第2話

少し冷静になったと言っても、まだ不信感はぬぐえない。少年とはいえ、深夜に近い時間に人の家に来る、いや、侵入の方が正しいのかもしれないが、とにかく普通ではない状況だ。


「あの、お茶、飲み・・ますか?」


そんな普通じゃない状況でお茶を出そうとする私も大概かもしれない。でも、彼は私に招かれたと言った。私が呼び出した記憶はもちろんないが、私が招いたならもてなす必要があるし、ただ単にお茶を飲んで落ち着きたかった。


「お姉さん、肝が据わってるね!さっきまでぶるぶる震えてたのに。でもお茶は大丈夫」


お茶を飲んで落ち着く作戦は見事に打ち砕かれた。でも、やはり少年から悪意は感じられない。とりあえず、話を進めることにした。


「あの・・・私に招かれたって。こんな時間に?」


「そう!」


えへんとふんぞり返るように笑顔見せた少年だったけれど、想像以上に臨んだ返答が得られなかった。


「えっと、ごめんなさい。私、あなたのこと知らないの。どこかで会った・・・?」


「あぁ、ごめん!自己紹介とかしてなかったから困るよね!俺はヨリ。幽霊っていうか、うーん、そうだな・・・妖精って感じ!」


「妖精・・・?」


 あまりにもファンタジックなキャラクターの登場に施行が追い付かない。無理もないだろう。いくらなんでも妖精なんてデタラメすぎる。


「あぁ、簡単に言うとってことね!厳密な言い方がわからないっていうか。これが一番わかりやすいいなって。もっとわかりやすく言うなら・・・」


そう言って彼は少しだまって目をそらし、ニヤッとして再び私の顔を覗く。思わず私もゴクリと唾を飲む。


「恋のキューピット、だな!」


天使のようなキラキラした笑顔で少年はそう言った。にわかに信じがたい状況だけれど、それよりも気になったことがある。


「私が恋のキューピッドを招いたってこと・・・?」


身に覚えがないのだ。確かに友人の結婚やドラマの恋愛模様を観て羨望の思いがあふれたのは事実。でも、恋のキューピットに願うほどの強い思いというわけではなかった。彼に不信感を抱く。それが表情にでていたのだろう。彼は困ったような表情で話を続けた。


「招かれたっていう表現がちょっとまずかったかな。厳密に言うと、君の思いに反応したっっていう方が正しいかも。実際、恋をしたいって思ってたのは事実だろ?ちょっとだけかもしれないけどさ。その思いから、友人の結婚を祝福するタイミングも遅れたし、ドラマを観るのをやめて無理やり寝ようとしたんだろ?」


「確かにちょっと恋に嫉妬したっていうのはあるけど・・・ちょっと待って。な、なんでそこまで知って・・・」


「俺はキューピットだからな!」


満面の笑みでそう答えた少年がまぶしくて瞬きをしそうになる。まるで後光が差しているかのような輝きに、少年は本当にキューピットなのかもしれないと信じそうになってしまうほどだ。でも、キューピットなんて非日常すぎる存在をやはりすぐには信じられない。


「鈴はわかりやすいんだな~。すぐに顔に出る。」


「!?」


彼に対して名乗った記憶はないのに、今度は名前まで言い当てられた。急に呼び捨てにされたことにもびっくりしたが。不信感は再び恐怖に変わった。キューピットというのは嘘で、やはり危ない人、私にいるとは思えないけれど、ストーカーなのかもしれない。そんな気さえしてきて、変な汗が出る。どうしていいかわからなくなっている私。それを見てか、ヨリくんはわざとらしく言った。


「ここで問題です!俺はなんで鈴のことを知っているんでしょうか?」


 そんなのわかるわけがない。でも、答えて解明するしかなさそうだ。回答した後何かされたとしも、いくら少年とはいえ、特に運動神経も体力もない私が彼に太刀打ちできる気もしない。ここは素直に対応するしかなさそうだ。


「キ、キューピットだから?」


「それはさっき言ったから不正解!さぁ、なんでしょうか!!」


「・・・・私のストーカーだか」


「ブッブー!不正解!てか、ストーカーはちょっとひどくない?」


「わ、ごめんないさい」


「え、いや、別に怒ってないけど。まぁ、ストーカーって言われたってことは、鈴は俺のことを信用してないってことなんだろうし!じゃあ聞き方を変える。今日、変なことはなかった?」


「変なこと?」


「そう。正確には昨日と今日だね。特に家の中で!」


「家の中で・・・あ。LINEのスタンプ?」


「正解!あれ、俺がやったんだよね~」


「え・・・でも、どうして?どうやって?なんでそんなことする必要あったの?」


 怒っているわけでも、不満に思っているわけでもない。けれど、スタンプを送るというあってもなくても良かったはずの行動を、自称キューピットである彼が行う必要があったのろうか。


「だってあまりにも殺風景だったろ?せっかくのめでたい話。ちゃんと盛り上げようと思ってさ。」


「そうは言っても、あなたはキューピットなんでしょう?スタンプを送ることに意味はあったのかなって。」


「そりゃあったよ!だって、鈴、友達からの結婚報告があったとき、露骨に落ち込んでただろ?加えて、恋愛ができない自分にイラだってたし、他の人の幸せを羨ましそうにしてたし。ついには、ドラマの登場人物にも嫉妬してたろ?」


「あ、あと、テレビが消えないようにしたのも俺ね。」


「・・・・」


キューピッドというのは、思っていた以上になんでもやってのける存在なのだと思った。しかし、少し驚いたが、合点がいった。やはり、私が間違って送ったのではなく、勝手に送られたものだとわかったし、電池切れでもない、いわばちょっとした怪奇現象だったというわけだ。あとあと考えたが、冷静になれば怪奇現象だとしてもかなり怖い状況ではあったのだけれど、話を飲みこんでいくうちに気にならなくなった。


「そろそろ本題を聞いてもいい?」


今度は自分から話を切り出した。だいぶ落ち着いてきたので、状況を整理したいと思うくらいの余裕が出てきたからだ。すると、ヨリという少年は少し姿勢を正して話をはじめた。


「俺たちみたいな存在は、人の心の揺らぎを察知することができる。揺らぎっていうのは、いわゆる人の感情。喜怒哀楽、その他いろんな気持ちを感知して過ごしているんだ」


 ふーんと心の中で相打ちする。妖精、キューピットの秘密に触れた気がした。でも、


「それなら私たち人間のプライバシーなんて無いも同然だね」


「いや、そうでもないよ。俺たちだって常に人の声を聞いているわけじゃない。シャットダウンすることだってできるんだ。そうじゃないと、人酔いならぬ感情酔いしてしまうからね。それに、俺はキューピットだけど、誰でも良いってわけじゃない。この世に幸せになりたい、恋したいって思ってるやつらは巨万といる。そのすべてにキューピットが関わるなんて、無理な話で、とんだブラック企業だよ。それに、キューピットがいれば必ず恋が実るってわけでもないしさ」


「そうなの?キューピットって、恋を成就させるのが仕事なんじゃ・・・」


「もちろんそのつもりで関わっているんだけど。でも、結局のところ2人の人間が交わることだから、さすがに片方の思いを尊重するなんて不平等だよね」


「確かに、すべての人の思いを100%成就させるなんて不自然だね」


「でしょ?できるだけに自然に、そして双方が幸せになれるように手助けするのがキューピットってわけ。だから、人選はすごく大切だし、正しく人選できるように俺たちは人の心の揺らぎを感じ取ることができるってわけ」


 会話の途中から、この少年は本当にキューピットなんだろうと信じ始めていた。言っていることはかなりファンタジーだけれど、説明の筋は通っていたし、何よりすでに警戒心が薄れていた。しかし、まだすべての疑問が解けたわけではない。


「あなたのことはなんとなく理解できた。でも、この世界にたくさんいる人間の中で、どうして私が選ばれたの?友人からの連絡で心が穏やかではなかったのは確かだけど、日頃から恋や結婚のことを考えてたわけじゃない」


「そのことを説明するなら、単純にタイミングだよ。たまたま俺が力を使って人選をしていたら、たまたまそこに鈴がいて、たまたまこの人にしようってなっただけ」


 淡々と理由を言う彼を前に、落胆とは違う、期待外れのような肩透かしをくらったような気持ちが湧いた。もしかすると物語の主人公のように、私にもドラマティックで魅力的な理由や運命があるのかもしれないと、心のどこかで思ってしまっていたのだろう。我ながら恥ずかしい話だ。そんな風に勝手に赤面していると、はっと思い出して彼を見る。今私が考えたことが、彼には筒抜けなんじゃないだろうか。もし知られていたら、とんだ乙女思想とバカにされないだろうか。不安そうな表情をしているのが自分でもよくわかる。


「どうした?」


 キョトンと彼が顔をかしげる。アウトなのかセーフなのかわかりにくい反応だ。でも、特に深く話を聞いてこないのを救いだと思って、

「いや、なんでも、ない」


 と目を反らした。すると、彼が思いついたように言う。


「とにかく、まだいろいろ飲みこめてないと思うけど、ドラマの主人公だと思って浮かれちゃっていいんじゃない?」


 これはアウトだ。少しいたずらっぽく笑う彼を見て、あぁ、やっぱりプライバシーなんて皆無だと思った方が良いと察した。しかし、そうなってくるとあまり気分の良いものではない。正直私はキューピットなんて望んでいないし、ドラマのような展開も待っていなかった。それなのに、急に現れた少年に心を覗かれ、そのうえこれから恋愛をしようなんて、私の精神力では耐え切れない。


「で、キューピットとして仕事をしようと思うんだけどさ、今恋とかしてないの?」


彼は見るからにルンルンしていた。新しいおもちゃを買ってもらえて喜ぶ子どものようだ。


「あのね、あなたの事もだいたいわかったし、選んでもらえて嬉しくないわけではないよ。でもね」


「ヨリ」

「え?」


「あなた、じゃなくて、ヨリ。俺の名前」


「それはさっき聞いたけど・・・」


「なんだ、覚えてるなら名前で呼んでよ!ヨ・リ!」


「うぇ、あーそれで、えっと、ヨリくん。単刀直入に言うと、私は今特別恋愛がしたいわけじゃないの。今の生活にとりあえず満足しているし、何より、あなたに心を読まれているって思うのが嫌なんだよね。悪気がないのもお仕事だっていうのも、わかるんだけど」


「それで?」


「え?それでって」


「とりあえず満足してるけど、とりあえずなんでしょ?それに心を読まれるのが嫌だっていうなら、極力聞こえないようにしてるしさ」


「でも、さっきから私が考えたことが筒抜けな気がするんだけど」


「うーん、それもきっとたまたまさ。これは俺の勝手な持論なんだけど、俺、相性が良い人だと、心を読まなくたって何考えてるかだいたいわかるんだよね。つまり、鈴を選んだ俺は間違ってない、間違いなく鈴のキューピットになるべくしてここにいるってこと。そう思ってる」


 妙な自信を見せる少年。その発言はまさに、経験者の言葉のように感じた。


「ちなみに、ヨ、ヨリくんはキューピット歴?は何年くらい?」


「キューピット歴?あぁ、俺は・・・15年くらいかな?」


「 へ~」


 15年と言えば、中学生くらいだなと思った。だとすると、ヨリくんの見た目の印象とぴたりと合う。まだ声変わりをする前のあどけなさが残る声色。子どもらしさと大人になろうと背伸びをしているような様子が、15年という彼の労働期間を指し示している。


「なんで?」


「ん?」


「なんで俺がどれくらいキューピッドしてるかが気になったの?」


「なんとなく、見た目は少年らしいけど、その見た目より大人っぽいことを言うんだなって。経験者は語る、みたいな感じがしたから、どれくらいやってるのかなって思ったの。それで15年って聞いたら、想像通りの年齢だったからちょっと安心した」


「安心?」


「うん。だって、ヨリくんと話しはじめてから、怖いとか不安とかびっくりとか・・・斜め上の話しすぎて、正直心の安寧がなくて困ってたんだよね」


「そっか。じゃあ、これでもういろいろ腑に落ちたってこと?」


「そうだね。信じがたいけど、信じてみようかなっていう気持ちにはなったかな」


 そういうと、ヨリくんは安心したような表情をみせた。その後もいくつか話を聞いてみた。キューピッドだからと言って常にそばにいるわけではないこと、他の人にヨリくんの姿は見えないこと、人間とは違うので食事や睡眠などは必要ないこと。話をすればするほど、彼を受け入れられる心が育つ。そして、互いに一息ついた頃には、日付が変わって30分ほど経っていた。


「あとは、相手探しと、鈴の気持ち次第だな」

「私の気持ち。そう・・・だね。せっかくヨリくんのことがわかっても、私が恋愛をする気にならないと始まらないもんね」


「大丈夫でしょ。俺が来たってことは、恋愛できるっていう証拠でもあると思うんだよ。こればっかりはさすがに確証はないけどさ」


「それは結構プレッシャーだね」


「そう気負うことはないでしょ。俺だってそこそこベテランだし。うまくいくかどうかはやってみないとわかんないし。気楽にチャレンジが大事だ!」


 急にノリと勢いのような発言をするヨリくん。仕事に関しては大人びた言葉が多い印象だったが、ここに急に若者らしいことを言い出した。まぁ15歳と考えれば妥当なのかもしれない。同時に、年相応の言葉づかいにほほえましい気持ちになった。


「どうした?何か面白かった?」


 また顔にでていたのだろうか?少年らしい彼の発言に頬が緩んだようだ。


「いや、15歳らしいなって。つい」


「・・・・」


 急に黙り込むヨリくんに焦りを覚える。確かに15歳くらいの男の子を子どもらしいなんていうのは、年齢的に傷つくかもしれない。配慮が足りなかったと反省し、すぐに、ごめんと謝った。


「あのさ・・・もしかすると勘違いしてるかもしれないから一応言っておくと、15年くらいこの仕事をしてるけど、見た目はずっとこのままだからな?」


「え!?」


 すっとんきょうな声がでた。それと同時に、ヨリくんが大笑いする。


「まさか15年やってきたっていうのを、0歳から15歳の時間感覚で思ってた?そりゃないでしょ。だって、仮に0歳からキューピッドをしてたとして、まぁ見た目は完璧かもだけど、0歳で人と人の心を繋げるなんてできると思う?さすがに無理だ。0歳で饒舌にキューピッドの説明ができても気持ち悪いし」


 あっはっはと大声で笑われてしまった。それはそうだ。考えればすぐにわかるようなことだったのに気づいていなかった。顔が赤くになっていくのがわかるのと同時に、ゆっくりと私は顔を伏せた。


「ごめんごめん、ちょっと笑いすぎた。気にしてないから大丈夫だから、そんなに恥ずかしがんないでよ」

 そういってヨリくんはまだ半笑いのまま話しかける。それでも私は顔をあげられない。すると、笑い声が止まり、数秒間の沈黙が流れた。そして、トントンと優しく肩が叩かれた。そろそろ観念しようとじわりと顔をあげると、不安そうに私を見つめる少年がいた。そして、目が合うとふわりとその見た目にそぐわない優しい微笑みをたたえ言った。


「鈴なら大丈夫」


 やはり人間ではない少年を象徴するような声が体中に響いた。

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