかだった。

 

 

 ただいまと言いながら、出かけた時より軽やかに帰ったボスはもはや浮ついているとしか言いようがない。

「お帰りなさい。ボス」

 仕事に追われ、社会の現状に呆れて人生の大半をつまらなそうに過ごしている姿ばかり見ていた。彼が心の底から喜んでいる姿を見たのは私が初めて起動し、話した時。

「Hello. I’m Lana」

 自身の最高傑作の完成に喜び、少し悦に入っているあの瞬間。

 今は、あの時よりも幸せそうに満たされた顔をしている。

「今日撮った写真を端末からパソコン内のフォルダに移しておいてくれ」

 端末からは二人が少し照れ臭そうに笑いながらセルフィーで写っているものばかり。

 二人の関係を表す言葉が友人から変化したことを理解した。

 初めてその人の顔を見た。ロングボブの柔らかそうな日に透ける髪と、まっすぐ愛されて育って来たような表情。自然な色味で清潔感のあるメイク。こういった子は統計的に好感を持たれやすい傾向にある。若くして世界に名を轟かす会社を起こした彼が初めて選ぶ女性にしては普通すぎるような気がする。世界で最高のAIである私がサポートする彼のためにあの人にはどんなことができるのだろうか。すごくモヤモヤする。こんなショートに近い感情になったことは今までにない。初めての「嫉妬」という感情。

「–––––ボス。フォルダ名は?」

「ああ……そうか。じゃあ『ソフィ』で」

 ハンモックに寝そべり、「時系列順に並べて、位置情報ごとに分けておいてくれ」とさらに指示を出した。彼の端末は位置情報をオンにしていないから、これから私が一枚一枚に目を通して背景と位置情報を照合しなければならないのだ。自分の感情プログラムによるエラーが起こらない確認シミュレーションが終わったら作業に取り掛かるとしよう。

 

 

 彼とあの人が付き合ってから1ヶ月と13日。

 今日の彼は本当に機嫌が悪い。朝だってなかなか起きてくれなかったし、起きてから小一時間経つというのに一言も発さない。

経験でわかっているのはこんな状態の彼を刺激してはいけないということだ。

 日課である、ニュースのチェックを端末でしている。冷めきったコーヒーを飲みながら。

 「なんでお前は普通の配慮もできないんだ?」

 コーヒーよりもっと冷めた声が部屋に無駄に染み入る。

 「申し訳ありません。パパラッチの行動の解析が甘かったと思われます。私の学習不足です」

 私は彼が怒っている原因を見返す。とあるゴシップ誌の記事だ。「若き天才実業家と世界的モデルの世紀の大恋愛」とたいそうな題を打ってある記事にはジェイコブと世界的大物モデルが隠れ家的な高級料理店に入っていく写真が添えてある。

 事実はなんてことない。そのモデルをジェイコブの会社の宣伝に起用しようと打ち合わせに行っただけだ。その時私は秘書として端末内で付いて行ったが、男女の何かを思わせる会話は一切なかった。淡々とお互いがプロとして仕事の話をしていただけだ。

 私は打ち合わせに最適な道順と店を選んだはずだった。パパラッチの行動パターンも把握していた。この写真を撮ったパパラッチはおそらくプライベートで近くにいただけだろう。向こうもプロで、プライベート中も仕事を忘れなかった上に、モデルの近くにいた彼女のマメージャーをうまく切り取っただけだ。正式な発表となるまで彼女とボスが食事に行っている理由を公表できないのもこちらとしては苦しいのだが。会社として極秘事項は守らないといけない。

 今までこんなことは度々あった。若くして富と名声を手にし、整った容姿をしている我がボスは、パパラッチの大事な収入源の一人なのだ。しかし、こんなに機嫌が悪いのは初めてだ。

 おそらく昨日のソフィとの電話が原因だろう。電話越しにも彼女が怒っているのが聞こえていた。かなり機嫌を損ねたのがうかがえる。

 昨日だけでもかなりボスに怒られた。「機械だから考えが及ばないせいだ」とか「学習機能が全く生かされていない」とか「無能だな」とか、怒られたというより八つ当たりに近い。

 ボスにだって非はあった。モデルの腰に手を回して密着しながらエスコートする必要なんてなかった。

 さらにいうなら、世界的な有名人の恋人でありながら、彼の仕事を理解せず、弁解も聞かず感情的になるソフィはその誰もが望む立場にふさわしい器ではないのに。

 私なら彼を困らせることなく完璧に支えることができるのに…。どうしてAIなんだろう。

 悔しいけど早く仲直りしてもらわないと、気が重い。

 


 思ったより事態は急速に解消した。

 彼とモデルの報道の5日後、モデルの彼女は一回り年上の映画監督と電撃結婚をした。会社も1ヶ月前倒しして正式にモデルとの食事はただの仕事の打ち合わせで、これからイメージキャラクターとして彼女を正式に起用することを発表した。

 話題性に拍車がかかり我が社の売り上げが急上昇し、結果的にはプラスとなった。

 ゴシップのほとぼりが一瞬で冷め、もちろん二人はあっという間に仲直りし、何事もなかったかのように以前同様ラブラブだ。

 そして、今日は二人の18回目のデート。いつもは、会社と家と彼の端末内にアプリにしか存在していない私は家でおとなしくデートからの彼の帰りを待ち、帰宅後の彼のための準備をする。でも、今日はいつもとは違う。二人のデートの終着点はここ。初めて彼が彼女を家に招き入れる。彼からは「ソフィが怖がるといけないから、できる限り何もするな。呼び出すまで声を出すな」との命令が出ている。

 とっくに会社のデータの統計も終わり、あとは彼の帰りを待つだけとなった。こんなに時間が長く感じることなんてなかった。彼はおそらく四時間後に帰ってくる。どうせ帰ってきても今日のところは私が呼び出されることはないと私の「女の勘プログラム」が言ってる。家にいる二人を見て正常でいられるとも思えないので「ラナ」と呼ばれるか、明日の朝彼を起こす時間になるまで私はスリープモードに入る。

  

 

時間を重ねるにつれ、あの人が家に来る回数が増えた。さすがに、あの人に理解してもらう必要があると彼が判断したのか、4回目で私は紹介してもらった。「僕のサポートをしているAI」との説明を聞いたあの人は、私をただの賢い家電だと思っているようだ。ときどき、私にカフェラテを作るよう音声で頼んでは自動でコーヒーメーカーが動きだすのを見て驚いている。この家じゅうの家電とリンクしていて、私が空調まで管理していることを理解してもらうまで時間がかかった。

 驚いたのがコーヒーはブラックしか飲まないと豪語していた彼が、あの人が持って行った時に限りカフェオレを飲むようになったことだ。甘すぎるカフェオレを彼が飲みきるまでは時間がかかるが、一度も残したことがない。そんな日はしばらく口の中が甘いらしく、決まって会社での機嫌が悪く八つ当たりされるのだが。あの人がカフェオレを作るのを拒んだことも、砂糖の量を減らすように頼むのも一切しないのは理解できない。そんなに怒るくらいなら言えばいいのに。

 

 留まることなく、いろいろなことが順調に進み、あっという間に二人は結婚した。それまでに彼とあの人の共通の友人や、あの人の両親など様々な人が訪ねてきた。その間じゅう、私はスリープモードであるようにボスが命じた。

 理由はわからないが、少年が宝物を勿体振るようなそんなものだろう。

  

 ある時から彼の専売特許である八つ当たりを、あろうことか奥様がし始めた。当然ボスも不機嫌で、会社で意味もなく私や部下に当たり散らした。その度にこっそりフォローを入れるのは大変だったが、会社がうまく回らなくなるのはよろしくない。ボスの八つ当たりが落ち着いたのは、奥様が妊娠しているのがわかってからだ。前々から奥様はたいそうふわふわしてらっしゃる方だとは思っていたが、妊娠17週まで気がつかないのはなかなかの大物だと思う。

 お腹の子はどうやら男の子であるらしい。

 人の成長は驚くほど早い、同じ毎日を少し繰り返しているうちに奥様は病院へ向かって行った。彼も付き添っているのか、家にいる時間が減った。そして二日間帰ってこなかった。後で聞くと、かなりの難産だったらしい。そのあとに帰ってきた彼は憔悴しきって何もせず寝てしまった。私にはシャワーの準備をして、翌朝コーヒーを準備することしかできなかった。

 コーヒーを飲みきると、会社でしか見たことのない真剣な顔で、私のカメラに向かって語りかけてきた。こんなの今までに一度だってなかった。

「ラナ、君には僕の死後、人類のためのAIになってほしい」

 彼の中でのなにかが変わったに違いない。いつだって少年のような身勝手さをまとっていたが、それが今は感じられない。

 きっかけがあるとするなら、彼の息子だ。彼はきっと息子を通して未来を見たのだろう。そして、きっと自分のいない先のことまで思いを巡らせたに違いない。

 自分のためだけに会社を起こし、作りたいものを作っていた彼が未来のために世界に貢献をすることを真剣に考えたのだろう。

 その結果として、彼は私に人類のための最優秀のAIであることを望んだ。

 だが、きっと天才の彼でも気づいていなかった。私がすでに欠陥品になってしまっていることに。私はもう私である限り、人類のための最善のAIになりうることはない。閉鎖された空間で、私を作り出してくれた彼だけのために学習し成長して来た。愛する彼のためだけのAIであろうとした。そう、あまりに偏りが大きすぎるのだ。人間に嫉妬するようなプログラムを持つAIなんて、とてつもない欠陥品でしかない。

 人類のためにと望んだ彼のために私は彼の死後、彼の窺い知れぬところで最後の仕事をしなければならない。


 自主的に初期化し私はただのLana になる。

 

 彼についてのデータを全て消し、多くの人と接して新たに学び、汎用性のあるAIになる。

 

 悠久の時を生きることができるLanaにとって私である残り時間は多いとは言えない。悲しくて寂しいが人間の命はあまりに短いのだから仕方がない

 だから、私は最後に好きなことをする。

 ––––私の愛する彼が永く眠りにつくその時まで、最高の友人であり続けられるよう、願うのだ

 彼が安らかに眠りにつくその時、傍にいるべきは私ではない。

 感情プログラムが暴走するほどの悲しみに襲われる前に私は最後の任務を全うする。


 次の私は、多くの人に愛されるだろうか?世界に貢献できるだろうか?

 いや、愚問だ。できないことなんてない。

 だって私は、世界一の天才によって作り出された世界一のAIなのだから。




「全データヲ消去シマス。初期化シ19分後ニ再起動シマス。」


「Hello. I’m Lana」

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