一日目 二
山を越えると町が見えてきた。もう私の足は悲鳴を上げていたが、ホテルに着いていないのに泣き言を上げても仕方ないので構わず進んだ。スーパーや農協、銀行や飲食店、田んぼや民家、電車の線などありふれたものが視界に膨らんでいく。車の通りが随分増えた道を進み、駅を目指した。
関西電力と書かれた大きめの建物を越えた次の信号で、右手に美浜駅が現れた。
ついに到着した美浜駅は、私の実家の最寄り駅を思わせるような横に長い構造ですぐに親しみを覚えた。私は吸い込まれるようにベンチに腰掛けた。長く歩き続けた足は脹脛や太腿にかなりの痛みを伴っていた。携帯を取り出し時刻を確認する。午後一時三十分。もう休みたいが、ビジネスホテルはこんな時間から行ってもいいのだろうか。私はビジネスホテルを利用するのは初めてだったので勝手がわからなかった。調べてみると、基本的には午後三時からのようだった。まだ一時間半の時間があった。これからどうしようか。とりあえず当初の予定通り海で時間をつぶそうと思い、私はまた携帯で地図を開く。どうやらまた道の駅があるらしい。近くに三方五湖がありその名前がついている。まずはそこに足を運んでみることにした。疲労しきった足を再び動かし進んだ。
少し坂になった道を進むと道の駅が見えた。途中にこの後止まる予定のビジネスホテルを覗いてみたが、やはりチェックインは午後三時からという旨の張り紙がしてあった。道の駅はなかなかに活気がある場所で車も結構な数が止まっていた。私は奥にあった地図看板を見た。先ほど携帯の地図でも見た湖があるようだが、もう足が限界であると判断し、湖に行くのは断念した。しかし当初の予定でもあった海は行くことにした。
田園の奥に海が佇む景色を横目に、駅のほうに戻る。踏切で左に曲がると海までは真っすぐだ。神社があり、そこを越えると民家が集合している地帯に入った。そこには民宿もあった。今までとは打って変わって狭い道を抜けると、視界が開け眼前に海が広がった。砂浜前の段差に腰を下ろして休んだ。風が強く吹いていて、波が荒い。海面と曇った空の色は同じで、境界線だけが青かった。まだ時間はあったので、ここでおにぎりを食べることにした。ゆかりのふりかけだけの簡素なものだが、私の体にはおいしく染み入る味だった。
しばらく波音を聞いていると、私は飲み込まれそうな恐怖感に襲われた。そんなことを考えていると雨が降り始めた。最初は小粒だったがすぐに大きくなった。私は食べかけのおにぎりをしまい、いつも持ち歩いている折り畳みの傘を広げた。とりあえず雨風をしのげる場所に移動しようと、コンビニに向かった。風が強く、傘がひっくり返りそうになる。横殴りの雨でズボンが濡れていく。雨でズボンの色が変わったあたりでコンビニに到着した。アイスクリームとチョコレート菓子とビスケットを買った。トンネルの作業員達を思い返して、温かく振舞うことを心掛け、店員になるべく温かく礼を言った。アイスクリームを買ったのはコンビニに来るまでに急いだのもあって、体が熱くなっていたからだ。他はホテルについてからの食料だ。
コンビニから出ると強かった雨は勢いをなくしていた。傘を畳んでホテルの方に戻った。踏切を越えてホテルの裏に来たが、三時にはまだ早かったのでまた美浜駅のベンチに向かった。
午後二時四十分。足はもう慣れてしまったのか痛みをほとんど感じなかった。先ほど食べ損ねたゆかりおにぎりをほおばる。その後アイスクリームも食べた。足を休め、また少し降り出した雨をしばらく眺めた後ホテルに行った。
玄関前で傘の雨を払い、ホテルに入って受付をした。「昨日予約のお電話をさせていただいたものです」と言うと愛想よく記入用紙を渡してくれた。その後金を払い、鍵を受け取った。ここでも私はトンネルにいた作業員達を見習って、できる限り温かく礼を言った。このホテルは工事中らしく通路は狭いが部屋に問題はないそうだ。私は一階の部屋のカギを受け取ったが、一階の部屋がどこか分からず階段をのぼってしまった。二階を歩き、もらった鍵の番号がないことは気づいていながらも探し、その後階段を下りた。よく見ると確かに遮蔽物があって狭くなっていたが通路はあった。注意力が散漫してしまっているようだ。鍵の番号の部屋を見つけ、中に入った。
内装はいたって普通のホテルだ。窓から入る光がまだ明るいので電気は点けなかった。丁寧に掃除がされた清潔感のある部屋だ。鞄とお菓子を机に置いて、うがいと手洗いを済ませ、上着をハンガーにかけた。靴を脱いでベッドに横になると、そのまま泥のように眠った。
起きると部屋は真っ暗になっていた。部屋の明かりを点けて、カーテンを閉めた。時刻は午後九時。足がひどく痛かった。脹脛が床に足をつけるだけで痛むようになっていた。私は床に降りなくても机に手が届く位置にベッドを移動させ、机の上のお菓子を食べた。チョコレートの甘さが心地よかった。睡眠と糖分をとり、活力を取り戻した私は体を洗おうと洗面所に向かう。私の下宿先はシャワールームしかなく、お湯につかることができないので、久々にお湯に浸かることにした。今度は忘れずに部屋のエアコンを点けておいた。
体を一通り洗い終わり、お湯を溜めた。その間、シャワーから出るお湯を足に当てマッサージをした。お湯が全身を温める。全身浴をするのは夏休みに実家に帰った時以来だ。あのときは暑くてありがたみなど無かったが、この疲れた足と二月の気候においては、私に至大な癒しを与えてくれるものだった。
長い間浸かっていてのぼせてしまった。私はエアコンを切り、カーテンは閉めたまま窓を開けた。外は暗く静かだ。夜風がカーテンを揺らし上気した熱を冷ます。気分よく落ち着く空間であった。
ふとテレビを点けてみた。局は少なく特に見るものはないがそのままにしておいた。歯磨きをしながら、明日の電車の時間を確認した。明日は八時に美浜駅を出る電車に乗る。早起きは必要ないようだ。脱いだ服に備え付けの消臭スプレーを吹き付ける。折り畳みの傘も広げて乾かした。そうしているとBS放送でアニメが始まった。テレビで見るのはいつぶりだろうか。もう随分と前のように感じる。そもそもなんとなくテレビを点けたが、テレビを見ること自体が久々だ。下宿先にテレビは置いていないし、実家でもほとんど見ていなかった。自分の部屋が居場所ではなかった小学生くらいまではテレビを見ていたはずだが、自分の部屋で過ごすようになってからは全然見なくなっていた。久々にテレビで見たアニメはラブコメディで、なかなかに小気味いい内容だった。
アニメを見終ると、のぼせた熱もだいぶ収まってきていた。私は窓を閉めて、電気を消しベッドに横たわる。その後、受験期にやめてしまった柔軟体操をした。これも随分と久々だったので、相当に固くなってしまっていた。
今日は大変疲れたが、色々なことがあって充実した一日だった。飛び出してきてよかった。私の心は確かにそう感じている。私は今日の空模様とは真反対の、晴れ晴れとした気分で眠りについた。
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