第3話

 週末、幼馴染の雨安茉緒から久しぶりの連絡がきた。

「久しぶり!元気?お茶しない?」

そんな短く簡潔なLINEが届く。相変わらず飄々としている幼馴染からの連絡に懐かしさを覚える。私が住んでいる町から電車で2時間ほどのところで暮らしている茉緒は、私が暮らす町よりはるかに都会なオフィス街に住んでいる。一言でいうならバリバリのキャリアウーマンだ。幼少期から大学までずっと一緒だったが、社会人になりそれぞれの道を歩み始めたが、今でも度々連絡を取り合って、時間を合わせては一緒にでかけている。友達はさほど多くない私だが、茉緒は私にとって唯一胸を張って友人だと、親友だと言える人物である。

休日の朝から身支度を済ませて、電車に乗って茉緒との待ち合わせ場所まで出かけた。


LINEで送られてきた住所に行くと、落ち着きのある純喫茶の前で手を振る茉緒の姿を見つけた。いくつになっても幼馴染、友人がいることは幸せだと感じつつ、小走りで駆け寄る。

「鈴~久しぶり!元気してた?」


「うん、相変わらず。茉緒も元気そうだね」


「もちろん。特に何も変わってないよ!さ、入ろう!」


 実に茉緒とは3年ぶりの再会。しかし、そんな空白の時間を感じる暇もないほどすぐに昔の距離に戻った私たちは、喫茶店に入って飲み物を注文する。


「私はアイスコーヒー。」


 席に座るとほぼ同時に注文の品を決めた茉緒。


「え、早いよ。せっかくなんだしメニュー見たら?」


「大丈夫!あたしこの店の常連で、全メニュー制覇してるから!どんな飲み物があるのか全部ここに入ってる」


 そう言って茉緒は、右手の人差し指で自分の頭をトントンする。


「そっか。じゃあ私は・・・ホットのミルクティーで」


「ちょっと!鈴はいっつもミルクティーじゃない!もっとメニュー見た方がよくない?」


「あんまりミルクティーはオススメじゃない?」


「このお店の飲み物は全て絶品です!」


「じゃあミルクティーで」


 そんなこんなで注文を済ませ、飲み物が届くまでの間、他愛もない話をした。


「お待たせしました。アイスコーヒーとミルクティーのホットです。」


『ありがとうございま~す。』


 二人で同時にお礼を言う。そんなささいなことで目を合わせクスクス笑い、また話をの続をはじめた。


「最近うさぎを買い始めたんだ~」


「え?うさぎ?犬とか猫じゃなくて?」


「そう、うさぎ。可愛いよ~!あたしが家に帰ってきたら部屋の中を自由にさせるんだけどさ、もうほんとに癒される!鼻をもしょもしょしててね?」


「しょもしょも?」


「そ!しょもしょも!わかるでしょ?」


 茉緒は擬音語の表現が独特である。


「茉緒は昔から動物好きだったから、いつかペットを飼うんだろうと思ってたけど、結局うさぎにしたわけね」


「他にもカピバラとか飼ってみたかったんだけどな~。本当はちょっと変わったトカゲとかでもよかったんだけどね?」


「うーん、トカゲかぁ。それは微妙かな。」


「え?可愛いじゃん!トカゲ!絶対可愛い!でもさすがに自重したって感じかな」


 何にせよ、茉緒は元気だった。




「ねぇ、鈴は?」


「え?」


「鈴はペット、飼わないの?一人暮らしだよね?あ、もしかして・・・彼氏ができて同棲してるとか?」


「そんなんじゃないよ」


「じゃあ、彼氏が動物苦手?アレルギーとか」


「どうして彼氏がいる前提なの?彼氏はいないし、ペットも飼ってません!」


 少し怒ったような口調で言ってみる。


「ごめんごめん!ちょっと言ってみたかっただけ」


「何よ言ってみたかったって!」


 本当に、他愛もない話が心地よかった。しかし、ここまでのテンポから一転して、ため息混じりの声で茉緒が続ける。


「でもさ、正直焦り出してはいるんだよね」


「焦る?なにを?」


「けっ・こ・ん!」


「え・・・」


 言葉に詰まってしまった。昔からよく一緒にいた茉緒は、私からみてもとてもかっこ良い女性で、プライベートより仕事という風に見えた。実際に茉緒の仕事姿を見たことはないけれど、きっと会社でも第一線で活躍しているに違いない。そんな茉緒でさえ、結婚を意識しているというのは、驚きだった。


「なんか意外。茉緒は結婚より仕事ってタイプかと思った」


「いや、もちろん仕事は好きだよ?楽しいし。でも、変化が欲しいのよ」


「変化ねぇ」


「あぁ、別に仕事の手を抜くわけじゃなくてね?同じ職場で働いて、4年以上働くとさすがにさ、いろいろ見えてくるじゃない?良くも悪くもね。それに関して悪いことだと思ってないんだけどさ。だけど、社会人なりたての頃のみたいな、すべてが新鮮!っていうあの感覚。それが今は皆無なんだよね。ちょっとさみしいっていうか」


「それは、単にベテランになったってことなんじゃないかな?私はいいことだと思うよ」


「まぁね。でも、ベテランだって鮮度が恋しいの!いわゆる刺激ね!」


「う~ん、私は波風立たせず、毎日平凡が一番なんだけど」


「鈴はそうかもしれないけど!ほら、あたし、マグロみたいじゃん?動きが止まると死んじゃうみたいな?」


「ふふ、それ自分で言っちゃうの?的確な表現だけど」


「でしょ?で、話を戻して整理すると、仕事は上々。新しいこともしてみたい。でもぶっちゃけね、これから新しいことをはじめると、また仕事漬けの毎日になって、本当の仕事人間になっちゃうなって思ってさ」


「仕事人間か。茉緒らしいなって思うけど」


「えぇ?もしかしてあたしバカにされてる?」


「違うよ。茉緒は子どもの頃からなんでもやる子だったし、その度に結果も残してたじゃない。本当にすごいなって思ってたんだよね。前向きっていうか、頑張り屋っていうか。私とは正反対で、憧れだったの。もちろん、今でも憧れの女の子だよ?」


「え、なになに?鈴、どこか遠くに行っちゃうの?」


「へ?」


「急にそんなに褒めだしちゃって。お別れの挨拶でもされてるのかと思って」


「もう、茶化さないでよ!そんなんじゃなくて。友達として、幼馴染として尊敬してますってこと!」


「なんか面と向かって言われると照れるなぁ~」


お互い少し気恥ずかしい空気になった。私もなんでこんなにスルスルと茉緒を誉めちぎったのかわからないけれど、すべて本音だった。あれ?もしかすると・・・と、一瞬キューピットのヨリくんのことを思い出す。ヨリくんが私の口の扉を軽くしているのではないかた疑った。


「まぁ、気持ちよく褒められちゃったわけだけど。逆に言えば、そんな仕事人間風のあたしが結婚考えるって、おかしいってことを鈴は言いたいの~?」


 茉緒がふざけた口調で私に質問を投げる。そんなつもりはなかったが、結果的にはそういうことになってしまうのだ。


「あぁ、別にそんなつもりで言ったんじゃなくて・・・」


 あからさまに焦り出す私。そんな私を見て、茉緒は口を開けて笑った。


「あはは、そんなに焦らなくても!鈴の言いたいことは、まぁ、なんとなくわかるよ。簡単に言えば、似合わないよね、私が結婚なんて」


「似合わないなんて、そんな・・・」


「いや、あたしが一番よくわかってるんだ。実際、結婚したいな~なんてつぶやくと、周りからも言われるもの。『え?雨安さんって結婚したい人なんですか?』だって。ほんと失礼な話よ!」


「なんか・・・ごめんね」


「ん?鈴は別にいいのよ。昔の私しか知らないわけだし。本質的には変わってないと思うけど、それでも生きていれば気持ちの変化はおのずと生じるでしょ」


 なんだか私の知らない茉緒の顔を見ている気がした。私はやっぱり変化が怖い。だから、変化を楽しみたいと喜々として話す茉緒は、昔のままのようで、どこか違ってみえた。それでも、冒険者のような茉緒を敬う気持ちは揺るがなかった。




「でもさ、一番むかつくのは上司よ、上司!」


 急に茉緒の声色が変わった。その声から苛立ちが伝わってくる。茉緒はどんな人ともうまく付き合える社交的な人だけれど、先輩の悪口を聞いたことは、これまでほとんどない。これも茉緒の変化なのだろうか?そんなことを考えつつ話を聞く。


「上司ってことは仕事の先輩でしょ?珍しいね、茉緒が先輩とうまくいかないって」


「仕事の先輩って呼び方じゃ生ぬるいわ!もうあれよ、おじさん!おっさん!」


「あぁ・・・おじさん、ね」


 おじさんという存在にはなんとなく心当たりがある。社会人になって、私にとっても壁として立ちはだかった存在だ。学生のころまでは、「おじさん」と絡むことはほとんどない。せいぜい学校の先生とか近所の誰かのお父さんが、私達にとっての「おじさん」だった。しかし、社会人になるといろんな年齢の人がいる。優しいおじさんもいれば、ちょっと気難しいおじさんもいて、後者のおじさんにはほとほと悩まされた記憶がある。


「ほんとにデリカシーない!結婚の話を自分から振ってきたくせに、『お?お前もいっちょ前に女の幸せを掴みたいのか?』だとさ。はぁ?女の幸せ?結婚は女の幸せなんて、誰が言ったのよ!じゃあ結婚してるあなたたちは幸せじゃないの?って感じ!」


「ま、茉緒!ちょっと・・・」


「えぇ?」


「声、大きいよ・・・」


「うあぁ、ごめん・・・」


 一旦落ち着こうと、二人とも飲み物を口にして一呼吸。そして、小声にして話の続きだ。


「ほんとに勘に触るのよ、おじさんが。人を男みたいに言っちゃって。あたしの振る舞いがそんなに男っぽかったかな?」


「それは・・・仕事頑張ってる茉緒を褒めてるのかもよ」


「鈴は優しすぎる!前向きにとらえすぎ!まぁそんな鈴に私は助けられてるんだけどね」


 不満げな顔でアイスコーヒーに手を伸ばした茉緒。相当会社のおじさんに困っているようだ。しかし、茉緒はしっかり者ではっきりした性格だけれど、男っぽくはない。立ち居振る舞いも、どちらかと言えばエレガントだと思う。きっと、「仕事=男性」という考えの上司がいるのだろう。どこで働いても、問題がない場所なんてきっとないのだろうと思った。


「ま、どこにいても何の問題もない場所なんてないんだろうね、きっと」


 同じようなことを茉緒も思ったようだ。私は思わず微笑んで、小さく頷いた。




 それからも昔の話をしながら笑いあって、あっと言う間に二時間が過ぎた。これ以上お店にいたら迷惑がかかるとやっと気づくことができたので、会計を済ませてショッピングにでも行こうかということになった。少し通りを歩き、三本ほど先の角を曲がるとオシャレな街道が表れ、服や雑貨、最近若い子に流行のカフェなどが立ち並んでいる。学生に戻ったような気持ちになり、ワクワクしてきた。特に目的もないなか、話しながらお店を一つずつ見ていく。すると、茉緒のスマートフォンが短く震えた。


「ちょっとごめん」


 そう言って茉緒はスマートフォンの画面を見ると、動きが止まる。その表情は一気に曇り、そのままスマートフォンをポケットにしまった。


「茉緒?」


 不思議そうに声をかける。


「あぁ、会社の人からの連絡だったわ。今日はあたし休みだから、またあとで返信するよ」


「え、大丈夫なの?」


「大丈夫!休みの日は休むって決めてるから!」


 笑顔で答える茉緒だが、あきらかに無理をしている。これは幼馴染としての勘だった。


「まさか、さっき言ってたおじさん?」


 茉緒が心配で話を続ける。


「あー、まぁそんな感じかな。ほんとこれだからおじさんは・・・」


 そういった瞬間、また茉緒のスマートフォンが振動する。そして、茉緒もいよいよその表情を隠せなくなっていた。これは、何かある。幼馴染でなくてもわかるほど、その空気は異様だった。


「鈴、ごめん。今日はこれで解散でいい?」


 突然、これからどこか険しい道をへ進むような雰囲気で茉緒が言う。


「それはかまわないけど・・・」


「ごめんね!また連絡するから!今日は楽しかった」


 作られた笑顔で私に別れを告げ、足早に進もうとする茉緒。その姿をただ見送るしかできない私。すると突然声が聞こえてきた。


「鈴、追って!はやく!」


「え!?」


 ヨリくんの声だった。


「え、ヨリくん、どうし・・・」


「急いで!助けてあげて!」


「えぇ~!?」


 突然現れたヨリくんに驚いたが、何よりもヨリくんが助けてと慌てている様子が気になった。いつもの私なら、ただ茉緒の背中を見つめているだけのはず。しかし、ヨリくんの言葉に突き動かされるように、私は速足の茉緒を追いかけていた。


身長172cmでスラリとした茉緒の足は長く、加えて運動神経の良い茉緒の足は速い。運動不足の体を無理やり動かして、街道を走った。10秒くらい走ったらもう息がゼェゼェいっていたが、それでもなんとか茉緒に追いつこうと必死に前へ進む。早歩きに追いつけない自分の体力のなさを呪いそうになったところで、やっと茉緒に追いついた。


「茉緒っ!」


 しぼりだしたような私の声に、茉緒が振り返る。表情はまだ強張ったままだ。


「鈴?どうしたの?え?なんで・・・」


 私が心配して来たはずなのに、茉緒の方が私を心配しているようだった。しかし、いつもと違う茉緒の様子に、急いで追いかけろと言ったヨリくんの言葉。きっとただ事じゃないのだと思い、とりあえず追いかけてきた。何と切り出せば良いかわからなかったし、本当の自分の意思で動いたのかと尋ねられたら、すぐには首を立てに振れない。それでも、嘘偽りない言葉だけが喉を通った。


「だいっじょ・・・・ぶ?」


 息も切れ切れだったが、その言葉に茉緒の目の奥が揺れた。今にも泣きそうな不安そうな茉緒を見て私もたまらない気持ちになって、私はそっと茉緒の左手を握る。


「話だけなら・・・聞ける・・・から・・・」


 まだ息は整わない。それでも茉緒の気持ちが、私に向いた気配がする。そして、茉緒はきょろきょろと周りを見渡し、


「今日、鈴の家に泊まりに行っていい?」


そう言った。その声があまりに弱々しくて、私は茉緒の両手を包み込み、子どもの頃に戻ったように手を繋いで私の家へと向かった。

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