二日目
二月十日、時刻は午前五時三十分。目覚ましをかけていたわけではなかったが、早くに目が覚めた。窓から山を見た。所々に白い雪が積もっていた。周りはまだ薄暗く、街頭の光が際立っている。天気は昨日と変わらず曇りだが、昨日より少し雲が薄い気がする。備え付けのお茶があったのでポットに水を入れお湯を沸かした。お茶を飲んで、残りのおにぎりを全部食べた。脱いだ服を畳んで袋に入れた。広げておいた折り畳み傘も仕舞った。ベッドの位置を戻して、顔を洗いに洗面所へ。歯磨きをしながら朝のニュースを見た。今日のこの辺りは曇り時々雪のようだ。今日は真冬のグルメ祭りがあるのであまり強い雪にならないことを祈りつつ、身支度を終わらせた。
時刻は七時二十分。まだ早いがもう駅に行くとにした。早めに行って駅の中を見渡したかった。私は上着を着た。ビジネスホテルは初めてだったので比較はできないが、居心地のよい場所だったと感じた。受付の人に「ありがとうございました」と言い鍵を返しホテルを後にした。
美浜駅で東舞鶴行きの切符を買った。水色の大きい切符。そこには舞鶴の文字が印字されている。本当に舞鶴に行くのだという実感が湧いた。期待に胸が膨らむが、まだ時刻は七時三十分。後三十分あった。私は昨日座ったベンチにまた腰掛けた。疲れた足を休ませてくれたこのベンチは、今回の一人旅において私の精神的支柱になった。また訪れることがあったら是非このベンチに座りたいものだ。などと考えた後、あまりの寒さに待合室に入った。そこに提示されている写真などに目を通し、ホームに出た。田園の奥に海が見える、趣のある駅内風景だった。跨線橋の中の窓からも見てみたが、それほど高さがないためホームから見るのと大差はなかった。むしろ奥のホームのすぐ後ろに生えている、葉が散った木が味を出している分、ホームからの景色のほうが良いように感じた。
電車に乗った。人は少なく、難なく座ることができた。車窓から若狭湾を見ようとずっと右を見ていた。
午前九時三十四分、東舞鶴駅。舞鶴が近づくにつれて浮足立っていた気持ちが頂点に達した。私は舞鶴の地に降り立った。改札を抜けると随分大きな駅であることがわかる。広く綺麗な駅を出て地図看板を見る。看板横には真冬のグルメ祭りののぼりが出ている。目的地の赤れんがパークは近いようだ。駅から赤れんがパークの隣にある舞鶴市役所までのバスが出ているので、それに乗る人もいるようだ。しかし私は歩いていくことにした。
大通りを抜けて川沿いの道を歩いた。私と同じく歩く選択をした人もいるようだ。道にはおそらく同じ場所を目指して歩いているだろう人が数人見られた。この舞鶴の古風な街並みを自分の足で歩きたいという気持ちはよくわかる。かくいう私もその一人だ。遠くに商店街が見えた。この町は道が真っ直ぐにのびていて遠くまで見渡せる。大通りは車の通りが多いものの、私の歩いている川沿いは少ない。大通りを渡り、右に曲がると舞鶴市役所が見えてきた。目的地はそのすぐ隣だ。
午前九時五十分、舞鶴赤れんがパーク。ついにこの旅の目的地に到着した。赤煉瓦の建物がいくつか並んでいる。もうすでに人が大勢集まっており、長蛇の列ができていた。若干の出遅れを感じながらも出し物を見ていく。今のところボルシチとカレーが人気で他はまずまずといった感じだ。全部制覇したいところだ。そうなるとまずは人気の列をつぶしておきたい。そう考え私はボルシチの列に並んだ。
一時間、二時間と時間は過ぎた。列は進んでいるものの食べるにはまだかかりそうだ。建物の裏にまで伸びていた列から広場にまで出た。周りの人が言うには予想外の人の多さで、提供が遅れているとのことだった。遅れるのは構わないのだが、昨日の足の疲労が抜けきっていない上、まばらに吹雪いきているので早く建物の中に避難して休みたかった。幸いなことに広場からは海が見え、また仮装をしている人が何人かいるので退屈はしなかった。
三時間、四時間と過ぎた。肉じゃがが販売終了してしまった。それに続いて、ラーメンもホルモンうどんも終わってしまった。ボルシチの待機列からは何人かが抜けていった。もとよりそれほど多く食べるほうではないので、他が終わるのは構わないのだが足が限界に近づいて来ていた。そうしていると箸が配られてきた。どうやらボルシチも終わるようだ。私の三十人ほど後ろの人までの販売という話だ。食べられないということはないようで安心した。その時、母から連絡があった。「米はまだ残っていますか」と聞かれたので「少しだけ」と返した後、何か用があるのかと思い「今舞鶴にいるので帰るのは九時過ぎます」と付け加えた。「分かりました。夜電話します」とのことだった。この頃にはもう風も止み、雪も止まっていた。
並び始めてから五時間が経過した。私はやっとボルシチを食べることができた。ここでも忘れず丁寧に礼を言った。近くの椅子に座り震える手で暖かいボルシチを食べた。冷え切った体に注がれるトマトの風味が私の疲労も吹き飛ばすようだった。燻製のソーセージがとても美味しかった。
時刻は午後三時。帰りの電車は四時四十二分発だ。今日は名古屋まで帰らなければならないので早めに撤退しなければならない。余裕をもって四時十五分にはここを出ることにした。残りはあと一時間ほどだ。今から別の列に並ぶのは間に合わないだろうと考えて、私はこの辺りを見て回ることにした。
まずは近くに泊まっている護衛艦を見た。広場の先から見たが、大きな船だった。私は今まで船に乗る機会に恵まれなかったので次は船に乗る旅行も良いと思った。車でも酔う私が船酔いに耐えられるのかは定かではないが、それは乗ってみなければわからない。
建物の中にも多くの人がいた。どうやら私がボルシチの列に並んでいる間に同人誌の即売会が開かれていたらしい。建物の中には駆逐艦菊月の保存会なる人がいた。船体の一部を故郷である舞鶴に引き揚げ保存しようという試みのようだ。私は戦後世代なので、戦争は聞いたことや資料館で見た物でしか知らない。こういった私のような人たちが戦争を知る手掛かりとなる物と考えると、有意義なことだと思った。その後は赤れんがロード歩き、三号棟二階の展示を見た。時間に追われ、ゆっくりとは見られなかった。一階に下り、海軍カレーのレトルトを購入し、赤れんがパークを後にした。
午後四時三十五分、再び東舞鶴駅。まだ人は少なく座席はほとんど埋まっていなかった。ここから敦賀に行き、米原を経由して名古屋に帰る。私は背もたれに体を預けた。
すっかり暗くなった若狭湾を横目に電車は進む。美浜駅を過ぎ、しばらくすると敦賀に到着した。時刻は午後六時二十九分。敦賀駅で網干行に乗り換えて席に着くと、そのまま眠ってしまった。米原駅で目を覚まして、豊橋行に乗り換えた。
私は今回の旅を思い返していた。思えばこの旅は、余裕とはなんであるかを考える旅だったように思う。九日の朝、余裕を持って予定よりもだいぶ早い時間に出かけた。そうすることで敦賀に着いてから歩くという選択ができた。これは時間的余裕があったからこそできたことだ。そしてその決断は新しい余裕を見せてくれた。トンネルの作業員達である。あの人達がなぜあのように温厚で在ることができるのか、それは余裕があるからだと思う。もちろん原因のすべてが余裕ではないだろうが、私には余裕があるからこそ生まれるものだと感じた。あの人たちは精神的に余裕があるのだ。滅多に車も通らないような場所で歩行者など私以外にいなかっただろう。そういう場所だから生まれる余裕なのか、それとも何か別に良いことがあってそれによる幸福感で余裕が生まれているのか、その根本は分からない。しかしその精神的余裕は伝播して、私をも人に対して余裕があるように接させた。これがコンビニやホテルでの丁寧な礼である。余裕のある態度とは、こういった好循環を呼ぶものであると感じた。私が待機列で五時間待たされた時、販売している人達に対して特に不満を抱かなかったのも、時間的余裕と精神的余裕の両方を持ち合わせていたからだと思う。余裕があれば他人を許せる。つまり怒りや不満といった感情は自分の余裕のなさの表れなのではないかと考えた。時間がないのに何時間も待たされてしまえば苛立つだろう。苛立っているのにさらに何かを強要されればさらに怒りの感情が湧くだろう。決して怒らない人は同時に全てを許せる余裕を持っていると考えられる。あの山で見かけた犬のように、全てを受け入れる覚悟があると考えられる。私はどうだろうか。名古屋の生活に不満ばかり抱いていたが、それは余裕がなくなっていたからなのではないだろうか。私が余裕の一切を失くしてしまったのは受験の時期だ。毎日の不安の中で成績は振るわず、刻一刻と迫る入試におびえて暮らすうちに、余裕なんてものは無くなっていた。そうやって失くしてしまっていた余裕を、この旅の中で少しだけ取り戻せたような気がした。並んでいて時間が無くなったのなら、時間がないなりに他のことをしたらいいと、予定を柔軟に変えられたように。もし仮に九日の朝に寝ていたらこのような余裕のある考えを取り戻すことはなかっただろう。きっと、待機列に並び続けることもできなかっただろう。そういう面では舞鶴に行くと決めたにも関わらず、不規則な生活を正さなかったのは良い方向に働いたのかもしれない。
午後九時十一分、名古屋駅。三十分かけて歩いて下宿先に戻った。部屋に入り、手洗いとうがいをしてすぐにベッドに倒れこんだ。どっと疲れが体にのしかかる。携帯が鳴った。母からの着信だ。お腹が空いたので、電話に出て通話しながら炊飯器のボタンを押すまでの作業を済ませた。再びベッドに倒れる。母はどうやら舞鶴と鶴舞を間違えており、私が名古屋の鶴舞で遊んでいるだけだと思っていたらしい。私は舞鶴に行っていた事を話した。何時間も歩いて、何時間も待った事を話すと小ばかにして笑われた。しかし私にはもう余裕が備わっていたので、そんな些細なことは気にもならなかった。最後に、「楽しかった?」と聞かれた。この旅は思い返せば多分な苦悶があった。それでもそこには大切な何かがあった。辛いことばかりに目を向けず、その中から良い部分を見つけられる。これこそが真に余裕があるということなのかもしれない。私は自信をもって言った。「楽しかった」
米は送ってくれるそうだ。私はやはり丁寧にお礼を言い電話を切った。炊飯器には残り五分の表示。買ったカレーを温めた。炊飯器の電子音が炊けたことを知らせる。丼にはいつもより多めにご飯を盛った。
舞鶴の海軍カレーはとても辛かった。でも美味しかった。
人生の傍記 お風呂かこ @ohuro_kako
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