一日目 一

 二月九日午前三時。不規則な生活を正すことができないままに当日を迎えた。夕方に眠り、夜中に起きた。今から眠ると電車の時間に間に合わなくなると思い、片付けをすることにした。昨日の残りの煮物を片付け、おにぎりをこさえた。散乱していた紙を片付けた。

 午前六時三十分。今日は名古屋駅を十時出発の予定だったが、片付いた部屋に心地よい朝の光が入ると、活力が溢れてきた。私はこの機を逃すまいと今から出ることにした。電車の時間は調べず、着いてから考えることにした。

 午前七時三十分、名古屋駅。米原駅までの切符を買い、三十二分発の電車に乗った。電車は混み合っており席は空いていなかったが乗ること自体に苦労はない程度だった。ドア付近でパーソナルスペースを確保した。

 しばらく乗っていると、神妙な面持ちで参考書と向かい合う受験生と思しき人が乗ってきた。そうして周りを見渡すと他にもそわそわとしている人が多数見受けられる。今日はどこかの受験日のようだ。その様子に自分の受験を思い出した。受験をしたときは、電車に友人と共に乗ることが嬉しく、落ち着いてはいなかったが、先への不安は持ち合わせていなかった。この楽観思考は今も続いている。今日も電車の時刻を調べずともどうにかなると思って来た。事実、電車に限って言えばどうにかなることなのだが、この楽観は他の場所でも言いようのない自信として現れてくる。これが厄介で同時に自分に豊かさをもたらしているものだとも思う。

 受験生達は大垣駅で大勢降りていった。心の中で応援しておいた。寂しくなった車内で私は席に着いた。そうして車窓から外をみていると伊吹山が姿を現した。この伊吹山は年中雪化粧をしている山で、これと地元の山達の影響で私の高校時代の通学路は同じ方向にしか風が吹かなかった。そのため帰りには必ず向かい風になった。風が強い日は、学校に着くまで自転車は漕がずともタイヤを滑らせてくれるが、帰りになるとどれだけペダルに体重を掛けても少ししか進まない自転車に変わってしまう。私はこれが嫌で嫌で仕方がなかった。嫌と言っても自然現象はどうしようもないので、不満を抱えながらも通っていた。どうせなら疲れていない行きで向かい風の方が良いなどと思ったが、結局のところそれはそれで文句を言うのだろうと思う。そんな憎き風の元凶の一部がここにいた。澄ました雪化粧が嫌味な感じだった。しかし他に見るものがない私はずっと伊吹山を見ていた。山は綺麗だった。辛い通学も今となっては懐かしい思い出だ。かつての敵と仲直りしたような気分で山を見ていた。

 午前八時四十四分、米原駅。琵琶湖近くの駅である。右手には伊吹山がまだいる。近江塩津駅で乗り変えて敦賀駅まで行く。

 午前九時三十三分、近江塩津駅。狭い地下通路を通ってホームを変える。工事中で通路はひどく狭かった。後ろにいたキャリーバッグを持った人が苦労して通っていた。

 午前九時五十分、敦賀駅。ここから小浜線の電車に乗っていけば舞鶴に行ける。私がホテルを予約した美浜はその途中駅だ。しかしとても時間が余っている。最初の予定では、美浜駅近くの海を見ていようと思っていたが、随分と早く来てしまったので海以外の場所にも行けそうだ。改札を抜けて駅から出た。空模様は晴れ間の一切ないものだったが、知らない場所に降り立った興奮によって空模様で気分を損なうことはなかった。看板地図に目をやり、敦賀から美浜が想像よりも近いことに気がついた。歩いてみるのも良いかもしれない。距離は十六キロメートルと少し。山を越えるようだが、なんとかなるだろう。もし無理だと思ったら戻って小浜線に乗ればいい。なんとかなる、そう思った。

 敦賀駅を出て南に進む。携帯で地図を見ながら大通りを抜けて行く。西に向かおうとした時に、道路の青い標識に『国道二十七号線』と『舞鶴』の文字を見つけた。北陸まで来たのだということを実感する。ずっと電車に揺られて山ばかり見ていたので、ここに来て旅をしているのだという気分が上がった。私は鼻歌交じりに、西に進んだ。

 進めば進むほどに田舎道に変わっていく。もともと敦賀駅を降りた時点で、よくある国道沿いのような景観だったが、ここまでくると田舎ということが顕著に現れてくる。店が減り、家が減り、目には川と山、田畑ばかりが映るようになってきた。神社を越えたところで坂道になった。そのすぐそばにお地蔵様があったので、拝んでおいた。旅の安全と雅なことがありますようにという期待を込めた。

 歩道がなくなった。歩くことを想定されていない道を進む。少し登ると左側に予定では乗ろうと思っていた線路がみえた。山間には一直線に錆びた線路が伸びている。山を開いて引かれた道路と線路以外の景観は山肌だけだった。

 変わらない景色を見ながら進むと、串カステラのような見た目の看板に「ゆっくり走ろう福井の道」と書かれていた。しかし全然車も通らない道なので、走っている車は軒並み結構な速度で走り抜けていく。標語にはあまり効果はないのかもしれない。

 その後少し登ると美浜町の標識がたっていた。その上には速度制限50の標識もある。ここを境に下り坂に変わった。

 またしばらく歩くと、右前方で小麦色の何かが動いていた。気づくと道路を挟んだ横断防止柵の向かい側に犬がいた。中型犬。首輪はしていないので、野犬だろうか。と呑気に考えてから、事態の危うさに気づく。野犬だとしたらまずい。襲われる可能性は十分にある。それに柵の向こう側とはいえ、柵は小型犬ならゆうに通れるほど隙間が空いている。高さもこの大きさの犬ならなんてことなく飛び越えられる。それにたまたま柵のある場所なだけで目に入る範囲で柵は途切れている。刺激しないように、だが視界からは外さずになるべく早く立ち去ろうと歩みを早める。犬は柵越しに近づいてきたが、すぐに私の進行方向とは逆に歩いて行った。ある程度距離をとったので振り返ってみると、犬は道路に出ていて私を見ていた。しかしそのまま目線を前に戻し、どこか悲しげな様子で歩いていった。歩いていく犬をよく見ると、右足の付け根が削れて赤い肉が見えていた。

 さっきの犬は怪我をした野犬だろうか。それとも首輪はしていなくとも飼い犬だったのだろうか。私を恐れなかったところをみると人に慣れてはいるようだが。あるいはあの足ではどうしようもないと、何もかもを諦めていたのかもしれない。歩くことが辛々で逃げることもできないから、襲われたらそれで終わりだとでもいうように。しかしあの犬にとって私はなんだったのだろうか。あいにく生物の面倒をみる責任は私には負えないし、助けてやることはできない。いや、助けるどころか逆に怯えてさえいた。だがあの犬は私に縋ろうとしなかった。人が危害を加えてくるものではないと知っていて、助けてもらえることを知っていて、あの犬は自分の怪我を負った足で進んでいったように思えた。無論、人間がどういう生き物なのかを知らなかったのかもしれない。怪我をした足で私から遠ざかっただけなのかもしれない。真実がどうだったのかは分からない。だが、道路に出ていたときのあの犬の寂しげな姿が、私にはどこか生きることを諦めてしまっているように映った。

 そんなことに考えを巡らせながら坂を下った。平坦の道になり山道から田舎道に戻ってきたとき、右側に犬の訓練所があった。こういうことがあると私は想像してしまう。あそこから逃げてきたのではないか、受けいてもらえなかったから逃がしたなど、全く根拠のないことを考えてしまう。あの犬の寂しげな姿がそう思わせる。生き物の面倒を最後まで見ないことは無責任だと思う。けれど私にその責任は負えない。ならば途中での責任放棄も、最初から責任を負おうとしないことも、結局は同じことかもしれない。

 人の姿が増えてきたと思ったとき、前方に海が見えた。地平線が見える。どこまでも何もない海が、道路の先に現れた。久々の海に興奮して歩みが自然と早くなる。左には若狭美浜へようそこと書かれた看板がある。ここまでの道程、休憩も摂らずしばらく歩いて疲れているはずだったが、そんなことは忘れてしまったように心が弾んだ。苦労の末だからか、久しぶりだからか、海をみた感動もひとしおだった。

 海沿いを歩くと潮の香りが鼻を刺す。この匂いを嗅ぐのは小学生以来だ。海を眺めながら、目的地に向かって進んだ。波音が近くで聞こえる。飲み込まれそうな波と、引き込まれそうな音。海の前にいると、自分がどれだけ小さい存在であるかを考えさせられる。消え入る命も、生まれ落ちる命も、この海の前では全てが等しく小さいものだ。

 海の彼方に目を送り、道行く車も気にならずに歩いていると信号に止められた。前方には大きめのトラック。左には老人ホーム。右は変わらず大きな海。ふと道路に目を戻すと道路標識が目に入る。そこには今市という文字。いまいち。止められてしまった今の気分がいまいちだというのだろうか。海を見て気分は晴れている。澄んだ空気と潮風。これは至上の安らぎを与えてくると感じていた矢先、ふと空に意識が移る。ずっと視界には入っていてなお気が付かなかった空模様だけは、いまいちのように感じる。しかし私は曇りもそれはそれで趣があって良いものだと思うが。

 坂を上ると道路脇に柵と看板が立っていた。その横に大型トラックが止まっている。運転手は弁当を食べていた。時間を確認すると午後零時四十分。一般的には昼食の時間であろうが私はかまわず先に進んだ。不規則は食生活にも及んでいる。

 道の駅が見えた。その後ろには海水浴場がある。海水浴の季節ではないからか、浜にはたくさんの漂流物が並んでいる。浜に降りているのは親子二人だけだった。私は遠目から眺めるだけにとどめた。道の駅を越えた先は道が三手ある。携帯で地図を見た。山を迂回する左と、山の中腹に通った長いトンネルを抜ける右と、少し山に上って越える真っすぐの道がある。見た感じでは少し上るのが短くて良いように見えた。良いというのは疲れた足に負担が少なくて楽だろうという意味合いだ。この道は山を越えた後真っすぐに進めば美浜駅に到着する。私は道なりに進むことにした。

 右の長いトンネルを過ぎて前に進むと上り坂になった。そのまま歩くと作業員とトンネルが見えて来た。どうやらこちらにもトンネルがあったようだ。しかしこのトンネルは入る前から出口が見える程度の長さだった。作業員は私を見ると歩き寄ってきた。「こちら通りますか」と聞いてきた。私は「はい」と答えると「少々お待ちください」と言い無線機に「歩行者一名通します」と言った。「どうぞ」と言われ私は礼を言い頭を下げてからトンネルを抜けた。右側を封鎖して作業車が止まっていた。そのわきを抜ける際に作業員に「こんにちは」と優しい声色で話しかけられた。私もなるべく丁寧な心持で「こんにちは」とあいさつを返した。トンネルを抜けた先にいた作業員には「お気をつけて」と、これまた優しい声色で言われた。私も丁寧に「ありがとうございます」と礼を返し、先に進んだ。何時間も一人で歩き続けていたところで、こういった人の温かさに触れると、人と関わることのありがたさを思い知るようだった。去年の夏休みに、私も道路誘導のアルバイトをしたことがあったが、私はさっきの人達のように振舞えていただろうか。丁寧な対応をしていた記憶はあるが、温かい対応ではなかったように思う。あのような、人の温かさが感じられるような、それでもって周りの気分がよくなるような行動を私も目指そうと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る